270カオス 受け入れられていないと思ってる?

 カクヨムをやってると、どうなんだろうと思うことがあります。


 たとえば、じぶんの小説にPVがつかないようなことがあれば、「ぼくの小説は受け入れられていない」と思うだろうし、なにかしら意見を表明したときに、反対意見を突きつけられると「わたしの意見は受け入れられていない」と感じると思います。


 これは特別繊細な人がそう感じるというものではありません。「私の意図が正確に伝わっていない」という一般庶民から総理大臣まで、不満は、個人から巨大な会社組織まで、一般的に見られる現象で、


 ――ありのままを受け入れてほしい。


という欲求は正当だと思いますが、それが実現されないのは不正であるとは言い切れないのではないでしょうか。


 まず、第一に「ありのまま」を言葉(というか、人に備わる表現手段)だけで他人に伝えることは不可能です。「ありのまま」を伝えるには、言葉ではとても足りません。言葉は不完全なものなので伝えようとしても、たくさんの情報が欠落してゆくのは防ぎようがないからです。


 基本的には、伝わらないということを前提に、必要な言葉を選択して、なるべく多くの情報が他人に伝わるよう文章を組み立ててゆく――のが「ありのまま」を文章で伝えようとする人に求められるスキルなのだと思います。


 第二に、情報は受け取った側の人間の経験や、知識、性格によってさまざまな受け取られ方をしてしまいます。情報を発信した人が「こう受け取ってほしい」という願い(この「願い」を発信する人は「ありのまま」と誤解している)を受信する人に強制することはできません。


 人は、ある情報に接すると「じぶんの理解したいように理解する」ものです。だから、Web作家が「ぼくの小説は受け入れられていない」と感じるのはきわめて当然で、Web作家の訴えたいことは、基本的には読み手には伝わりません。受け入れる、受け入れないを決定するのは読み手側にあるのです。





 ――と考えてくると、じぶんの作品を受け入れてもらうためには、読み手側の嗜好や考え方にすり寄っていかなければならないような気がします。


 ―それって書き手から読み手に対する迎合でしょ。


 当然、こういう疑問に突き当たるわけで、とくに「ありのままを受け入れてほしい」という願いが強い人にとってはそうだと思います。


「ありのまま」を書いても受け入れてもらえない。だからといって、受け入れてもらおうとすれば「ありのまま」ではいられない――という葛藤が書き手の中で生まれます。どうすればいいのか。

 カクヨムで五年ほど書いているあいだに、わたしのなかでは一定の答えが出はじめています。それは「ありのまま受け入れてもらうことはできない」ということ。


「私の意図が正確に伝わっていない」

「ぼくの小説は受け入れられていない」


ってのは、カクヨム住人の人たちに甘えているだけです(わたしも再三ならずそう思ってきましたが)。少しでも受け入れてもらえるよう、じぶんの書きたいことを受け入れやすい形で提供することに気を配る。それしかないように思います。

 読まれなくても、リアクションが少なくても、凹まない、へこたれない、それが大事。やめてしまってはそれまでです。より大勢の人にわかってもらえるよう考えて書き続ける。続けることがいちばん大事。


 最近、テンション下がっていたので、いつも考えていることを整理してみました。

 がんばって小説も書き続けますよー。

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