第8話「盗まれた村、七」
ヤヒコ宅を離れて、三人は村の共同墓地に到達した。
そこにはお寺のようなものはなく、石造りのお墓だけが陳列されていた。
お墓の前には綺麗な花が飾られ、灰になった線香や、パッケージされたお供え物が置かれていた。
「啓太、お供え物は食べちゃダメよ」
「神代さん、お墓の物は盗っちゃダメですよ」
二人の女性の忠告に、啓太は憤怒した。
「あんたらの、俺に対する評価の低さは何なんだよ!」
そんな三人の先頭には、骨壺を持った亜子が先導する。その歩みは迷いがなく、真っすぐと墓地の奥へと進んでいく。
「ちょっと、亜子。お墓を調べずに進んでるみたいだけど、大丈夫?」
「大丈夫です。ミズの墓はここではなく、奥です。身代わりになった人たちは穢れとされているので、別々の場所に埋葬されているんです。同じように犯罪を犯した人も、そこに」
「……へー、それどこの情報?」
「――アメさんの日記で見たんです」
亜子の言う通り、お墓の奥には背の高い藪に挟まれた細い道があった。
三人は舗装されていないその道を通り、寂れた卒塔婆のある場所へたどり着いた。
「ここです。掘り返された跡があります」
亜子は卒塔婆の名前も見ずに、お墓の前で膝を付く。亜子の言う通り、卒塔婆の前の地面は色が違う。誰かが。いや、遺骨を盗るためにヤヒコが掘ったのだろう。
亜子はお墓を目の前にして、素手のまま一心不乱に地面を掘りだした。
「おいおい、慌てるなよ。俺達も手伝うぞ」
怪訝な視線を亜子に送っている千夜子を引っ張って、三人は地面を掻き分ける。
一度掘り返された分、作業は上手く進み、十分な深さまで掘り進めた。
「このぐらいでいいだろ。亜子」
亜子は土の中に、そっとミズの遺骨を納める。それから、また土を被せ。再び墓を暴かれないように祈りながら、ついでに卒塔婆の周りもきれいにした。
「これでいいだろ」
啓太と千夜子が立ち上がり、その場を去ろうとするも。亜子は膝を付いたままだ。よく見れば、亜子は、頬に一筋の涙をこぼしていた。
「どうした、亜子。土が目に入ったのか」
亜子の肩を叩こうとした啓太を、千夜子が止めた。
「その前に、啓太に質問したいことがあるの」
「何だよ、急に。後でいいだろ」
「大事なことなの。聞いて」
千夜子の顔は鬼気迫る表情をしている。その気迫に圧倒され、啓太は千夜子の話を聞かざる得なかった。
「啓太と亜子は大学で会った。と言ってたわよね」
「ああ、そうだ。その通りだが?」
「じゃあ、亜子が見つかったのは。いつなの?」
「ん? 同じ質問か。会った時と一緒だよ」
千夜子は啓太の答えに首を振る。違ったようだ。
「いいえ、正確に言うわ。失踪していた亜子が見つかったのは、いつなの?」
「はっ? 失踪って一体――」
その時、啓太の頭の中のミドリムシほどの脳みそが、点と点を線で繋ぐ。
亜子と出会った時、大学構内で不自然なほど他人と出会わなかった。それは偶然でも何でもない。
もう、そこは時空の狭間だったのだ。
「言い忘れていたけど、時空の狭間に迷い込むにはキッカケが必要なの。私の場合、それは亜子の下宿してたポストにあった古い手紙。でも、啓太の場合は? キッカケはあったの?」
「それは――」
啓太には答えられない。千夜子の失踪を報せるポスターを見ていたことしか、見当がつかなかったからだ。
「私が代わりに答えるわ。キッカケは何も現世の行動だけじゃない。因縁があれば、時空の狭間側の意思で呼び寄せられることも可能なの」
時空の狭間側の意思、それは人間ではなく、唯一存在する怪異ということになる。
千夜子はクロスボウの照準を亜子に向けた。
「あなた、何なの?」
千夜子の問いに亜子は。亜子らしき何かは応えなかった。
代わりに寂しそうに、一言呟いた。
「ごめんなさい。アメ」
亜子らしき存在の声を聞き、啓太のミトコンドリアほどの脳が無数にある点を複数の線で結び始めた。
双子の儀式。アメとミズの双子。見守りと身代わり。アメの名前を呼ぶ存在。
全ては、一つの結論を指さしていた。
「待て、千夜子」
啓太は千夜子のクロスボウを遮るように飛び出た。
千夜子は啓太の行動に驚き、クロスボウの照準を外した。
「危ないじゃない! どうして怪異を庇うわけ? もしかしたら、そいつが時代の怪異かもしれないのよ」
千夜子の言い分も分かる。ここで亜子らしき存在を倒せば、もしかしたら現世に帰れるかもしれないのだ。
けれども、その必要はないと、啓太は知っていた。
「こいつは危険な存在じゃない。現に、不意打ちをするなら幾らでもチャンスはあったはずだ。それをしなかったのは、敵意がないってことだろう」
「そうかもしれないけど。時代の怪異を倒さないと、時空の狭間は消えないのよ」
「自分で言ってただろ。時代の怪異を倒すには、調伏と浄化の二つあるって。なら敵対する必要はないんじゃないのか」
