第4話「盗まれた村、三」
神社の本堂に身体を向けていた啓太と亜子の二人は、後ろを振り向く。
声を掛けられた方向を見れば、鳥居をくぐってこちらに近づく作業服の中年男性がいた。
「人だな」
「人ですね」
二人は中年男性の姿を見て、ホッとする。
やっと人を見つけた。これで助かる。そんな安堵が二人に訪れたのだ。
「すいません。道に迷ってしまったようで、助けを――」
啓太はそこまで言って、ふと考える。さっき読んだ紙束を信じるならば、ここに人間などいないはずなのだ。
いるのは怪異だけ。その言葉が目の前の中年男性の存在を不確かなものにしていた。
啓太は常識とオカルトの間で迷い、返事をするのを躊躇う。
そうしている間も、中年男性は二人に迫ってきていた。
「一体、どうやって入ってきた!」
啓太はポケットに刺したままのペーパーナイフを触り、どうすべきか考える。
このまま友好的に接するか、距離を取るのか、攻撃するのか。相手が不明なため、どれも最善の選択には思えない。
啓太が考えあぐねていると、急に肌を撫でられるような感覚を覚える。それは弱い電流を身体に流されたような、ピリピリとした感触だ。
啓太は思い出す。それは村長の日記に書かれていた、影の人が出現する予兆であることを。
「出ていけ! 戻れ! 戻るん――」
中年男性がこちらに来るまで後二十歩というところで、その動きが止まる。
落ち着いたのかと思えば、急に中年男性の頭が横に傾いた。
「あっ」
二人が止めるまもなく、中年男性の頭が熟れたトマトのように落ちる。落下した後は毬のようにてんてんと跳ね、驚きの顔のまま地面に転がった。
するとどうだろう。中年男性の頭と身体が風に飛ばされる灰のように、崩れていく。強風は中年男性の全身を舐めあげたかと思うと、痕跡を一つも残さず、完全に消滅してしまった。
そして、中年男性がいた場所の後ろに、一つの影が残っていた。
影は遮蔽物もないのに、存在している。地面でもないのに、空間にピン留めされた形で影は直立している。
影は闇よりも色濃く、雲のように輪郭をぼかしながらもこちらを向いていることが分かる。
全体像は百八十センチメートルくらいの、少し背が高い一般男性の姿だ。服装は判別できず、頭に何か被っている様子もない。それが普通の配色をされていれば、平凡な一市民に過ぎなかっただろう。
「こいつが、影の人か……」
啓太は今度こそためらいなく、ポケットにしまっていた銀のペーパーナイフを抜いた。
それからペーパーナイフを前に構え、不用意に接近できぬように眼前で揺らした。
しかし、影の人は武器を前にしても怯んだ様子はない。
影の人は腕を鞭のように振るう。それが、ついさっき中年男性の首を切り落とした攻撃であることを、啓太は直感的に悟った。
あれはかすってもいけない。啓太は影の人を目の前に、身体を強張らせた。
「ま、待ってください。私達は争う必要がないんじゃないですか?」
亜子が影の人に向かって話しかける。
そうだ。都市伝説のシャドー・ピープルは不吉な予言をして去っていくという。ならば、この影の人も話すことができるのかもしれない。
更に話すことができれば、和解する可能性も出てくる。ここは亜子に任せることにしよう。
「ここに訪れたことを怒っているなら、直ぐに出ていきます。ただ出る方法が分からないんです。協力してくれれば、私達は大人しく従います。だから――」
亜子がそこまで行ったところで、影の人から反応があった。
影の人は歩みを止めると、読唇術が通じない顔で言葉を投げかけた。
「お前はアメか? それともミズか?」
「――っ! どちらでも、ありません」
「ならば死ね」
影の人は二言告げただけで、歩みを再開した。これは、全く話が通じない怪異のようだ。
「亜子は下がれ。俺が何とかする」
啓太は、一度は言ってみたかったフレーズを口にする。
