203カオス 人生には物語が必要だ
昨年、息子へのクリスマスプレゼントにNintendo Switchを買ったという話を書いたのを覚えているでしょうか。
ゲーム機だけ買っても、ソフトがなければタダの箱ですから、同時に『あつまれどうぶつの森(以下、「あつ森」)』を購入。さらに一ヶ月後、『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(以下「ゼルダ」)』を購入。
どちらのソフトも息子ではなく、主にわたしが楽しんで遊んでいますいます(笑)
せっかく買ってあげたのに、息子はYouTube動画ばかり見てるんですよねー。なにがおもしろいのやら。。。
ところで、「あつ森」と「ゼルダ」ですが、おもしろいですね! 楽しく遊んでます。
ゲームの内容を知らない人のために説明しておくと、「あつ森」は無人島に移住して、虫を取ったり、魚を取ったり、家を建てたり、その家を大きくしたり、住人(無人島じゃなかったのか?)の動物と交流したりするゲームです。
「ゼルダ」は、魔王の復活により滅ぼされた王国に目覚めた主人公・リンクが、魔王による更なる破壊と悲劇から世界を救うため、魔王ガノンを倒すため滅ぼされた王国から旅立つ……といったゲームです。わかりますかね?
ジャンル分けするなら「あつ森」は箱庭シミュレーションゲーム、「ゼルダ」はアクションアドベンチャーゲームといったジャンル分けになるのでしょうか。最近はこういう分類がされるのか疑問ですが。
このふたつのゲーム、見た目はぜんぜん違いますが、ゲーム本来の目的に縛られない自由な遊び方が許されるという共通点があります。
島を発展させるとか、魔王を倒すといった目的はありますが、ほったらかして昆虫採集を続けたり、料理のレシピを充実させたりしていて一向に構わない。
同じ任天堂のゲームでも「マリオカート」であれば、スタートからゴールするまでレースを続けることを強いられますが、このゲームでは目的を強いられるということがありません。逆にいうと、プレイヤーはゲーム世界に放り出され、「あとはあなたのご自由に進めてください」というスタンスのゲームということ。
おもしろいのですが、あまりに自由なので戸惑うことも。
「なにをしてもいいよ」とかえってなにをしていいかわからずに困ってしまう。「◯◯というアイテムを手に入れろ」とか、「◯◯というモンスターを倒せ」とゲームから指示された方がすっとゲーム世界に入っていけるような気もします。
受動的なよくあるゲームのプレースタイルは、受け身で指示待ちの人間を作る――否定的な文脈で語られそうですが、そうではなくて、ゲームを進めるには「世界を魔王の手から救うため、伝説の勇者となってモンスターと戦う」という物語がプレイヤーには必要なのだともいえそうです。
じぶんでプレースタイルを決められる人たちも、なんの物語も持たずにいるわけではありません。自分で自分の辿るべき物語を描いた上でゲームを楽しんでいるのでしょう。
なにもない自由帳より、罫線の引かれたノートの方が字が綺麗に書ける。そういう人も多い。
物語とは、無地のノートに書き込まれた罫線です。人はそれに沿ってゲーム(人生の縮図ですね)を進めていく存在なのではないかと『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』を遊びながら考えました。
――人は物語を求める。
どうしようもなく小説を読んでしまう所以ですね。
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