146カオス 自画自賛しがちなわたし

 これまでなんどか(なんども?)書いてきたことなんですが、わたし、自分の作品を読むのが好きです。で、読むたびに「すっげえおもしろいなあ」と思います。(おめでたいヤツだと笑ってください)


 わたしは以前のぜんぜんダメだった頃のわたしをよく知っているので、ちょっとこましに書けるようになったいまの小説を読むと過剰によく出来ていると思ってしまうんでしょうね。

 アホやなあと思いますが、自分の作品がつまらないとしか考えられないよりは、よほど健康的な小説ライフを送っていると考えています。


 わたしのように、自分で自分の作り上げたものを褒めちぎることを「自画自賛」といいますが、この四字熟語の字義、知ってますか?


 もう15年くらい前のことです。当時、まだ気楽な独り者だったわたしは、休日になるたびに、あっちへふらふら、こっちへふらふらと出かけていました。


 それまでわたしは、仕事以外は引きこもりで、朝から晩まで家にこもってゲームをしていました。それが、30歳を目前にバイクを買ったことで変わったのです。


 バイクは、クルマと違って停める場所を選びませんから、フットワークが軽くなります。風を切ってバイクとともに走る感覚は爽快で、ストレス解消にもなるので、休みになるとバイクにまたがるようになりました。


 そんなわたしが、バイクに乗るのとほぼ同時期にはじめたのが、美術館や博物館で開かれている展覧会に出かけることでした。子どもの頃から絵に興味があったので。


 近くでおもしろそうな展覧会をやっていると、バイクですっ飛んでいって見物して帰る――ってことを何度もやってました。じつは定期的に展覧会を開いている美術館や博物館というのは、全国にいーっぱいあって、毎日なにかしら展覧会が、開かれているものなのです。行き先がなくなるってことはないですね。


 そんな展覧会のひとつで、わたしはいままで気にも留めなかった「賛」というものにはじめて出会いました。


 ――なるほど、これが「賛」かあ。


 目から鱗が落ちた瞬間でした。

 たしか長谷川等伯の展覧会だったと思いますが、等伯の絵の上部余白に文字が書き入れられていたんです。等伯の絵を好意的に評価して褒め称えている言葉で、それこそが「賛」でした。


 日本画には、絵の余白部分に賛といわれる言葉を入れる慣習があるらしいです。多くは作者とは別の人物が、「この絵はこういう由来のこういう絵です」といった賛辞と推薦文をかけ合わせたような内容です。これは決して落書きの類ではなく、日本画は絵画と賛を含めて作品として評価するもののようです。


 賛は、その内容から作者よりも目上の人に入れてもらうものだと思うんですね。わたしが描いた絵に兵庫県知事が推薦文を書くような感じ? わからんけど。


 展覧会で等伯の絵に入れられた賛を見て(絵の解説プレートに賛の内容まで解説されていた)、はじめて自画自賛の字義が腑に落ちたのでした。


 自分の描いた絵に、目上の人に入れてもらうべき賛を自分で入れるというのは、ということです。


 ――なるほど。たしかに自画自賛とは、そういう意味だわ。


 自分で自分の小説を激賞するのは、厚かましくてみっともないことなんですよ(爆)でも、ほんとにそうなんだから、仕方がないじゃない。


 と、今回は「自画自賛」が腑に落ちた時のみっともないお話でした。おしまい。

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