36カオス 未知とのであい
『未知との遭遇』って映画があります。アメリカ映画界の巨匠スピルバーグの監督作品で、地球人と地球外生命とのファーストコンタクトを描いたSF映画で1978年に公開され、日本でも大ヒットしました。
えっ、映画の話かって?
いえいえ、小説の話です。
「100分de名著」のテキストに、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『ソラリス』を取り上げたものがあります。以前から気になっていたのですが、昨日、買って読みはじめました。
『ソラリス』はSFです。サイエンス・フィクションですね。「100分de名著」で取り上げられるのは、哲学書や思想書が多いので、小説、なかでもSFが取り上げられるのは異質です。SF好きの私としては、とても気になるテキストでした。
SF好きとはいいながら、『ソラリス』は読んでません(底が浅い! 笑)ただ
とても評価が高い作品で、オールタイムベスト でも常に上位に入るSFだとは知ってました。でも、非アメリカSFでとっつきにくそうでもあり、読むのは避けていたんです。
今回「100分de名著」のテキストで詳しい内容をはじめて知ったのですが、なるほど魅力的なSFです。ひとことでいうとファーストコンタクトもののSFです。冒頭に「未知との遭遇」をもってきたのは、ファーストコンタクトつながりからです(笑)
簡単に説明すると『ソラリス』は、ソラリスという未だによく分かっていない惑星を観測、探査するためにソラリスを巡っている観測ステーションで起こる不思議な出来事を描いた小説です。
このソラリスの表面は海に覆われているのですが、どうも「海」がある種の生命体のようだ――さらにこの「海」はなんらかの理性を備えている可能性があり、「海」とのコミュニケーションを実現させるため、人類はステーションから「海」の観測を続けているというのが小説の設定です。魅力的だあ……。
この小説は、「海」というなにからなにまで人類と異なっている存在(おそろく簡単にいうと「宇宙人」)とのコミュニケーションはどういう形をとるのだろう、それは可能なのか――ということが大きなテーマとなっています。
他者を理解するとはどういうことか? ですね。
小説やエッセイを書く人は(そして読む人も)、この「他者理解」という視点を外して、文章を書いたり読んだりしてはならないと思いませんか。
よくあるのは「理解した気になっている」ってやつです。(お、ブーメランとなって私に返ってきそうな…)
『ソラリス』の作中、心理学者たちは「理解した気になる」ことを否定し、「海」を理解することができないことを認めたまま、物語は終わります。
作者のレムは、この小説で他者を(相互に)理解することは非常に困難であるということを描いているのですが、同時にその困難に絶望する必要はないということを、『ソラリス』を描くことによって示そうとしたのではないかと思うのです。
ひるがえって考えると、「小説が読んでもらえない」とか「エッセイのPVが上がらない」とかスマホをのぞきながら文句をいっている自分が恥ずかしい(笑)
理解してもらえないことを嘆いてもはじまらない。『ソラリス』を持ちだすまでもない。簡単に理解されるわけないんだから。
レム流の考えでいくなら、理解されないことに絶望することなく、書き手は書き続けるしかないんじゃないか――?
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