7-6-2

 指定は二十一時半に最寄り駅。あと一時間ほどだった。

 ――省吾と合流して。誘拐になっちゃうと困るから、ご家族には言っておいてね。

 孝志へのメッセージに『島に行く』とは書けなかった。本当に行くとしてその方法も見当もつかない。省吾といることを書くに留めた。

 ――動きやすい格好で。

 慌ててクローゼットをひっくり返した。取り出しやすいところにあるものはひらひらした服ばかりだった。デニムのパンツを引っ張り出し、綿のシャツを上に着た。島は常夏。こちらは秋のまっただ中。調節できる方が良いだろう。

 ――乗り物酔いの心配があれば薬を。

 酔い止めはたぶん、不要だろう。船ならば何度も行き来し十分に慣れた。

 ――帰ってくるのに三、四日は覚悟して。

 船なら片道二日かかる。驚くような時間ではない。

 孝志からメッセージは返ってこない。曽田や谷村や松木や、ODKのいろいろな人と会って話しているのかもしれない。

 省吾の姿を閉店後の駅ビルの明かりの下に見つけたとき、知らず息を吐いていた。美空をみとめた省吾の顔は厳しくて、美空は思わず息を呑む。

「俺は美空ちゃんが行くのは反対だから」

 省吾は踵を返す。向かうのは改札へ向かう階段だ。

 美空は小走りで着いていく。

「裕太郎がどんな手段を考えてるかもわからない。島の状況は聞く限り、かなり危険だといえる」

「でも、行く」

「最悪のことだって十分あり得る。団長は谷村さんと国に掛け合ってる」

「外国の船と神殿……格納庫、でしょ。わかってる」

 改札を抜ける。時刻票を見てホームを選ぶ省吾の背中を追っていく。会社帰りのサラリーマンが、塾帰りの高校生が、酔った顔した大学生が流れていくホームを逆らうように歩いて行く。

 それだけじゃない。呟かれた声を聞いた気がして顔を上げる。省吾がちらりと振り返り、美空は程なく追い付いた。

「今朝方、美空ちゃん……フカミちゃんの連絡より前に、松木さんが異常に気づいた。格納庫の温度が上がっているって内容だった。美空ちゃんからの連絡は、会議をしている時だった。正式に自衛隊に要請することになるだろうって話してた」

 省吾の足は待ち人の少ない乗り場で止まった。美空は息を弾ませながら、隣にピタリと並んで立った。絶対置いてなんて行かせない。

「要請が通れば、一日半。三十五時間くらいで自衛隊は現地に着く。明後日の昼頃になる」

 電車の到着を告げるアナウンスがホームの上を流れていく。東京を過ぎた他県まで行く快速だ。東京までで一時間、船の出る波止場までなら更に三〇分、もどかしくともかかってしまう。島までなら、もっと。

「でも、間に合わないんじゃないかと、俺は思ってる」

「間に合わない?」

 大きな手が頭の上へ降ってきた。滑り込んできた電車のドアが大きく開く。人気のない車両に乗り込んだ。

「温度が上がるはずがないんだ。例え、『神様』が想像通りのものであっても。松木さんの監視するセンサーの中に温度計があって、上がっているのが事実なら、神様は思ってもみない状態なんじゃないかと思う」

 見上げた省吾は、怒っているとも、悔しがっているとも見えた。

 神様が、核燃料だったとして。フカミの見たものがドライキャスクだったとして。美空は調べたことを思い出す。事実と記述をすり合わせる。

 ドライキャスクは常温保管を目的とした設備のはずだ。十分に冷えた燃料は自然対流で冷やされ続け常温を保つようになっている。

 温度が上がった。つまり、対流がなくなった。空気が流れなくなった?

「えっと、どんどん温度が上がっちゃう……?」

「数日で目に見えるほど上がるようなものじゃない」

「え、でも」

 外国人が来た。

 神殿が開いた。

 島長は閉じ込められて。

 格納庫の――神殿の温度が上がった。

 わかっているのは、これらの事実と思われる情報だけだ。

「だから行くんだ」

 東京駅で乗り換えた。乗り換え先は、美空が一度か二度か乗ったことがある程度でほぼ知らない路線だった。電車に揺られること三〇分。駅前でタクシーを捕まえ更に一〇分。降り立った先は波音が間近に聞こえ潮の香が満ちる場所――東京湾の最深部だ。

 日付はそろそろ変わろうとしていた。美空は眠い目をこすりながらタクシーを下り、目を見開いた。

 強く明るい光の中に桟橋が浮かび上がっている。桟橋に並ぶのは、船でもボートでもなかった。翼があり、窓がある。翼の位置は上だったり、横だったり。プロペラがあったり、なかったり。

