35カオス あたりまえを揺さぶる小説

 このあいだ、「幕間狂言」でちょっと触れた本、『レプリカたちの夜』を読み終えたので、感想を書いておくことにします。


 奇妙な本でした。


 なんともいいようのない、わけがわからない小説でした。なんでこれが新潮大賞の受賞作なのか、その点に関しては疑問に思いました。


 まったく「ミステリー」ではない。


 ミステリー(小説)というのは、なんだかあやふやなジャンル分けで、私は好かない。80年代以前は推理小説と呼ばれていた小説のジャンルで、作中、殺人事件が起こり探偵役が犯人を推理するというのが、ミステリーの黄金パターン。少なくとも「謎」と「謎とき」のないミステリーはミステリーではない――と私は思っていたのですが。


『レプリカたちの夜』は、書かれていることのほとんどが「謎」でありながら、「謎とき」はなされたのか、なされてないのか分からないという、小説の本質自体が「謎」な本でした。


 ネタバレは避けたいので、内容には触れませんが、多くの部分でわけがわからない小説です。


 不条理の森の中に、ひとすじだけ道のようにみえるけもの道がとおっていて、ときどきそれも目を凝らさなければ、見失いそうになる。先は見通せないし、これが正しい道なのか、道しるべとなるものがないので、あって何が書いてあるのかわからないので、分からないというような小説。


 ぜったいに一般受けしないと断言できます。新潮ミステリー大賞の関係者は勇気があるというか、無茶というか……。とにかく出版社の名前を冠したエンタメの賞に、こんなに楽しむことが難しい小説を選ぶなんて。ウィキペディアによると、最終候補作は東映が優先的に映像化の権利を得るらしいですが、これが大賞と聞かされた東映の社員さんは「これムリ」と思ったにちがいない(笑)


 とにかく不条理、なぜそうなるか脈絡に欠けているので、わけがわからない。それでいて最後まで読めるのは、ユーモアのセンスと軽妙な文体のおかげ。絶妙なバランスの上に立った迷作だと思う。


 正直、この小説がおもしろいかと問われたら「おもしろくない」としかいえないのですが、ほかの小説にはないがある。


 このわけわからないものが、なぜ書かれたのか、なぜ大賞に評価されたのか、この中でなにを訴えたいのか、私の常識からは想像もつかない。でも、そう考えたときに、私の常識ってどの程度常識なのか、その常識に拘泥しているがゆえに、分からなくなってしまっているものがあるのではないか、と考えるキッカケにはなった。


 ばかばかしいけれど、ばかにしてはならない――そんな小説。さっそくうちの本棚にさしておきます。

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