195カオス 内容はない?

 この前、もうすぐ200話だということを書いた。

 ひとくちに200というが、結構な数である。小説の連載は10話そこそこで足踏みすることが多いわたしとしては、「よくこんなに書いていられるな」と我がことながら感心している。


 エッセイを書くのは楽しい。とても自由だし、すきなことをやっていられる。小説と違って、字句の取捨選別や文章の構成に悩むこともない。気楽である。


 ――小説は自由だ


と以前書いたが、わたしにとってはまだまだ小説は不自由なものであり、むしろエッセイのほうが自由度が高い。それにカクヨムでは、小説を書くよりエッセイを書いた方がよく読んでもらえる。まさに一石二鳥だ。


 このエッセイも最初の方は、創作論的なことを書いていたが、最近は日々の「雑感」のようなことを書くようになってきた。どこか上から目線の創作論より、いまの書き方のがエッセイとしては王道であろう。読み手と視線を合わせて書くのはカクヨムらしくもある。


 エッセイのタイトルは、これまでいろいろと変遷してきたものの『わたしと本の日々』に落ち着いた。なかなかいいタイトルだと思う。じっさいを絡めて書くと、いくらでもエッセイを書けそうな気がしてくるから不思議だ。


 わたしは本を読むけれど、その片端から忘れていってしまう。あとで思い出そうとしてもほとんど思い出すことができない。著者とタイトルはなんとなく覚えているので、その本を読んだことがあるのはわかっているのだが、内容となると「はて?」となってしまう。


 そんないい加減な調子で読んでいるわたしだが、日々起こる出来事や接するニュースにふと昔読んだ本の内容を思い出すことがある。なるほどなるほど、そういう見方があるのかとか、そうそうこれと同じことなんだよとか心の中でつぶやく――それがこのエッセイのネタになる。まさに、わたしと本の日々なのだ。


 なにかの役に立てようと思って本を読むことほどつまらないことはないとわたしは思っている。読書はそれ自体が楽しいものでなくては意味がない。だから読むことに目的がある本、ビジネス書や学習参考書は嫌いである。


 裏返していうと、役に立たない本ばかり読んでいるわたしだが、カクヨムではこの役に立たない本で得た知識と経験がわたしのエッセイを支えてくれているのだから不思議である。大勢の方に読んでもらってもいる。世の中、役に立たない本などないということなのだろう。

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