264カオス キャラクターはなにを語るのか

 藤光の「魂のデトックス」として短期集中連載した短編小説が無事、最終回を迎え、いつになくすっきりした気分でこのエッセイを書いています。つぎは6月中に『青海剣客伝』の短編をひとつ書き上げる予定です。気持ちを切り替えて臨めそうなのでよかったです。


 さて、突然ですが、『呪術廻戦』のDVDを借りてきて第9話まで観ました。なかなかおもしろいです。正直なところ、各エピソードはあんまり頭にはいってきませんが(年を取るってつまらないとつくづく思う)、オープニングテーマの「廻廻奇譚」はいいですね、聴いてるとクセになる。作品の内容がよりクールでスマートに表現されていてカッコいい。


 昨年、『鬼滅の刃』が大ブレイクしたとき、ネットニュースで「『鬼滅』のつぎにくるのは『呪術廻戦』だ」みたいな記事を読んだとき、そうそう立て続けにジャンプから大ヒットが生まれるものか――と斜めに見ていたわたしですが、『呪術廻戦』大ヒットらしいですね。記者さんの慧眼でした、わたしが間違っていました。


『呪術廻戦』(のアニメ)は、展開が早いですね。そして、キャラクターがじぶんの抱えているものについて語りますね。饒舌に。主要なキャラ、釘崎野薔薇(くぎさきのばら)が、しょっぱなから郷里に対する自身の負の感情を吐露するくだりには「えっ、そういうの早すぎない?」と思いました。


 21世紀のキャラクターは、じぶんのことを饒舌に語る。そういうキャラクターの方が読者の気持ちが乗るのでしょうか。『鬼滅の刃』もそうですよね。炭治郎はもちろん、善逸とか、敵キャラの十二鬼月・累だって「自分語り」の物語をもっている。


 20世紀のマンガのキャラクターは、背負うもののほんどないキャラクターが多かった。元祖メガヒット漫画『ドラゴンボール』を考えてみてほしい、主人公の孫悟空があんなにあっけらかんとした(中身は空っぽといっていい)キャラクターだったことを考えると、『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』のキャラクターたちの内面の複雑さよ! これが漫画の進化(深化)なんでしょうか。


 20世紀のジャンプでは、『北斗の拳』がキャラクターの背負うものが多い漫画でしたが、あれって明らかに「後付け」じゃないですか。主人公のケンシロウはともかく、ラオウはそもそも「強敵」という記号としての存在で、その背負っているものは連載が長期化するうちに付け加えられたものでしょ。それと比べると、いまの漫画のキャラクターってすごく練り込まれていると思います。連載が長期にわたっても、キャラクターにぶれがないっていうのはすごいなと思いますね。


 ぶれないキャラクターを作るって、かなりめんどうくさい作業です。できればそこはすっとばして物語の本編を書きたくなってしまうものです(ああ、じぶんの胸に刺さって痛い……)が、その作業で手を抜くと、のちのちにツケが回ってくるんですよね。えっ、今回はなんの話なのかって?


 いえ、これから書こうとしている『青海剣客伝』の短編エピソードなんですけど、ぶっちゃけ『青海剣客伝』のキャラクターは作り込みが甘く、行き当たりばったりで登場させてるものだから、だんだんつじつまが合わなくなってきて……(苦笑)すみません、泣き言いわずにがんばりますんで、書きあげたら読んでください。


 あ、『青海剣客伝』のキャラクターにも「自分語り」をさせるとか。『北斗の拳』ばりに後付けの? 笑笑

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