「……その方法が分かったの?」
「ああ、俺に任せておけ」
千夜子を説得すると、啓太は亜子らしき存在に向き直った。
亜子らしき存在は、啓太と千夜子の争いに関心はなく、虚ろな瞳で卒塔婆を見つめていた。
「あんたはアメ……じゃなく。ミズだな」
亜子らしき存在、ミズは啓太の言葉を受け、無言で頷いた。
「えっ? どういうことなの。ミズが自分の遺骨を取り返すために、時代の怪異になったわけ?」
「違うんだ、千夜子。このミズはアメなんだ」
「……はい?」
「すまん。言い間違えた。このミズはアメと入れ替わったミズなんだ」
啓太の言葉に、それを補足するように、ミズは口を開いた。
「双子の儀式は結核にかかった二人を見かねて、村人たちが勧めてきたんです。アメも私も、父も母も、乗り気ではなかったのですが、村人たちの強要に逆らえなかったのです。もちろん、村人たちも命を奪えとまでは言いませんでした」
「なら、どうしてアメは自死したんだ? しかも入れ替わってまで」
「これは私達家族しか知りませんでしたが、私よりもアメの病状は重く。もって半年と言われていました。元々アメの方が身体が弱く、生きながらえることに執着はなかったんです。ただ……」
「ただ?」
「私達は子供が欲しかったんです」
ミズは自分のおなかを優しく撫でる。まるでそこに新しい命があるかのような、慈しむかのような、母性を感じた。
「アメと私とでは、子供はできません。だからどちらか一人が生き延び、いつか子供を作ろうと約束したんです。それを確実にするには、双子の儀式を完遂することがいい方法だと、アメは決めました」
「そうか。双子の儀式の見守りと身代わりは必ず姉と妹の役割が固定されている。だから入れ替わったのか」
「そうです。家族以外は、アメと私の区別は髪飾りの有無で判断していましたから、立場を変えるのは簡単でした。そして、アメは儀式の際、自分を傷つけるだけではなく、自死しました」
ミズの語りに、千夜子は戦慄した。
「そんなの、馬鹿げてる。確証もない儀式に自分の命を賭けるなんて、正気の沙汰じゃないわ」
「いいや、彼女たちには十分すぎる理由だったんだ。この世に不思議は存在する。子供たちのアメとミズは、それを信じたんだ」
子供ほど、まじないじみた遊びを信奉する個人はいない。大人が似たようなことをしても、それは同調圧力や狂気からだ。
子供ほど、無垢に儀式を信じる者は、他にいないのだ。
「私は、これでやっと逝けます。けれども、それだけでは時空の狭間は消えないでしょう」
「だろうな。この時空の狭間は、元々二つの時代の怪異によって造られていたんだ。そうだろ、ヤヒコ」
噂をすれば影、というのは言霊信仰なのだろう。振り返れば、藪を背にした黒い影が立っていた。
それは影の人だ。ブドウを煮詰めたような黒さを纏い、おそらく生前の背丈のまま、そこに在る。
影の人、ヤヒコ。それもまた、時代の怪異だ。
「ヤヒコの執着は、失った妻に対するものだろう。違うか、ヤヒコ!」
啓太の呼び声に、影の人は応えた。
「ああ、私はアメを取り戻しさえすれば、それでいい。そう思っていた」
穏やかな口調、と思いきや。影の人の輪郭が歪む。
「だが私は裏切られた! アメではなく、ミズだと! 私のものが私を騙していただと! ゆるせない。ゆるせなあああいイイイィイぃイイイいイ!!」
影の人の叫びは、藪を震わせ、山々を駆け巡る。
それは怨嗟。憤りを越えた、怨念の声だ。
「ミズは殺す。お前も、お前も! そして劣った血の入った、ミズの子供も殺す! 殺す殺すころすコロス!」
「ちょっと待って! どうして子供まで殺すのよ!」
千夜子の叫びに、影の人は耳を貸さない。
「あきらめろ、千夜子。あいつはもう、ただ過去に囚われた怪異だ。自分の子供のことも、ただの失敗作だと思っているんだ」
「そんな。ひどすぎる……」
「ああ、父親失格だよ」
啓太は千夜子とミズの前に立ち、お札で包んだ石ころを、影の人と自分達を遮るように投げた。ここに来るまでに用意したものだ。
「千夜子は時間稼ぎをしてくれ。俺は準備に入る!」
「準備ってなんの!?」
「大丈夫。俺を信じろ」
信じるには確信が足りなかったものの。啓太の言葉に、千夜子はうんと頷いた。
「ミズ、さっきここは犯罪者も埋葬されるって言ったな。ヤヒコの骨もあるのか?」
「あります! こちらです」
ミズが先導し、それに啓太が続く。最後尾には千夜子が殿を勤め、クロスボウを構えた。
影の人は逃げる啓太達を追い詰めるように、石の結界を避け、地面を這う水のように迫ってくる。
啓太は駆け出しながら、自分の右腕をちらりと見た。
「もう、使わないとおもってたのにな」
そうして、啓太達はヤヒコの墓を目指して、ミズの後を追っていった。
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