101カオス 書くことに迷ったときには

 ネットニュースに又吉直樹さんの『劇場』が映画化される記事を読んだので、これを書いてみようと思ったのですが……


 私は高校生の頃から小説を書いていますが、就職してしばらくすると、書くことをやめてしまいました。


 当時は、いまでいう異世界転生モノのような小説を誰かに見せることもなくノートに書きつけては「小説を書いた」気になって満足していました。何者でもない私が、大好きな物語を作り出すことや、それを小説に書いているという事実だけで十分満足でした。


 どうして小説をやめてしまったのか? なぜでしょう。それはきっと、小説を書く意味を考えはじめたからだと思います。


 仕事には意味がある。食っていくためにお金を稼ぐことができるし、よくも悪くも仕事内容は評価の対象になる。仕事が嫌いなのに続けているのは、私にとって意味があるからにほかなりません。


 ひとり小説を書いているだけでは、だれにも評価してもらえないし、一円の収入にもつながりません。自己満足には限界があり、それだけでは腹は膨れないのです。

 

 若いうちはよかった。自分ひとり好きなことをやっていてよかった。そこに確かな意味はいらなかった。好きなことをできるというだけで十分だったのです。考えなくともよかった。


 大人とはつまらないものです。

 つまらなくなった小説を、わたしは書かなくなりました。小説がつまらなくなったのか、私がつまらない人間になったのか、そのときの私にはよくわかりませんでした。


 いつのまにか、小説を書かなくなって、20年余りが経っていました。私は小説を書くことはもちろん、読むことにも興味を失いかけていました。一言でいうと、普通の人になりかけていたのです。


 そんなときでした。又吉直樹さんが『火花』で芥川賞をとったのは。世間の人は皆驚いたし、私も驚きました。と同時に自分自身、「これでいいのか」ととても心を揺さぶられました。私は小説を書かなくなっていたけれど、決して嫌いになったわけではなく、小説で認めてもらいたいという気持ちはずっと持ち続けていたのです。作家・又吉直樹の登場によって、私はそのことを切実に突きつけられました。


 ――又吉ですら書いてるんだ。お前はどうなんだ。


 又吉さん以前にも、同じような感覚に捉えられることはありました。平野啓一郎さんが『日蝕』で芥川賞を受賞したときや綿矢りささんが『蹴りたい背中』で同じく芥川賞を受賞したときです(芥川賞ばかりやな…)。「おれはこんなことをしていていいのか?」と。

 ただ、受賞当時、平野さんは京大、綿矢さんは早稲田の大学生でした。地方の三流私大出身の私とは違うんだと、自分を納得させていました。「おれとは違う人たちなんだ」


 しかし、又吉さんは違いました。彼は大学を出ていない。お笑い芸人です。しかもお笑い芸人・ピースは、テレビで観ていましたが、相方の綾部さんはともかく、又吉さんはテレビ映りのいい芸人ではありません。個性的なキャラクターだとは思いましたが、芸人としてはおもしろいとは思えませんでした。バカにしていたといっていいでしょう。だからなおのこと、又吉さんの『火花』はショックだったのです。


 ――又吉ですらそうなのだ。いったいお前は??


 五年前、私はふたたび小説を書きはじめました。昔と違って、ひとりで書いた小説も投稿サイトで批評してもらえる時代になっていたことも、私の執筆を後押ししました。しかし、なにより私の創作意欲を叱咤し、また激励するのは又吉直樹さんと彼の小説たちです。書店で又吉さんの本が並んでいるのを見るたびに「おれはまだ続けてるよ。あんた藤光は?」と話しかけられているように感じられてなりません。


 私の作風と又吉さんの書くものはぜんぜん毛色がちがいます。小説の内容に影響を受けたこともありません。でも、又吉さんには、これからもずっとずっと書き続けて欲しい。彼が書き続ける限り、私も書き続けられるような気がする。自分がつまらない人間ではないと信じられそうな気がする。

 

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