37カオス 底の浅い読書をしていた!
このエッセイを書き始めた理由のひとつが、Eテレの「100分de名著」だったことは、これを読んでくれているみなさんにはご承知のことと思いますが、「100分de名著」の動画を見たり、テキストを読むうちに気づいたことがあります。
気づいたというか、いままでなんとなく分かっていたけれど、ようやく形になったという感覚。それは小説の読み方、楽しみ方についての気づきです。
「100分de名著」をみると、必ずといっていいほど、取り上げられた名著の著者についての解説があります。
いつ、どこの、どういった家庭に生まれたのかその生い立ちは? ってな具合に。最初は、「教養番組ってそういうものだから」となんの疑問もなくみていたのですが、ちょっと深く考えると引っかかるものがあり、それっなぜだろうとふと思ったときに気づいたのです。
――あ。小説の向こう側に、書き手をみている。
よく小説を読む人は、物語の筋を追っているだけではなくて、その物語を書いた人の意思や感性、人生観といったものまで読み取り、それらを含めた「作品」として鑑賞しているのではないか。
なので、小説そのものがどういう筋立てなのかに止まらず、これはどういう人によって書かれたのか? その背景は? ということが、小説を読む上で意味を持ってくるのではないか。それが正しい読み方というわけでないにしろ、ひとつの、そして味わい深い理解の仕方なのではないかと。
そう考えると、私は実に底の浅い読書を繰り返してきています(汗
小説を読むときは、読みやすいものを優先して選びますし、読み方も流し読み、著者に対する興味はほとんどありませんし、一度読んだ小説は、二度と読み返すことはありません。
列挙すると、小説を「理解する気がない」としか思えません(大汗
ただ、「小説の向こう側に、書き手をみる」読み方に心当たりがあるケースもありました。それは、同じ著者の作品を読み継ぐという読み方です。
以前の私は、宮部みゆきさんの小説が好きで(過去形でいわなければならないのが寂しい)、10年ほど、宮部みゆきの新刊が出るたびに即買いしていた時期がありました。
同じ著者の本を読み続けていくと、作品を重ねるごとにちょっとずつ作風が違ってくることが分かります。
宮部みゆきの場合、初期はその語り口のうまさ(これは今でもずぬけてうまい)で読者の興味をそらさない作風でしたが、だんだんその作品が社会性を帯びてきます。『火車』や『理由』でしょうか。
そして、作者の視線は『悪』や『悪意』に向けられるようになります。これは『クロスファイア』に強く現れ、『模倣犯』では気持ちが悪くなるくらい稠密に描かれるようになります。意識して読むと、以後の宮部作品には『悪とは』という問いかけが、通奏低音として流れているのがわかります。
初期の作風が好きだった私は「宮部さんのなかでなにがあった? なにが彼女の小説を変えた?」と考えながら中期以降の作品は読んでいたのですが、今振り返るとこれが「小説の向こう側に、書き手をみる」読み方だったんだなあと思い至ります。こういうことかあ。
小説は、一個の作品だけとらえて読むのが普通の読み方だし、それでいいのですが、より味わって読もうとすると、それが描かれた時代背景や作者のおかれた境遇、意識の変遷など「調味料」となるものがたくさんあるのだなあと考えさせられました。
とりあえず、私は一度読んだだけの小説を本棚から引っ張り出して、読み返してみようかな〜と思っています。みなさんはどうやって小説を楽しまれてますか?
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