61カオス 視点の問題

 前回は、人称の話をしました。

 人称に何を選ぶかというのは、これまでどんな小説を読んできたのか、それは何人称で書かれていたのかという、その人の「読書歴」が如実にあらわれる箇所だと思います。三人称の小説を読んできた人は、三人称を選ぶし、一人称の小説を読んできた人は、一人称を選びます。


 なので、小説を書きはじめたばかりの作家さんは、人称に悩んだりはしない。悩むのはある程度小説を書いた経験のある人でしょう。


 今回は、前回の人称とは切っても切れない関係にある視点の話と、視点に関係する視線の話をしたいと思います。


 今回も「へえ、藤光はそんなふうに考えてるのか〜」というスタンスで読んでもられたらなと思います。



 ☆ 視点ってなに?


 小説を映画と考えたときに、その場面の映像はどの位置にカメラを据えて撮影されているかを想像してみましょう。そのカメラを据えた位置が、その小説の「視点」です。


 視点(カメラの位置)は、その小説が採用する人称によって、それが置ける場所と置けない場所がでてきます。


 一人称の小説の場合、視点は主人公の目の位置と同じです。読者は主人公と同じものを見、同じものを聞き、同じことを感じます。不自由なことですが、このルールを逸脱すると、途端に一人称の小説はくだらない与太話となってしまいます。


 その点、三人称の小説は、視点を自在に設定することができます。

 すべてのキャラクターを同じ距離から俯瞰的に捉える視点に設定すると「神視点」になりますし、特定のキャラクターのすぐそばに設定すると「一元視点」、複数のキャラクターのそばに次々と設定していけば「多元視点」となります。


「神視点」は、小説の文体として使いやすい反面、キャラクターの内面描写が苦手で、描写は説明的になりがち。特に、文章力の低い神視点の小説は、読むのが非常に退屈になるという危険性をはらんでいます。


「一元視点」は、三人称の小説のなかで、一人称の代用として使えますが、一人称の小説と同様、コロコロ視点を変えると読者が興醒めしてしまうので、ほぼ主人公から視点を変えられないという不自由さが付きまといます。


「多元視点」は、三人称の小説ならではのキャラクターに応じた視点の転換ができる文体ですが、文章構成力の高い人でないと、ひとつの文章に複数の視点が混在するなどして、読者に無用の混乱を強いることになりかねません。


 一人称にしろ、三人称にしろ、ひとつの小説のなかで視点が頻繁に移動すると、とても読みにくい小説となってしまうので、小説を書き慣れないうちは、視点は固定しておくと考えて間違いないと思います。


 私などは、視点を変えたい誘惑と戦いながら小説を書き続けている面があります。同じ視点で書き続けるというのは、書き手によっては結構退屈な作業で、行き詰まったときなどは視点を変えて気分を入れ替えたくなるんですよ〜。でも、安易にそれをやるのは書き手としての敗北ですから(笑)


 ☆ 視線ってなに?


 視線はむずかしいですよ。もし、視線が混乱している作家さんがいたら、それを自力で直すのはむずかしいです。それは文章を書く上での癖のようなものなので、自身ではなかなか気づけないから。


 会話主体の小説に「視線の問題」ってあまりないから、会話で物語を進めていく小説の作家さんは参考程度にしっておけばいいかもです。


「視線の問題」は、その小説が採用している「視点(人称)」から、描こうとしている事柄がどう見えるか、それはすっと納得のいく形で描写されているか――というところに現れます。


 たとえば、一人称を採用していて、主人公は居間にいるのに、主人公からは見ることのできない、玄関の描写をしてしまう――というのが、「視線の混乱」です。読者は、主人公目線で物語を読んでいるのに、突然、視線が飛んでしまい「この箇所ってどういうこと?」と混乱してしまう……というのが、ありがちなパターンです。


 一人称に限りません。三人称でも、特定のキャラクター目線で物語が進行していたのに、そのキャラクターには察知しえない描写が文章に挟まれると「なに、この部分?」と読者は違和感をもってしまいます。


 視線の混乱は、読み手と書き手の意識のギャップがこれを発生させているのですが、多くの場合、書き手はこれに無自覚&無頓着ですね(笑)


 書き手が、アニメや漫画などで多用される頻繁な場面転換を念頭において小説を書くと発生してしまいがち。小説は次々と場面転換させることで、テンポの良さを演出できるメディア形態とはいえないんです。


 あと「視線」についていうと、その視線の移動がスムーズに行われているかどうかで、文章の完成度が違ってきます。


 手前から奥へ、近くから遠くへ、現在から未来へ……事物を描写するにはスムーズな視線の誘導が欠かせません。


 私たちがテレビをぼーっと見ながらなんの違和感も感じないのは、実はカメラマンが操るカメラの視線移動が実にスムーズだから。さらに、カメラの映像を編集した人が視聴者に不自然さを感じさせないよう、取捨選択した映像を上手に繋いでいるからにほかなりません。


 作家はそれをひとりでしなければならないんですけど、書きはじめた頃はそのことにまったく気づけない――というか、私は気づかなかったですね。いまでもすごくむずかしいと感じてます。


 視点の問題は、「描写の問題」と多くの部分が重なるので、情景描写や心理描写の少ない会話主体の小説ではあまり気にしなくていいと思います。


 ラノベとか、Web小説は会話メインですよね。場面転換も多いし、唐突。あまり参考にならないかもしれませんが、私が小説を書きはじめて、最初にぶつかった壁が視点と視線の問題だったんです。


 いつか「情景描写してみたんだけど、しっくりこない。読者受けも悪い」というような状況に陥ったときに、これを思い出してみたら、その状況を突破するヒントになるかもしれませんよ♪

 

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