第5話「盗まれた村、四」
一時的に千夜子を神社の本堂の中に移し、啓太と亜子は一息ついた。
啓太と亜子にはこれからどうすべきかの計画はなく、頼りになるのは時空の狭間に精通しているらしい千夜子の存在だけだった。
「せめて、千夜子が起きるまで情報の整理をしようか」
「そうですね。恐神さんが起きた時に、ちゃんと状況が分かっていると話も早いですしね」
啓太は村長の日記と千夜子のまとめを開き、これまで知った情報を一くくりにした。
まず、ここは時空の狭間という現世とは違う異界らしい。
時空の狭間は過去の事件の時代がそのまま残され、時代の怪異と呼ばれる存在が残っているそうだ。
ここから出る方法は二つある。一つは時空のおっさんに出会うか。時代の怪異を退治することだ。
この時代の怪異とは、あの影の人で間違いないだろう。そして、時空のおっさんは影の人に斬られて消滅した中年男性と考えるのが、正しいだろう。
村長の日記と影の人という怪異を見比べた結果、影の人とは連続殺人事件を起こしたヤヒコという男が関与しているらしい。
今まで知った情報を並べると、こんな感じだった。
「時代の怪異を解決するって、どういうことなのでしょうか?」
亜子が疑問を口にする。
言われてみれば、その方法は考えていなかった。
「単に退治すればいいんじゃないか? 少なくとも矢は刺さったし、倒せない相手ではないはずだ」
亜子は、なるほど、と相槌を打つ。問題は、こちらの武器が千夜子のクロスボウと頼りない銀のペーパーナイフくらいだと言うことだ。
「他にも村民の日記によれば、影の人は声をまねることができるそうなの。それに身内殺しが正しいなら、スキンウォーカーの性質も持っているのかもしれないわ」
急に啓太でも亜子でもない、饒舌な喋りが話に割って入ってきた。
声の主は、寝ていたはずの千夜子だった。
千夜子はテレビの幽霊みたいに地面に這いつくばって、傍まで寄ってきていた。まだ体調が戻らないのか、喋り終えると声を荒げながら呼吸をしている。すさまじい根性だ。
「うおっ! びっくりした。まだ元気がないなら寝ておけよ」
「そういうわけにはいかないわ。私抜きでオカルト話をしようなんて、そうはいかないわ。わたしは行探研(ゆくたんけん)の恐神千代子よ!」
千夜子は息を整える暇もなく、話し続ける。流ちょうに話してはいるものの、喋り終えると長距離走を走り終えたようにゼエゼエと息継ぎをしている。
「犠牲を欲するという意味では、カニバル的な要素も適応されるかもしれないわ。カニバルの怪物といえば、ウェンディゴ。こちらは驚異の身体能力と声真似をする知能を持ち合わせているの。ただし見た目は餓鬼のようで――」
そこまで言って、千夜子は酸欠で崩れ落ちる。一体、どんな執念が千夜子をここまで追いやるのだろうか。
「解説はもういいって。問題はどうやってこの時空の狭間から抜け出すか、だろ」
「ふ、ふふ。その点は抜かりないわ」
今度こそ千夜子は十分に息を整えて、姿勢を正した。
「時代の怪異の解決は、啓太の言う通り直接倒す調伏の方法があるわ。もう一つ、こちらは時代の怪異の無念を晴らすことで成仏させる、浄化の方法もある」
「浄化、か。影の人であるヤヒコの場合なんだろうな」
「それは影の人が口にしていた言葉がヒントかもしれないわ。そう、アメとミズの話よ」
そう言えば、影の人はその名を口にしていた。もしかしたら口にした二人について何らかの未練があるのかもしれない。
「それを探すにわ。やはりヤヒコとアメの自宅を探すしかないわね」
そうして、千夜子の登場により、あっさりと次の目標が決まった。
神社からヤヒコとアメの家にたどり着くのは、そんなに遠くではなかった。
それでも徒歩の移動だ。三人はいつでも影の人の襲撃に立ち向かえるよう、それぞれの武器を携えて進んだ。
亜子には、手ごろな武器がなかったため、その辺の石ころで我慢してもらうことにした。
「二人とも武器らしい武器を持っているのに、私だけひどいですよ」
「言うなよ。俺だってこんなチンケなナイフだぞ。千夜子のクロスボウが一番の頼りだよ」
クロスボウは啓太にとってなじみのある道具ではない。それなら、持ち主の千夜子が扱うのが妥当だろう。
亜子は納得せざるを得ず、口をつぐんだ。
「それにしても、植田亜子さん。だったかしら。啓太とは仲が良かったのね」
「いいえ、同じ講義を受けていただけで、あまり話したことはなかったんです。ただ一緒に居たらこんなことに巻き込んでしまって……」
「そう。まあ、見つかったのならどちらでもいいわ」
そんな風に話しているうちに、ヤヒコとアメの家宅が見えてきた。
