212カオス わたしにしか書けないもの
小説公募賞の募集要項などで審査員のコメントを見ると、つぎのようなことが書かれていることが多い。
・ いままで読んだことのないものを読みたい。
・ 自由に書いてほしい。
・ あなただけの小説を見せてほしい。
いろんな人が審査員をしていて、さまざまなことをコメントしていますが、要約するとおおむね上に書いたようなことを言っていると気づくと思います。
言いかえれば、どこかで読んだことのあるような小説や、決まりきったパターンを踏んで書かれた小説、書いた人の個性が感じられない小説が沢山あって、審査員はうんざりしているということなのでしょう。
コメントにあるような小説を書こうとしても難しいですよね(笑)すでに作家をしている審査員の先生方に、こんなこと言われると立ちすくんでしまいます。でも、審査員が不可能を強いるわけないし、きっとコメントのような小説は書けるのでしょう。
どうやって?
わたしは公募に入選したことがないので、ここからは憶測で書きますが、結局はじぶんのことを書けばいいのだと思います。
人が百人集まれば、百通りの個性があり、人生があるわけでしょう。当たり前ですが、だれひとりとしてどこの誰かと同じ人生を生きてきた――なんて人はいないのです。審査員のいうあなただけの小説というのは、結局、それぞれのあなた(書く人)のなかにだけあるものじゃないかと思うのです。
それが書いても書いてもどこかで読んだような小説となってしまうのは、じぶんのなかにあるじぶんだけのものをまだ掴みきれていないからなんじゃないかなあ。
以前にも書いたと思うのですが、小説を書いている人は小説を書いているようで、じつはじぶんのことを小説に仮託しているのだと思うのです。書かずとも自然に表れてくると思うのです。
小説を書いている人にならだれのなかにも「いままで読んだことのない小説」が眠っているに違いない――と考えると、執筆のモチベーションがあがりませんか?
ひとりじぶんのことを紙に(いまの時代パソコンに、ですかね)小説が、単なるひとりごとや愚痴とちがうのは、それが読んでくれる人への贈り物となっているかどうかだと思います。わたし(書く人)からあなた(読む人)への贈る言葉というわけ。
今日とつぜん思いついたことですが、これこらはそのつもりで小説やエッセイを書いてみようと思います。わたしの文章を読んだ人が、楽しい思いをしてくれたらうれしいので。
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