233カオス トマトなど育てようとする
この週末は、よい天気に恵まれた。
先週までは週末のたびに天候が悪くなり、残念な思いをしてきましたので、とてもよかった。
とにかく、春というのはいい。
外を歩いていると、道端や田んぼ、畑ではさまざまな野の花が咲いていて、目に楽しい。単純にわくわくする。おおげさにいうと、世界に新しい生命が芽生えるありさまを感じられてすばらしいと思ってしまう。
紫色の小さな花を付けるカラスノエンドウには、いいいいいいっっっっっとなるほどのアブラムシがたかっていて、それを餌にするテントウムシもそこに現れる――。新しくはじまった生命の力が一番鮮やかな季節が「春」なんですね。
カクヨムに小説を書いているようなわたしですから、休日はアウトドアで「イェーイ」というタイプではありません。それどころか、天気がどうであっても、うちの中でニンテンドースイッチでゲームをしていたいタイプです。
そんなわたしであっても、外へ出てどんな花が咲いているんだろうと、そんな気にさせるくらい春という季節は、人を突き動かす力をもっているということですね。
ホームセンターへいって、トマトの苗をひとつ買ってきました。
上手に育てると、大玉のトマトが生るらしいです。うちの狭いベランダで育ててみようと思います。
小説を書くとか、エッセイを書くとか、わたしはなにかをやっているようで、そのじつなんにもやってないともいえる。
プロ作家ではないので、わたしの小説がじっさいの書籍という形でモノになることはないわけです。モノにならない以上、想像上の「小説」を書いているとも考えられる。
いま、うちのベランダにトマトの苗があるのは、事実で確実です。実体があります。このトマトを育てていくのは、目に見えないわたしの小説なるものを考えたり、書いたりするより、まっとうな作業であることもまた、確実です。
ふだん、不確実な小説というものを書いていると、確実なものにすがりたくなるときがある。それがいまは、トマト。無事に実が生るくらい大きく育ってくれるかはわかりません。生き物を世話するのは苦手なので(笑)
楽しみですよ、トマト。
小説の出来は、結局じぶん次第じゃないですか。でも、生き物を育てるって「運」が作用するでしょ。工業製品じゃないので、苗の当たりはずれが大きいというのがひとつ。もうひとつは、天候次第で育ったり育たなかったりするのが、もうひとつ。
その出来不出来に、人の手の及ばない部分がある作業って、ほっとする。気持ちが安らぐ。そんなことってないですか。
人って、不完全な存在なのは間違いないのに、その行動の結果に完全を求められすぎてやしないですか。わたしは、ずっと前からその人間の人間に対する無理難題の押しつけを全き幻想と呼んでるんですが、トマトを育てる作業は、その幻想の外にあることに違いないと、とてもわくわくしてます。
……。
今回、わけわからないこと書いてしまいました?
まっ、そういう回もあるということで。
トマトできたら、報告しますね。
ではでは。
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