81カオス 言葉にできないことを表現する

 小川洋子さんと河合隼雄さんの対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮文庫)を読み直していると、ふと「箱庭療法」という言葉が転がり出てきました。


 このエッセイで箱庭療法について書く前に、小川洋子さんと河合隼雄さんについて少し書いておくと、小川洋子さんは小説家です。『博士の愛した数式』で第一回本屋大賞されています。河合隼雄さんは臨床心理学者。ユング派分析家の資格を日本ではじめて取得したユング心理学の第一人者で、対談当時は文化庁長官をされていました。


 対談は映画化された『博士の愛した数式』に河合さんが興味を持ったことをきっかけに実現したと小川さんが「あとがき」に書いてますが、小説家と心理学者とはおもしろい取り合わせだと感じました。


 次に箱庭療法ですが、Wikipediaから箱庭療法について抜粋すると。


☆ 箱庭療法は、心理療法の一種で、箱の中にクライエントが、セラピストが見守る中で自由に部屋にあるおもちゃを入れていく手法。表現療法に位置づけられるが、作られた作品は言語化されるときもある。基本的に自由に見守られながら表現することが重要であるといわれている。


よくわかりませんが、語彙の不足(とはいっても、決してネガティブな意味ではない)や人に対する不信感などを理由に、自分の思いを言葉にできない患者さんに箱庭を作ってもらうことで自己表現してもらおうという心理療法だと理解してます。


 河合隼雄さんは、この箱庭療法を日本に紹介した人でもあるのですが、箱庭療法について「大きい問題を持っている人(中略)その人の持っているものが完璧に出てしまう」と語っています。「その人の物語を作っている」とも。


 この部分を読んで私はあれっと思いました。小説を書くという行為も箱庭療法に似てないかと。


 変な例えになりますが、私にとって小説を書くという行為は、プラモデルを作るという行為とよく似ているのです。言葉という部品パーツを組み上げて、ひとつの物語モデルを作り上げるところが、私にとって同じなんですね。異なるのはプラモデルには設計図があり、小説には設計図がない(自分で設計図をひかなければならない)ところくらいです。私は箱庭を作ったことはありませんが、プラモデルと箱庭はお互いにそう遠くはない遊びと思いませんか。


 考えてみれば、小説を書く人は小説以外の方法ではなかなか吐き出すことのできない、もやもやしたもの(悩みとか、葛藤とかいった言葉にすらならないもの)を小説の形を借りて自分の外に放出しているのではないか。いや、きっとそうです。そのことで自ら心の平衡を保とうとしているのです。



 この本を読んで、小説の文体がどうのとか、テーマがこうのとか小難しいことは考えず、もっと肩の力を抜いて好きなこと書けばいいのかな思いました。

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