171カオス 社会現象「鬼滅の刃」

 単行本「鬼滅の刃」の最終巻が発売されたことがニュースになっています。また、映画『鬼滅の刃 無限列車編』が、興行収入275億円を超え、歴代第2位につけているらしく、


 ――煉獄さんを300億の男に


なんて言われているとか。すごいね。2020年は、新型コロナウイルス感染症が猛威を奮い東京オリンピックが開かれなかった年、として記録されると同時に、「鬼滅の刃」というコンテンツが、コロナの影響で瀕死の状態になったこの国のエンタメと消費経済をひとり支えた年、としても記憶されるだろうと思います。いや、たいしたもんだ。


 たいしたことなのだけれど、今日はこれでいいのかということを書いてみたい。


 映画の興行収入歴代1位は、『千と千尋の神隠し』で308億円らしい。2001年の公開だった。『鬼滅の刃 無限列車編』は、この記録を抜き去ってしまいそうです。


 わたしは『鬼滅の刃 無限列車編』を見て、よいアニメだと思いましたが、同じ映画でも『千と千尋の神隠し』とはだいぶ趣きがちがうアニメでした。


『鬼滅の刃 無限列車編』は、アニメファンに刺さる演出に満ちた映画だと思います。実際、かつてのアニオタであるわたしが見ると「すげーな、このアニメ」とわくわくして観ることができたので、制作者の企図したターゲットは間違いなくだと感じました。


 でも、予想以上に一般ウケしてしまった――というのが、正直な感想ではないでしょうか。興行収入275億円という結果は想像だにしていなかったと思います(制作がヒットを企図しなかったという点は、『君の名は。』と似通っているかもしれません)。


 大ヒットの理由については、数々のニュースやサイトで、大勢の人が分析しているので、細かいことは省きますが、煉獄や炭治郎のセリフ(ということは、作者である吾峠呼世晴さんの思想)に現れる「人ってこうあるべきですよね」という単純でストライクなメッセージが、屈折し、疲れている現代人の心に刺さっているのは間違いないと思います。


『鬼滅の刃 無限列車編』は、単純なメッセージに焦点が合った分かりやすい映画なんですね。これに対して『千と千尋の神隠し』はどうでしょう。


『千と千尋の神隠し』は、子供っぽい鬱屈と倦怠を抱えた「千尋」という女の子が、神様の湯屋という不思議な空間に迷い込み、「千」という女中として、いろいろな出会いと経験を積むうちに、その鬱屈や倦怠の殻から脱皮し、新しい「千尋」に生まれ変わるという複雑な構造をもった映画です。


 この映画を観る人は、この複雑な物語の中から能動的にメッセージを探し出さなければなりません。ある意味分かりにくく、観ていて疲れる映画であって、分かりやすい『鬼滅の刃 無限列車編』とは反対側に位置する映画といっていいでしょう。


 こうした分かりやすい映画が、受け入れられて大ヒットするというのは、わたしたちが「もう色々と考えるのは疲れた」と感じているということを表しているのではないでしょうか。


 現実世界の社会情勢や人間関係は、経済のグローバル化や来日外国人の増加、価値観の更なる多様化など複雑化する一方です。ひとりの人間では処理できないくらいに。あちらに気を遣い、こちらとは争わないように――と考えていると身動きが取れません。


 ――わかりやすく、単純にしてくれ!


 携帯電話料金のプランではないですが、人はあまりに複雑な事象を目の前にすると、考えることを放棄してしまって、本当は複雑なことを単純なこととしてしか、理解しようとしなくなるものです。


 わたしは『鬼滅の刃 無限列車編』の大ヒットを見ながら、これは日本社会があげている悲鳴のひとつなんじゃないか――と思うようになりました。


 コロナ対策で、感染症の蔓延防ぐために行動制限を科すのか、経済活動を支えるためコロナによる犠牲には目を瞑るのか――とか。

 オリンピック延期問題でも、新たな感染を抑えるためオリンピックを中止するのか、失われる経済的損失を考えれば開催するのがよいのか――とか。

 正解を見つけることがとても難しい課題に直面しているわたしたちが、それら問題のために疲れ切ってしまっていることのひとつの証明が『鬼滅の刃 無限列車編』の大ヒットにつながっているのではないか――と考えたりしています。


 複雑な問題を単純に理解しても、正解には辿り着けません。腰を据えてじっくりと問題に向き合う我慢強さが、いまわたしたちに求めれているように思うのですが、どうでしょう。


 え、たかがアニメひとつ、考えすぎだって? それならば、それが一番いいのですが――。

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