252カオス さようなら、ファンタジー

 きのう(21日に書いてます)、近況ノートに書いたのですが、『ベルセルク』の作者、三浦建太郎さんが亡くなられて、マジかと。拙くなるかもしけれないけれど、『ベルセルク』について書いておかないといけないなと思って、いまこれを書いています。


 ほんと、拙いですけど。


 たしか30歳になる手前で読んだので、2000年ごろだと思う。『ベルセルク』を読んだのは。アニメ化第一作のあとで、「ベルセルク」というアニメがあったらしいことは知っていたけれど、当時は深夜アニメを馬鹿にしてまともに取り合ってなかったわたしは、ベルセルクというタイトルだけで「いえ、もういいです。RPGでいうところの"狂戦士――バーサーカー"のことですよね。わかったわかった」と手に取らないでいました。


 ただ、本屋さんに平積みされていると、買いたくなるんですよね。何か月かして買いました。当時は、独身で金も暇も持て余していたし。読んだらこれが……。ハードなファンタジーでびっくりしました。読むまでは「どうせヌルいファンタジーなんだろ」と思ってた先入観がガラガラと崩れ落ちていったのです。


 とにかく描写が情け容赦なかった。

 主人公ガッツは、冷酷な男で目的のためなら手段は選ばない。人としての感情を押し殺して冷酷に徹し、目的を達しようとする。ガッツの前に立ちふさがるものは、魔物だろうが人間だろうが関係なくぶっ潰される……。


 とにかくダークな世界観。書き始めたのが1989年ですから、世の中はバブル前夜。時代はこれからイケイケですというキラッキラッした世相のなか、こんな暗いマンガを書いていた三浦建太郎さんのセンスは、時代のずっと先をいってたのだと思います。


 元にあるのは、『ドラゴンクエスト』に代表される日本のRPGファンタジーに対する違和感でしょう。魔王に滅ぼされかけている世界のわりに、住民に危機感が希薄で、なんならちょっとギャグも交えてみたりして(いわゆる堀井雄二さんのセンスによる異世界ですね。ドラクエのメガヒットの後、うんざりするほど模倣されました)。


 ――そんなはずはない。世界も人もその運命は過酷なはずだ。


 そして描かれた『ベルセルク』にあらわれる暗く、重い世界観は、90年代のバブル経済崩壊とともに時代の空気とシンクロしていったという風に理解できます。この「暗い物語こそ、世界の真実を表す」という漫画による主張は、『DETH NOTE』や『進撃の巨人』、『鬼滅の刃』といった作品に引き継がれていくように感じますね。


 主人公ガッツの運命は過酷すぎて、読むと落ち込みます。

 単行本13巻の「蝕」の場面です。1巻からここまで読んできた人には、一生のトラウマもののシーンです。孤独な生い立ちのガッツが共に戦うなかで、絆を深めてきた仲間をすべて失ってしまう。しかも一番信頼していた友人の裏切りによって――。三浦建太郎さんの作画も、凄惨で壮絶な場面にふさわしく「蝕」とそれまでの数巻は神懸ってすばらしい。

 運命は残酷で、人は無力。世界は無慈悲なんだ。と思い知らされます。


 すごすぎて、わたしは魂が抜かれました。

 同時に「もう30になるのに、こんなに心を動かされるなんて、世の中すごいものがあるんだ」と30歳手前で、世界の見え方が少し変わりました。ゲームもマンガも小説も、いままで楽しかったものがすべてつまらなく感じ始めていた頃だったんです。虚無に落ち込みそうなわたしを掬い上げてくれた漫画でした。


 すごいファンタジーをありがとうございました。

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