 小型飛行機が波に揺られながらもお行儀よく見渡す限りに並んでいた。

「こっちだ!」

 新戸の声と大きく振られた手を目指す。揺れる小型セスナの機体を叩き、新戸は悪巧みするような笑顔を浮かべた。

「いらっしゃい。覚悟は良いかい?」

 振り返った省吾の上着を美空は力一杯握りしめた。

「なんで美空ちゃんに知らせたんだ」

 省吾の声にはため息がたっぷり混じっている。

「紳士協定ってヤツさ。子供扱いする気は無いよ。覚悟があるなら、俺にとっては協力者さ」

 新戸の声はいつもの通り、どこか笑みを含んでいて。

「かなり危険なことになる。それでもいいかい? 内山美空さん」

 差し出された手を、息を呑んで美空は握る。

 諦めたような盛大なため息が、で、とその場の話題を変えた。

「誰が操縦するんだ」

「ん? あぁ、俺」

「免許は」

「ピッカピカの初心者だよぅ」

「機体は」

「会社の。買ってもらった。中古だけどね」

「いつ」

「いやぁ、返還される前に行っておきたいと思っててさぁ。ちょーっと問題があって、なかなか申請できなくて。カルノ君みたいに船舶免許にしておけばよかったかなって」

 機体の陰から作業着の人が出てきて離れた。離れ際に新戸の肩を一つ叩く。

 新戸はさて、と機体に向き直った。

「美空ちゃんは後、省吾は横ね。あ、トイレは行っておいてね」

 言うなり新戸は真っ先に機体へ乗り込んだ。

 省吾は一度下を向き顔を上げるとハシゴへと足をかける。美空へと振り返り、諦めたように乗り込んだ。

 美空も続いてハシゴへと取り付いた。翼に手をかけ乗り込むと、閉め方の指示が飛んできた。

 八人乗りの座席の後部は美空には二抱えほどもありそうな缶で埋まっていた。空いているのは操縦席とその隣、そして後の併せて四席だけだった。更に空いている座席の一つは、かばんやらケースやら乾パンやら水やらがひざ掛けやらが箱の単位で積まれている。

「フライト予定は四、五時間ってとこかな」

 パチリパチリと新戸はあちらこちらのスイッチを入れる。どぅるんと機体が大きく震える。機体を波に揺らしながら、沖の方へ機首が向く。

「さぁ、行こうか」

 音とともに機体が海を跳ね始める。シートベルトに体を固定されながら、美空は窓の外を見る。街の明かりが流れていく。海岸が流れ、ビルが流れ、ランドマークのタワーが流れ、ふっと、揺れがなくなって。眼下を船が流れていく。

 ふと、かばんの中のスマートフォンがメッセージの着信を告げた。

 ――気をつけて。無事帰ってきてね。

 柳瀬のアイコンが祈っている。美空はメッセージを打ち込んで。送信は失敗したと表示が出た。

 美空はスマートフォンをかばんの中に深くしまう。星空へと視線を向けるとぐるりと回り。飛行機は南南西へと機首を向けた。


「降りる直前に救難信号を出す。第十一管区の海上保安庁が駆けつける手筈になってる」

「なんだその手筈ってのは」

 光で出来た海岸線は房総半島を形作る。やがて前方に淡光に浮かぶ島影がいくつか見えてくる。

 新戸と省吾の二人の声が、窓の風音とエンジン音のその合間に漏れるように聞こえてくる。

「うちの上司がコネ使って海上保安庁にねじ込んでいるはずなんだよ。十一管区で救難信号を受信したら、燃料積んで大型の船で向かってくれって」

「燃料」

「問題があるって言ったろ。航続距離が足りないんだよ。島まで行ったら給油しないと」

「馬鹿か」

「馬鹿だからできることもあるんだよ、省吾くん!」

 寝ていいよとは言われても、眠れる気はしなかった。

 美空は視線を上へとずらす。少し汚れた窓越しに、秋の夜空が輝いている。まるで島で見るかのような。

「一番近いのが十一管区だけど、それでも、到着まで一日くらいはかかるな。周辺のパトロールは出来ても、信号を受け取らない限り、目立つ行動は出来ないって釘をさされた。そうじゃなくてもこのご時世だからな」

 外国籍の漁船が周辺海域によく現れるとは時折ニュースで聞いていた。東京からの不確かな情報だけでは動けないと、そういうことなのだろう。

「降りたら真っ先にお前と美空ちゃんを下ろす。俺はそのまま湾に回る」

「湾に?」

「明け方、まだ暗いうちだろうが、見つからないってのは楽観的すぎるだろ。のんきな新聞記者が取材に来る。帰る燃料もなくなり立ち往生して救助を求めて上陸する。そういう筋書き」

「テロリストだったら」

「賭けな部分はあるけど、大丈夫じゃないかと思うんだ」

「それこそ楽観的じゃないのか」

「証拠を残したら逃げるに逃げられないだろ?」

「証拠?」

「カルノくんも、後続の記者も東京に無事帰ってる。救難信号はもう出てるんだ。何れ海上保安庁かいほがやってくる。機体が島という安全な場所にあり、操縦者は行方不明。それはもう、事故じゃなくて事件だ。余計な調査が入ってくる。テロリストでも関係なくても、こんなところまでやってくる連中がそこを考えないとは思えない」

「それでも、捕まったりするんじゃないのか」

「だから、お前たちを先に下ろす」

 省吾と二人で先に降りる。新戸は機体を湾に回す。機体は島人に見つかるだろう。もちろんのこと、外国人にも。操縦者は殺されたりはしなくても、拘束ぐらいはあるかもしれない。

 注意は機体と操縦者に向くだろう。上陸出来る場所は海岸しかない。協力者をすでに下ろしているとは思うまい。今までのように馬鹿な新聞記者が一人、島を訪れ見事に遭難しかかっている。そう思われるはずだった。つまり。

「囮になるってのか」

「言い方はいろいろだねぇ」

 新戸は一度言葉を切る。省吾のものらしいため息が響いた。

「俺もまあ、考えたんだけどね。島で今、何が起こっているのかが問題なんじゃないかと思う。初上陸の余所者が、それに対応できるとも思えない。もちろん、俺も取材はしたいけどね」

 何が、起こっているか。

 外国人が来た。

 神殿が開いた。

 島長は閉じ込められて。

 神殿の温度が上がった。

 ――一体何が起こっているのか。

 これから何が起きるのか。フカミは、無事か。

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