109カオス 年をとるということ

 年をとるということは、どういうことなのだろう。


 身体の自由がきかなくなることなのだろうかうん。そういえば膝は痛いし、股関節にも違和感がある。肩も上がらない。人生の折り返しを過ぎたのだ、身体にガタがくるのは仕方がないと思う。


 肉体的にはそういうことなんだろうけど、精神的に年をとるということはどうだろう。若いころと目にみえて(?)変わってくるところがあるのだろうか。人の内心は目には見えない。でも、若い人と年とった人の感覚はやはり違うような気がするのだ――。






 

『いなくなれ、群青』(河野裕 新潮文庫NEX)読んでそんなこと考えてしまいました。

 なぜ?

 シリーズ累計100万部! 大学読書人大賞! 映画化! らしいので、すごくおもしろそうと思い手にとったわけ。ところが、あまりおもしろく感じないんだこれが。


 作品をくさすつもりはまったくないんですよ、念のため。ただ、そんなにおもしろいのか、100万部のおもしろさがこれかと、正直思ってしまうわけ。


 おもしろいですよ。

 ふつうの小説として。


 どの地図にも載っていない小さな島――階段島。島は外の世界から隔絶されていて、人はもちろん、郵便やメールを外界に送ることはできない。ただ日常生活を送るために必要なものだけは、なぜか供給され続け、島の住人は作り物めいた日常を過ごしている。

 そこに自分の意思と無関係にやってくる高校生の男の子と女の子。彼らはなにかを失くしたために摩訶不思議な階段島へやってきたらしい。その失くしたものがなにか分かれば、隔絶された島から出ていけるらしい。ふたりとその仲間たちがこの島の秘密を追った数日間――というのが『いなくなれ、群青』のあらすじです。


 おもしろそうですよね。


 舞台設定やあらすじだけじゃないですよ。文体もかっこいい。謎めいていて、噛み合っているような噛み合っていないような……いうなればどことなく文学的でクール。でもなあ。わたしにはうまく届かない。ちょっと離れたところでやっているお芝居を見せられている感じ。


 小説には、読み手との相性というものがある。どんな名作であっても、すべての人の心を揺さぶることができるわけではない。合う、合わない。好き、嫌い。はたしかにある。


 ただ、年をとってくると「これはおれの好き嫌いが現れたものなのだろうか。それともおれが年をとったから、この本のすばらしさが分からないのだろうか」そう考えてしまって、もやもやするのでした。


 年をとったら、本当はおもしろいものもおもしろくなく感じたりするものなのでしょうか?

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