26カオス 私の幻想(ファンタジー)遍歴①

 依然として異世界ファンタジーが大人気のカクヨム界隈。猫も杓子も「異世界ファンタジー」なのは、興ざめなのも甚だしいと感じる一方で、


 ――それにしても大したもんだ。


と感心したりする自分もいます。


 感心? なぜ私は異世界ファンタジーがもてはやされることに感心してしまうのか、自分の中で整理するためにも私と異世界ファンタジーの関わりから振り返ってみたいと思います(極めて個人的なテーマだな!)。




 私と異世界ファンタジー。その、そもそものはじまりは、コンピューターゲームからです。

 人によって異論があるとは思いますが、直接的に私が「異世界ファンタジー」に触れたのは、コンピューターゲームでした。


 現代ではコンピューター(パソコン、スマホ)に触れない生活というのは考えられませんし、とりたてて特別なことではありません。しかし、コンピューターゲームというのが一般的になりはじめた80年代はそうではありませんでした。コンピューターは、未知の可能性と未来が詰まった「夢の箱」だったんですね。男の子はみんなコンピューターを持つことに憧れてました。


 コンピューター(「マイコン」と呼ばれた)の発する単純な電子音に私たち男の子がどれほど魅了されたか、今となっては想像もつかないでしょう……。


 それを形にして子供達の前に提示してみせたのが、手軽にコンピューターゲームを遊ぶことがてきる「おもちゃ」、ファミリーコンピューター(通称「ファミコン」)ですが、これは脇道になるのでここまでにしておきます。


 あまりの人気に品薄であったこともあってファミコンを買ってもらうことができなかった私の視線は、パソコンの方に向きました。80年代半ば、「ホビーパソコン」と呼ばれたパソコンの世界(あー、オタクの香りがするっ)では、ファミコンに先駆けてさまざまな「コンピューターロールプレイングゲーム」が出ていたんですね。そのほとんどすべてが「異世界ファンタジー」だったのです。もちろん。


 コンピューターRPGの記念碑的ゲームである『ウィザードリィ』、国産RPGの金字塔『ザナドゥ』、『ハイドライド』、アクションRPGのひとつの到達点『ソーサリアン』……、そしてこれはファミコンですが、キングオブRPG『ドラゴンクエスト』。


 具体的なゲームタイトルを上げるときりがないので避けますが、「ゴブリン」だとか「オーク」だとか「スライム」だとか、一般にはまったく役立たない言葉を色々と覚えたのはこの頃のことです(笑)


 この「異世界ファンタジー」の盛り上がりは、コンピューターゲームの世界だけにとどまらず、書店に並ぶ本にもにじみ出てきます。そのひとつが「ゲームブック」です。


 ゲームブックは、文章を読んだ先にある複数のパラグラフからひとつを選択していくことによって、物語が分岐していく――読者(プレーヤー)によって物語の展開や結末が異なる――という本で、コンピューターゲームの代替物として大いに流行しました。


 現在では、ゲームブックという本の形態は終わったコンテンツであり、書店で見つけることは難しいですが、当時は書店にゲームブックコーナーが設けられるくらい、各出版社からたくさんのゲームブックが出回っていました。


 いろいろなジャンルのゲームブックがありましたが、その本流はやはり「異世界ファンタジー」です。なかでも、


『ドルアーガの塔 魔界の滅亡』

『ネバーランドのリンゴ』


などは、本の小口が擦り切れるほど遊び(読み)ました。


 そうこうする間に、ゲームブック以外の本の世界にも「異世界ファンタジー」が顔を見せるようになりました。「異世界ファンタジー」を描く小説が書店に並び始めたのです。それは後年、「ライトノベル」と呼ばれるようになる小説群の先駆けであったように思います。


 その一つが――『ロードス島戦記』でした。

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