193カオス エッセイとはなんだろう
このエッセイも190話を超えました。
普段から読んでいただいているみなさんありがとうございます。読んでいただけるので書く勇気が湧いてくるのです。すべてみなさんのおかげです。みなさんのカクヨムライフに幸多からんことを祈っています。
さて、190話を超えて200話が視野に入ってきました。一昨年の秋から書いてますから、もう少しすれば一年半です。われながら「よくやるなあ」と感心します。
200回というのは節目ですよね。
きりがいいので、一旦やめようかなと思ったりもします。
200繋がりで――アメリカのSF作家、アイザック・アシモフの書いた小説に『バイセンテニアル・マン』という短編があります。タイトルは200周年の男という意味ですが、アメリカ合衆国建国200周年(1976年)とかけられています。
200年生きたロボットを主人公に据えた小説です。主人の理解と自身の才能から、人間による支配を離れ、自ら収入を得て自立したロボット、アンドリューは、それから200年という歳月をかけて人間としての肉体と人間に与えられた権利のすべてを手に入れます。そして最後に「人間とは死ぬものだ」と自身の機能停止を希望するという物語でした。(もろにネタバレ)
建国200周年に描く小説としては意味深なテーマと結末です。アシモフはどう思ってこれを書き、アメリカ人はこれを読んでどう感じたんでしょうねえ。
日本人である藤光少年は、すげーなと感心して読みました(笑)。短編ですが、人間とはなにか、生きるとはなにかということに光を当てたロボットSFの傑作です。(創元SF文庫『聖者の行進』に載ってます)
おっと……。
アシモフの小説は余談でして(おいおい)、こうして気ままにエッセイを書いているのをみなさんに読んでもらうっていうのもなかなかに難しいと思うのです。
今回のように、本筋とは関係ないものに字数を割いたりして、読者が面白がってくれるのか不安なんですよね。わたしが書きたいこととみなさんが読みたいことが重なれば重なるほど、お互いにとってよい効果が現れると思うのですが、どうやればうまく重なり合うのか? その方法で手探りで見つけ出そうとしてきた190話だったように思います。
小説もそうなのですが、エッセイにはそれを書いた人の人間性が表れていないと、おもしろさが半減すると思っています。読む人は、エッセイのなかに描かれた出来事を通じて「この人はこういう人なんだろうな」と書き手の人間像を心に思い描いて楽しんでいる面が必ずあると思います。
だからエッセイを書く人は、虚飾を排して「おれってこういうヤツなんです」と文章のなかに自身を差し出さなければなりません。エッセイとはわたしのことをあなたのこととして差し出す作法をいうのです。
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