159カオス みた? 鬼滅の刃
……というようなあいさつが、日本中でかわされている昨今。
ついにというか、ようやくというべきか、観てきました。映画『鬼滅の刃 無限列車編』。
この映画は、もはや新型コロナウイルス感染症の流行やオリンピックの延期(中止?)ともに2020年の枕詞となるべき社会現象になりましたね。
――鬼滅の刃が大ヒットした2020年……。
と後々まで語り継がれそうです。
さて、鬼滅の刃に関しては、完全ににわかのわたし。映画について感想を書きますが、ファンから見るとぜんぜん分かってない部分があると思います。そんな時は「なにも知らないやつが何をほざく」という視点から、笑ってやっていただきたいと思います。
まず、思ったのが「残酷」だなということ。
『鬼滅の刃』は、週刊少年ジャンプの連載漫画ですが、少年誌でこんな残酷描写が許されるのかというのが、まずもって驚きです。(ほとんど漫画を読まなくなったので)
『進撃の巨人』を読んだときにも、その残酷な描写、絶望的状況に驚きました。2010年代は残酷な漫画が受けた時代として記憶されそうです。
これは、いまこの時代そのものが、残酷な時代と認識されているからこその現象じゃないでしょうか。漫画が現実を映す鏡である――という言い方は陳腐ではありますが、一面の真実を言い当てているとわたしは感じます。とても生きにくいと、喘ぐように呼吸している人の息遣いが聞こえてきそうな漫画、それが『鬼滅の刃』です。
この残酷な時代を生きる人たちの心性を表しているのが、漫画に登場するキャラクターたち。その典型が、主人公、竈門炭治郎と同期の鬼殺隊士、嘴平伊之助です。イノシシですよね、彼。
もちろん、伊之助は被り物を付けているのですが、そのせいでどこを見てるか、また何を考えているのか、よく分かりません(それが役に立っている場面あり)。観るものを居心地悪く、不安にさせるキャラクターです。
伊之助のほかにも、この物語にはたくさんのなにを見ているのかわからない――キャラクターが登場します。仮面をつけていたり、瞳がなかったり、目に表情がなかったり……。
わたしに分かるキャラでいうと伊之助はそうですし、煉獄や胡蝶もそういうキャラクターでしょう。
彼らのもつ目は、残酷で絶望的な世界を写して虚ろ。胸のうちの虚無をかいまみせる心の窓です。
そして、わたしたちが彼らの目をなかに見つけだす虚ろは、作者・吾峠呼世晴さんの虚ろであると同時にわたしたち自身の抱える虚無なのです。
だって、漫画は現実を映す鏡だから――。
だからといって、『鬼滅の刃』が残酷で虚しい物語かというと、決してそうではありません。むしろ、優しさと温もりを感じられる物語だと、映画を観た方ならおもいますよね。それは、主人公・竈門炭治郎の存在があるからです。
炭治郎は、強い意思を感じさせる温かい瞳をもったキャラクターとして描かれています。どんな辛い経験をしても、絶望的な状況におかれても、彼だけは虚無を振り払って囚われません。
それは無限列車編で鬼のつくり出す「夢」に取り込まれないのが炭治郎ひとりであるという場面に、それは象徴的ですよね。
すなおで前向き、残酷で救いのない世界に暖かくまぶしい光を投げかける太陽のような少年、竈門炭治郎。
作中、残酷な世界の象徴である「鬼」を滅ぼすことができるのは、「日の光」と鬼殺隊士のもつ「日輪刀」だけとされていますが、炭治郎の虚無に囚われない温かい瞳は、鬼を滅ぼす太陽を心にもっている少年ということを表している――ように思われてなりません。
無限列車編での炭治郎は、そんなに強いわけではありませんが(煉獄の方がずっと強いのに……)、炭治郎の流す涙、絞り出す言葉は最強です。暗い映画館のあちこちですすり泣きが聞こえてきます。
こんなに残酷なのに、いや残酷だからこそ、わたしたちは炭治郎の存在に心洗われるというか……。すさんだ魂の浄化の物語ですよ、『鬼滅の刃』は。
小難しいことを並べましたが、おもしろかったです。とても魅力的な映画でした。日本のアニメ最高ですな!
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