260カオス どんな作品をめざすべきか


映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由

観客が“幼稚”になったのか?(現代ビジネス)


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83647


という記事を読んで、とてもなるほどと思ったので、これに関連づいたことを書いてみたいと思います。


 記事から抜粋すると、


〇 「セリフですべてを説明する作品が増えた」

〇 「行間を読んで思考を働かせる」という発想が、そもそもない。

〇 観客が幼稚になってきてるんだと思う。

〇 彼らは「理解できないことを作品のせいにする」

〇 もっとも言いやすいのが、「わかんなかった(だから、つまらない)」だ。

〇 SNSで「バカでも言える感想」が可視化された。

〇 製作委員会が「わかりやすくしろ」と言う。


いやー。怖い記事だなあ。


 めちゃくちゃ心当たりがありますね。じぶん自身が、こういう観客だと思います。YouTubeの番組を聴きながら、家事をするくせがあるんですけど、食器を洗うだとか、洗濯物を干すだとか、弁当を詰めるだとか「ながら」なので、常に動画を見れるわけじゃありません。自然と状況説明の多い動画を視聴することが多くなるのですが……。やっぱり説明してほしい。


 じぶんで書く小説もそうです。

 どうしても舞台設定や場面、キャラクターなどについて地の文やセリフのなかで説明したくなります。それは分かりにくいことで読者さんが離れていくことを防ごうとしてしまうからです。じぶん自身、カクヨムでわかりにくい作品は読み飛ばしてしまうことに自覚があるので、自作が「読み飛ばされるだろうな」というのが痛いほど分かってしまうんですよね。


 現代人は、とても忙しがっている。効率的になんでも済ませたがる。


「要するにどういうことなの?」って


 いやいや、簡単に要約できないことって世の中にはたくさんあるじゃないですか。わかるでしょ。説明すれば長くなりますが……ってやつ。


 記事の後半は、こんな感じです。


〇 視聴者も“すべてが説明されている状態”に慣れる。慣らされる。

〇 説明セリフを求める傾向は、観客の民度や偏差値の問題というよりは、習慣の問題。

〇 わからないものを無理して観て、なんとか理解しようと努力する、みたいな気運が時代にそぐわなくなっている。

〇 「わかりやすさ」と「作品的野心」の両立が求められる。

〇 「リテラシーが低い人を差別しない」「みんなに優しい作品」こそが「良い作品」なのだ。


記事の前半は、リテラシーの低い最近の人をディスっているようにしか読めないのですが、後半ではこういう現実であればこそ、「受け手のリテラシーが低いことを前提に、みんなに受け入れられる作品づくりを目指すのが、現代における創作者の正義だ」とまとめるわけです。


 まったく、そのとおり。納得。


 ジャンル小説って、読者にリテラシーを求めますよね。SFしかり、時代小説しかり、本格ミステリしかり、純文学しかり……でしょ? もとめるリテラシーのハードルを下げないと、これらの小説はどんどん読まれなくなって、Web小説ばかりが盛況ということになるのではないでしょうか。


 また、わたし自身も背伸びして小難しいことを書こうとせず、身の丈に合った、それでいて他の作品とはちょっと違うぞという小説を書いていきたい、いや、書けるようになりたいと思います。

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