65カオス 新聞の書評欄を見直した話

 ずっと気になっていた小説ではあった。

 まだ我が家が新聞をとっていた四年くらい前のこと。日曜日の書評欄でこの本の書評をみてから、「どんな本なんだろう。おもしろいに違いない」と思い続けてきたのですが、単行本で買えるほどおこづかいに余裕があるわけでなし、文庫本が出るのだろうか――と考えながら忘れてしまっていたのが、


『大きな鳥にさらわれないよう』(川上弘美 講談社文庫)


でした。


 結論をいうと、とても楽しめました。


 新聞の書評欄にがっかりさせられたらことが何度もあったので、あまり期待せずに読みはじめたのがよかったのかもしれません。


 はるか未来の地球。ゆっくりと、しかし、確実に滅びへの道を歩みはじめた人類は、なんとかして自らの未来を切り開こうと、人類をいまとは別の新たな人類へと進化させる計画を進めようとしています。

 彼らは自らをいくつもの“コロニー”に分散させて互いに隔離しました。それぞれのコロニーに住む人々のなかに独自の遺伝的形質を蓄積させ、お互いの差異が人類を次のステージへと導く進化のきっかけとなるほど大きくなるまで。

 計画はいくつかのエラーと修正、進展と頓挫を繰り返しながら実行されていきますが、大きな運命の力には逆えず、やがて人類は滅びのときを迎えて――


 という筋立てのお話。


 滅びに瀕した世界。特異な能力や形態を獲得したヒューマノイド。孤立のなか独特の文化を形作った社会。人類の生存を支えてきた人工知能システムの生成と崩壊。

 小説を構成する素材を列挙していくと、まったく目新しいものはありません。SF好きの人なら、一度が二度は出くわしたことのある物語のパーツばかりです。そう。個別のテーマを手にとって調べてみると、この本は驚くほどSFの王道をゆく小説なんです。


 ただ、私の抱くSFのイメージとはだいぶ違う内容です。だいたいSFというものは、主にサイエンスやテクノロジー(物理的なものもありますし、広い意味では社会的・制度的なものも含みますね)に興味があって、それこそが物語の主人公であることがままあるんですよ。そこに描かれる人々は、物語の主役であるサイエンスやテクノロジーの引き立て役みたいな位置づけだったりします。


 この『大きな鳥にさらわれないよう』は、そこが逆転してます。どんな異質な社会を作っても、どんな奇妙なシステムを築き上げても、物語の主題はそこに暮らしている人々の内面にあるんです。明確に。とても変わってます。


 作者の川上弘美さんは芥川賞も受賞した純文学作家です。


 純文学――?

 違和感がありますね。これはどう読んだってSFです。SFとしての評価が不当に低いように感じます。純文学作家が書いたからでしょうか、掲載された雑誌がSF専門誌の『SFマガジン』じゃなく、文芸誌(純文学専門誌)の『群像』だったからでしょうか。


 純文学って読まれないじゃないですか(SFだって読まれない? ……仰るとおり)、この本は純文学やSFといった小説の「ジャンル」をまたいで書かれた小説です。それがこの小説を楽しむポイントでもあると思うのですが、純文学の読者からは「純文学っぽくない」と評され、SFの読者からは「SFらしくない」と敬遠されている――のかなあと個人的に感じるのですがどうでしょう。


 そもそも「いかにも純文学でございます」って小説や、「SFファンお墨付き」の小説ってものは、私には響かないんです。軽く嫌悪感すら感じます。


 物事の核の部分より辺縁に魅力を感じるというか、私自身がいろんなこと(人間関係を含め)において、その中心にいるというよりは端っこの方の存在だという自覚があるからだと思います。大勢の人が取り込まれてしまう求心力が作用しない人なのかもしれません。


 ま、私のことはともかく『大きな鳥にさらわれないよう』。純文学ファンもSFファンも一読の価値ありです。私と同じようにおもしろいと感じられるかは保証しかねますが。

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