127カオス 書くべきことはわかった

 こうやって小説を書いているわたしですが(一部にまったく進まないじゃないかという声あり)、実は、絵が好きでして、子どもの頃は「絵描き」になりたいと思っていました。なんで? と問われても明確な回答ができないのですが、子どものわたしの目に映った色や形、すなわち世界そのものを紙の上に写しとっていく行為が、まるで魔法のように感じられ、魅力的だったのかもしれません。


 その後、人生のごく早い段階で自分に画才がないと(自分より上手に絵を描く同級生が山のようにいると)気づかされたわたしは、画家になる夢をあきらめますが、絵が好きだという嗜好は大人になったいまも変わらないままでいます。


 絵の魅力っていうのは、つまるところ人の力で世界を再構成し、画面に定着させることにあるでしょう。

 世界は時間の経過とともに、刻々と姿を変えていきますが、絵のなかには変わってゆく世界を変わらないものとして閉じ込めることができる。そして、それを他の人共有することができる。


 写真が発明され、ラジオやテレビが登場し、インターネットを経てSNSで個人個人が情報の発信と受信を手軽に行えるようになった現代ではぴんとこなくなりましたが、ある一つの概念を一定の人々が共有するというのは、とても難しいことです。


 文字を使って文章にすればよいのですが、文字を読める人は限られますから、その役目を果たすのは絵画ということになります。江戸時代、庶民の識字率が低くても、民衆が浮世絵が楽しめたのは絵画のもつ人の直感に働く力のおかげです。


 ただ、みなさんご存知のように近代絵画って、どんどんわけが分からない方向へ進んでいくじゃないですか。


 たとえば、みんな大好きなゴッホの絵。あれって上手ですか? ほんとうによい絵に見えてますか。みんなが「ゴッホの絵はいい」といっているからその尻馬に乗っているだけではないのですか。わたしは不味い絵だと感覚的にはそう感じます。


 じゃあ、ピカソの絵はどうですか。キュビスム以降のいわゆる「子どもの落書きのような絵」を描いたピカソの絵。上手ですか? よい絵でしょうか。やはりわたしは不味い絵でわけがわからないと感じますね。


 なぜ彼らはこんな絵を描いたのか。もっと「上手な絵」を書けばいいのに……。それはもちろん技術革新により「写真」が登場したからです。物事の色や形を現実に則して描写する力は、絵画より写真の方が圧倒的に上ですからね。人の画力では写真の再現力に太刀打ちできないと分かったから、写真にはできない絵画ならではの表現に画家は取り組んだのです。


 それで思うんですけど。


 小説にも、物語るメディアとして「絵画vs写真」に似た構図のライバルって存在するじゃないですか。漫画とかアニメとか、ドラマとか映画とか。

 わたしは漫画好き、アニメ好きだったので、アニメの世界を小説に落とし込めないかと、書き始めた当初はせっせと書いていました。でも、ぜんぜんダメだった。まったくおもしろくなかったのです。


 理解していなかったんですね〜、その時のわたしは。アニメは動きで魅せるメディアなんだと。そこに物語はあっても、その物語を動かすエンジンはアニメの場合「動画」なんです。小説にアニメ動画を取り込むことは、できなくないかもしれないが難しい。アニメにはアニメの長所があるように、小説(文章)には小説(文章)の長所がある。わたしはアニメの動きに惑わされない、文章表現の長所を生かした小説を書くべきだったのです。


 文章表現の特質は「見えないものを描くことができる」ということです。目に見えるものは、絵画や写真が、動きのあるものはアニメや映画が、それぞれ得意とするところです。言葉をいくら並べても、目に見えるままに文章で表現することはできません。


 でも、目に見えないものは映像にすることができないので、視覚に訴えるメディアより、本質的に抽象を操っている言葉による表現に分があります。


 前回書いたナショナリズム とかポピュリズムといった概念を文章で説明することはできますが、映像で伝えようとすると途端に難しくなるのはわかってもらえると思います。


 具体的なものより抽象的なもの、色や形のあるものより、色も形もないものを描くのに文章は有効だったのです。



 わたしは、ぜんぜんっわかってなかった。アニメやドラマを文章に落とし込むのが小説だと思っていた。言葉のもつ特質を考えれば明らか。小説は、人の内心や感情のありさまを描写するのでなければ、漫画やアニメに勝てるはずがないんですね。


 考えてみれば大昔からそう。和歌や俳句、演歌にJポップまで。言葉が描き出そうとしてきたものは、そのときそのときの人の心のありようでした。詩と小説は違いますが、その特質まで異なるほどには違いはないということなのです。


 近代以降の画家たちによって、絵画表現の可能性はどんどん拡張されていって、ついにピカソという到達点にまで達しました。見えないものを画面に描き出したピカソはすごい人だと思いますよ。でも、その革新的な芸術は一般の人からは「分からない」と言われてしまう。結局、ミケランジェロやラファエロのような(何百年も前の人だ)、分かりやすい絵画が、絵画の本道であってもっとも称賛されるべき作品なのじゃないかな……。


 わたしはもちろんピカソじゃないんで、小説の本道をいく小説を書いていこうと思います――が、人の心のありようかあ……。難しい。難しいぞーと悩んでるうちにどんどん書けなくなってしまったのでした。だれかわたしに小説の書き方を教えてくださーい。

 

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