111カオス 書くことがなくなったときは

 っと、気づかなかったけれど、前回エッセイにタイトルがないですね。「110カオス」としかタイトルが表示されません。なんのことはない、後でタイトルを書き込もうと思って忘れてしまったんですね(笑)


 いずれタイトルをつけようと思ってますが、意外に「無題」というのもいいのかなと、しばらくこのままで様子をみることにします。


 今回も前回を引きずるような書き出しではじまってしまいましたが、仕方がない。引きずっちゃってるんだから(笑)今回は年とったことについて、もう少し引きずります。


 10代、20代の頃は、「おれ(わたし)は、ああはなりたくないな」とおじさん・おばさんのことを見ていたと思うんですよ、ほぼ例外なくみんなね。実際、そういう年齢になってみると「そういうけど、それっておじさん(おばさん)というものを画一的に見過ぎじゃないか」と思う。世の中、いろんな中高年がいる、キミのお父さんやお母さんのような大人ばかりじゃねーぞと。


 世の中は不自由なもので、「形」を求めるんですよね。価値観や行動様式がばらばらだと、それぞれに合わせた対応をとるのが非効率だから。こういう年代の人はこうすべきとか、こういう職業の人のスタイルはこうとか、こういう趣味の人はここに集まるとか……あげればキリがない。大人になるっていうのは、世の中に適応するためじぶん自身をそういう形にはめていくことで。それに抵抗を感じるのが「若い」ってことなんですよ、きっと。


 大人を長いこと続けていると、考えなくてよくなる。じぶんの形ができてるから。世知辛い世の中で、自身が居心地がいいように作り上げた居場所ってやつです。本人(そして周囲)がそれをどう評価するかはともかく、それは自身が作り上げた(物理的というより、むしろ精神的な)居場所でいったんはまり込むとそこから抜けられなくなる。安定した居場所を得た人ほど、そこから抜けられない――つまらない大人になる。それが年をとるっていうことだ。


 そうしてるうちに、人はからっぽになってゆく。××会社の◯◯係長というポジション、◯◯くんのお母さんというポジション――なんでもいいんですが、ポジションを得てそのことに安心してしまうと、好奇心は劣化する。どんどんその人の中身はつまらないものになってゆく。からっぽになってゆくんです。


 ま、これはわたし自身のことを書いているんですが、小説を書こうとスマホのアプリを立ち上げるとするじゃないですか。でも、頭の中がすっからかんなことにある種絶望的な気分になる。なんも書くことがない。

 なにか書きつけてみると、いつかどこかで見たようなものばかり書いてしまう。それも書いていて楽しければ意味があるけれど、楽しくないんだ、これが。


 思えば、若いころは楽しかった。だれが読んでくれるわけでもなく、文章は目を覆いたくなるほど下手くそだったけれど。若かったんだろうなあ。じぶんの中にうつろを感じることなどなかった。ぱんぱんに詰まってた。夢とか怒りとか絶望とか。そうそう、いまは絶望という言葉すら虚しい抜け殻としてしかわたしの中にはないですもん。


 年をとるとからっぽになってゆく。職場では、40代が働き盛りで、50代、60代と軽くなっていってます(笑)能力とか、役職とか関係なく、軽くなっていく。それでいいんだとじぶんのことを肯定してしまっている。70代のうちの両親もそう。内面に抱える葛藤はあるのだろうが「仕方がないやん、年取ったんやもん」という意識が、口にせずとも老体から醸し出されていて、じつに情けない。


 わたしは、こうした加齢による精神の劣化にできるだけ抵抗していきたいと思っています。ものを書くことをとおして。ままならないことは多いし、年齢によるアドバンテージはなし。むしろ、年をとっていることは、ネガティブな要素でしかない。でも――だからこそ? カクヨム の片隅でわたしは書き続けますよ。


 書くことがなくなったら、書くことがなくなったことを書きます! 今回みたいに? そうそう(笑)

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