104カオス 考えることをやめるな

 新型コロナウイルス感染症の患者さんがふたたび増えてきた。懸念される「第二波」がやってきたのでしょうか。この春にあったようなこと(緊急事態宣言とそれに伴う外出制限)は、もう懲り懲りなのですが……。


 それでも「もう一度、緊急事態宣言を」、「ロックダウンすべきだ」という意見が聞かれます。わたしはこうした対応をとることに否定的ですが、現にこの病気で千人近い人が亡くなっていることを思えば、「無為に時を過ごして犠牲者を増やしてしまうのは、病気を広めているのと同じだ」という考えもよくわかります。


 じつは、今回のパンデミックは非常に先鋭的な問題を、目に見えるわたしたちに突きつけようとしています。「いのちの選別」という問題です。


 このさき、感染症がどの程度まで広がるかわかりませんが、この春の状況を超える事態にまで拡大すると、ふたたび緊急事態か、ロックダウンかという決断をしなければならなくなるはずです。ワクチンが完成していない現在の状況で、感染による死亡者を抑えようとすれば、人と人との接触を可能な限り減らして行かなければならないからです。


 ところが緊急事態宣言をしても、春と同じ対策をとることは非常に難しい。いや、無理でしょう。経済的な損失が大きすぎる。わたしが政策担当者であれば、とても悩むと思います。緊急事態を宣言すれば、経済はさらに冷え込むことはわかり切っています。対して、宣言するしないに関わらず、感染症による死亡者の増加ペースが上がるのか下がるのか、それはだれにもわからないのですから。


 経済が、自給自足と物々交換で成り立っていた昔と違い、現代社会は、おカネを接着剤に人とモノで組み立てられたお城のようなもの。経済活動が低下してお金が人々の間に行き渡らなくなると、お城が崩壊してしまいます。

 仕事を首になって収入を絶たれる人が増えたり、物が売れなくなったり客が来なくなって会社が倒産したり――そうしたことに直面した人が、借金や生活苦を理由に死を選ぶということが十分考えられます。


 いま、感染症による犠牲者を減らすために、感染症の拡大を防ぐための施策を進めれば進めるほど、経済的弱者の人たちを追い詰め、見殺しにしてしまうことになる――というジレンマを抱えていることが、誰の目にも明らかになりつつあります。


 Aさんを助けるとBさんが助からない。

 Bさんを助けるとAさんは助けられない。

 Aか、Bか。


 わたしたちは選択を迫られつつある。


 複雑で解決困難な問題に直面したとき、人は問題を単純化し、ことさら極端な結論を支持、選択することがあります。それは問題を直視しようとしない逃避行動です(ああ、心当たりがあり過ぎる)。


「もうロックダウンしかない!」とか「なにもする必要ない。すべてはムダや!」とか、極端な感染症対策に踊らされないようにしたいと思います。




 んん? 本も小説も関係ない?

 究極の選択という意味で『ソフィーの選択』とか、ソフィーを元ネタに採った浦沢直樹さんの『MONSTER』とか考えたんですけど、小難しすぎると思ってやめました。


 コロナ第二波、来ないといいですね〜。

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