家は他の建物よりも少し豪華で大きい。庭もあり、そこには小さな畑と井戸が佇んでいた。
「さて、入るわよ」
玄関は不用心にも鍵が掛かっていない。なので、そのまま入ることが可能だった。
啓太にとって情けないことに、千夜子を最前線に立たして、三人は家の中に侵入した。
家の中は他の家宅と同じく、整理が行き届いていた。ただ飾っている花が枯れていたり、床に僅かな埃がたまっていたりするところを見るに、管理主はしばらくいなかったらしい。
家主に悪いと思いつつも、緊急時を想定して三人は靴を履いたまま、家に上がり込んだ。
玄関から入ると、廊下は真っすぐ伸びており、突き当りに縁側が見える。手前の入り口には食卓があり、比較的普通な家の間取りだ。
三人は食卓を見ず、奥に進む。縁側の傍には、障子の向こうに和室が広がっている。
障子の隙間から見るに、和室には書物などないようなので、更に奥へと進む。すると、洋室の扉を発見した。
「和洋折衷なのね。まあ、その方が機能的かしら」
洋室は左に一室と右に二室ある。どちらから調べようか考えていると、先に動いたのは千夜子だった。
「私は右の最初の部屋を調べるわ。他の部屋は任せるわよ」
そう言うと、さっさと部屋に入ってしまった。
「手分けするか。じゃあ、亜子は右の一番奥の部屋を――」
そこまで言おうとしたところで、亜子が啓太の腕にひっしと抱き着いた。
「独りでは、ぜえええったい無理です」
「まあ、そうなるか」
そうなると二人で探索する他なく、とりあえず左の部屋から調べることにした。
部屋の扉を開けると、そこの第一印象は、質素だな。と思った。
部屋の中の賑わいは唯一花瓶の中の花だけで、それもやはり枯れている。木のフローリングには小さなシングルベットが一つあり、他にはこれまた小さな木の机が一つある。
テレビはなく、女性用の化粧棚もなく、娯楽といったものは排除されている。
それに書物は多くなく。机の上に並べられた僅かな本だけが彼女の楽しみ、と思えるほどだった。
他に調べる場所もなく、とりあえず二人は机に近づいた。
机には見開きになった、日記らしき本が置かれていた。
「ここ、アメさんの部屋ですよね」
「だろうな。これだけ物が少ないと、あまり夫から物を与えられてなかったんだろうな」
「……でしょうね」
啓太は不幸せなアメの結婚生活を憐れみながら、日記に眼を通した。
最近、増々夫の態度が悪くなっています。
些細なことで私を叱り、子供が生まれたというのに他所の女性と遊んでばかりいます。
ミズとの約束を果たした以上、もうこの世にいるつもりはないと私は決心しました。ただ、赤ん坊の事が気がかりでなりません。
私の子供には、私達姉妹のように弱く生きて欲しくはない。明るく笑い、幸福な家庭で生きて欲しい。少なくとも、私と夫のような不幸せな家庭では、それは無理でしょう。
子供のことを想えば、私の手を離れるのが正しいのでしょう。夫もきっと自分の保身のために養育権など放棄して、別の家庭に預けるでしょう。そうなれば幸せな家庭に引き取られる可能性はあります。
そのためにも、私は死にます。
この日記は私の遺言となるでしょう。私は弱く、惨めで、それでも愛のために生きました。これから愛のために、ミズに会いに行きます。
私の子供、――には謝罪をしても足りません。できることなら私達の事を忘れて、強く生きてください。
「日記、というより。遺言書だな」
子供の名前の部分は、後になって塗りつぶされていて判別できない。何故名前の部分を消したのかも、啓太には分からなかった。
「子供を置いて死ぬなんて、よほど苦しかったんだろうな」
「ええ。きっと心臓が握りつぶされる思いで書いたのでしょうね」
啓太は死んだ女性、アメに鎮魂を捧げながら、日記をめくっていく。
「ほとんど日々の苦労の吐露だな。参考になりそうな情報は、ないか」
啓太は軽く目を通して、日記を閉じる。
念のためこれも持っていこう、と思う。ただし啓太のポケットにはこれ以上入らない。なのでバックを持っている千夜子に預けるようと考えた。
それまでは、亜子にアメの日記を持ってもらうことにした。
「千夜子の方では収穫あったかな」
啓太がそう呟くと、千夜子の呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、こっちに来て」
啓太と亜子は、声に導かれるままに、隣の部屋へと移動することにした。
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