130カオス また会おう、◯◯君!
時代は令和に入って二年目、昭和がだんだん遠くなって、「おれも歳とったんだなあ」と感じる今日この頃。街角からも昭和を感じとれる物――公衆電話とか郵便ポストとか看板とか――が、いつのまにか姿を消していてなんだか寂しい。時間は、触ることも見ることもできないけれど、厳然としてここに存在していて、すべてのものを過去へ過去へと押し流していくものなのでしょう。
江戸川乱歩の『怪人二十面相』(新潮文庫NEX)を読んでいます。
めちゃくちゃおもしろい。
子どものころ読んで以来、何十年かぶりに読んでいるのですが、懐かしいやらおもしろいやら、ページをくる手が止まりません。小学生の読む本としては定番の「少年探偵団」シリーズですが、いまの小学生たちも読んでいるのでしょうか。それにしてもおもしろいなあ……。
文体が古臭いのは仕方がない(笑)。だって、もう古典でしょ? いまどき、教養として読むべき小説になりつつあるのではないでしょうか。その証拠に『怪人二十面相』を読むと、失われた昭和・失われた日本を感じることができます。
『怪人二十面相』が発表されたのは、昭和11年(1936年)。作品には戦前の風俗が描かれていて興味深い。
最初のエピソードで、二十面相扮する青年はボルネオ島で実業家として成功したのち日本に帰国する設定だし、探偵・明智小五郎は、政府の要請を受けて満州国へ主張中となっています(満州国の成立は1932年)。日本人の世界を股にかける感がすごい、かつ帝国主義に肯定的。当時の子どもたちが抱いていたであろう「おれたちが外国へ打って出る」というポジティブな幻想をかき立ててますね〜。
翻って国内はというとまだまだ貧しくて、作中、二十面相が乞食に変装して、実業家の邸宅へ現れるという場面があります。作中にいわく「乞食ならば、人の門前にうろついていても、怪しまれない」。いまの時代はどうです? ホームレスが門の前をうろついていたら確実に怪しまれて110番されるでしょう。
世の中の貧しさに対する感覚が違うのです。昭和の乞食は、疎まれはしながらも「悪」ではなかった。ならばこそ門前に座っても追い払われないし、『怪人二十面相』のような児童書にも堂々と描かれる。でも、令和のホームレスは「悪」と考えられているのでしょう。「悪」だからこそ、警察を呼ぶのですよね……。
昭和が良くて、令和が悪いとかそんなことを書いてはいません。いまわたしたちが生きている「令和」という時代の立ち位置を『怪人二十面相』が描く「昭和」と比較することで相対的に確認することができるってことです。
おっと、うれしくなって難しいことを書きすぎました。明智探偵と二十面相が対決する次なる事件を読み進めないと――では、失礼。
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