110カオス 

 前回、書いてる最中に体調が悪くなって(しかも電車の中で!)ちょっと中途半端に終わらざるを得なかったところがあったので、今回は前回を引きずるところから始まります。


 世間の評判と、じぶんの評価ってのは必ずしもきれいに重なるとは限らない。


 ってなことを前回は書いたのですが、あいるさんから「本にしても、映画やテレビドラマも、勧められても困る所がありますよね。人それぞれ、感動するものが違うから……」というコメントをいただき――。


 世間の評判を受け取ったときの違和感。じぶんの感動を他人に伝えることの困難。言葉っていうのは、人がお互いに感覚を伝え合う道具としては、あまりにも不自由。無力ではないけど非力。

 小説を書くっていうのは、そういう言葉の不自由さ――ギャップのようなものをなんとか乗り越えようと、書き手と読み手が手を伸ばし合う作業です。


 だから他人に本を勧めるというのは難しい。家族や友達、知人に対して本を進める場合も実用書や教養本、エッセイはまだ勧めやすい。でも小説を勧めるのはなかなか難しい。


 知人から「これおもしろいよ」と紹介された小説が、読んでみるとさしておもしろくなく、後日知人から「どうだった?」と聞かれて困った――というような経験は、多くの人にあるのではないか。

 わたしも職場の上司との間で同じようなことがあって困った記憶があります。職場の上司なんで「おもしろくありませんでした」と正直に言えるような間柄ではありません。自然、「え、ええ、そうですねえ……アハハ」という日本のサラリーマン的トークを繰り出してしまうことになりました。「すごくおもしろいですね!」と心にもないことを言えるようであれば、もっと仕事も楽しく、出世できていたと思いますね(笑)


 小説を読むということは、大げさに言えば、もう一つの人生を生きるということだから、じぶんの読んだ小説を勧めるというのは「これがわたしの生き方です」と書かれた名刺の切るようなもの。感覚を共有できない人との間でこれをやった場合、その人の人格まで誤解されかねない。


 カクヨムの小説に☆は付けても、レビューは書かないという人がかなりいるが、根はこういうところにあるとわたしは思っている。下手なレビューは、レビュアーへの誤解を広めるもとだ。正直、わたしも「これは参った」と心底すげーと思わない限り、レビュー本文を書くのはためらってしまう。わたしはじぶんの人格にも筆力にも自信を持てないでいるから。


 あ、でも、いつも、いつかレビューは書こうと思ってるんですよ。いつかじぶんに自信が持てるようになれば……ね。

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