任せろ、とは言っても啓太に多くのアイディアはない。頼りになるのはこの銀のペーパーナイフ、こいつが影の人に通用しなければ、打つ手は無くなる。
二人と影の人の距離が、歩いて五歩のところになる。ここまで近づかれては影の人の一挙手一投足も見逃せない。
啓太は油断なく、影の人がいつ動いても良いように、ぎゅっとナイフを握りしめた。
そのはずだった。
「――えっ」
前触れもなく、下に向かってだらけていた影の人の腕が、猟犬のような鋭さで飛び跳ねる。
気づけば目前にあった銀のペーパーナイフが宙を飛び、啓太の顔をかすめて本堂の壁に突き刺さった。
啓太はその間、反応することもできなかった。
「下がれ、下がれ下がれ!」
啓太は亜子と共に後ろに下がる。だが、後ろは本堂。背後を取らせず逃げるためには、広さが足りない。例え影の人に背中を見せて逃げても、追い打ちで一突きにされるのがオチだ。
最後の望みが絶たれ、二人は猛禽類を前にしたひな鳥のように怯える。
もう希望はない。そう思われた時に、それは来た。
影の人の脇腹を、白銀の一閃が躊躇なく射抜いたのだった。
「本堂に逃げて! 早く!!」
矢が飛来した方向を見れば、そこには見覚えのある女性がバックを背負い、クロスボウを構えて立っていた。
「千夜子っ!」
「恐神さん!」
二人が叫ぶと同時に、千夜子はクロスボウを足に引っ掛けて素早く再装填する。
影の人はといえば、自分に突き刺さった矢を引き抜いているところだった。
「見た目が似ているアルミの矢でも効果あり、か」
千夜子は装填の終わったクロスボウを構えたまま、摺り足で前進する。
十分に接近したところで、矢を抜き終えた影の人に、千夜子は追撃の一矢を投じた。
それだけの距離なら、千夜子は外さない。再び、影の人の身体に矢が一本追加された。
「アメでもミズでもないなら、殺す」
今度は、影の人は矢を抜かない。そのままの身体で、影の人は千夜子との距離を詰めようとする。
千夜子は事前にそれを察していたのか。クロスボウを捨てて、アルミ缶のようなものを腰のポーチから取り出した。
「目をつぶって!」
千夜子の手の平から、丸いピンが飛び。数秒してから、アルミ缶を足元に転がした。
啓太は本能的に危険を察知して、亜子を庇ったまま両目を腕で覆った。
次の瞬間、灼熱の白光と鼓膜を震わす破裂音が境内を包み込んだ。
「閃光手りゅう弾。なんて、どこで手に入れたんだよ」
啓太は十分離れていながらも、鼓膜に襲い掛かった音のせいで周囲が不自然に揺れる。
それでも倒れるほどの衝撃ではなく、啓太は足を踏ん張って体勢を戻した。
影の人と千夜子に焦点を合わすと、両者は至近距離の爆発によって地面に伏していた。
ただし、影の人の方では動きがあった。
影の人は地面に吸い込まれるように、消えていく。それはまるで、この場から逃げようとしているかのようだった。
追撃は、無理だ。啓太に武器はない。追う際に反撃を受ける可能性も考えれば、それは無駄な行動だ。
啓太は影の人が完全に消え去るのを待って、千夜子に近づいた。
「おい、千夜子!」
声を掛けても千夜子から返事は返ってこない。
どうやら、千夜子は自分の閃光手りゅう弾を完全には防げず、気絶しているようだった。
「ど、どうしましょう」
「ともかく安全そうな場所に千夜子を移さないとな」
啓太は、取り乱しそうな亜子を宥めつつ。しばらく居ても良さそうな場所を探すために、千夜子の身体を持ち上げた。
千夜子の重みはバックの重さを合わしても、それほど重くはない。よく、そんな身体で影の人という怪異に立ち向かったものだ。と、啓太は感心した。
啓太は千夜子の献身に感謝しながらも、介抱するための場所を探し始めた。
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