7-3

 シノに呼ばれて正面に立ち振り返って見た集会場は、壁についたシミの位置まで知っているような場所であるのにやたらと広く感じられた。フカミを見上げる視線の数は数えるまでもなく少なくて、寂しさのようなものまで感じてしまう。

 時折行われる集会は、ホシンが運んできた衣服の分配、『お別れの会』に伴う連絡、その他伝えるべきコトを余さず伝えるための場だ。全員出席が原則だった。が。

 子供舎は常とさほどは変わらなかった。農舎の集団はホマレとホマレに近い数人を欠いていた。ジョアンナの姿はあって、フカミはかえって首を傾げる。漁舎はもっとずっと明らかだった、子供舎の集団と一緒に現れたショウゴは集団から出ず、心細そうに入り口ばかりを気にしている。

 騒々しくドアが開かれカタセとシガラキが入ってくる。島長は集会場の正面奥。神の扉の前に立ち、おもむろに口を開いた。

「今日集まって貰ったのは皆も承知している通りだろう。近頃島の周りに本土の船が多く来ている。何隻かは入港したが、これは掟に触れる行為である。船には触れることなく扱ってほしい」

 子供たちはぽかんとしている。農舎の数人は顰めきれない声でささやき、カタセは常と変わらず落ち着きなく周囲を見回している。

「そして」

 島長はフカミへ視線を向けた。

「私の直系の孫であるフカミは誕生月を迎えた。十五は成人の歳である。初代より続く慣例により、フカミの第九代管理者就任を宣言する」

 かんれい、と声が聞こえた。言い慣れなさを含ませた声は探すまでもなく誰のものかはわかったけれど、島長も集った誰も何も言わなかった。

「フカミ」

 フカミは息を大きく吸う。背筋を伸ばし、呼んだシノへと視線を合わせ島長へ向けて胸を張る。足に意識して力を入れる。

「はい!」

 皆の前、神様の扉を背にして立つ。皆の視線が集まってくる。

 パラパラと拍手が湧いた。おめでたいとかそういうことでは多分なく。わからないまま促されるまま、手を叩く仕草をしている子供たち。歓迎でもなく喜びでもなく、惰性に近い大人たち。――多分、そんな感じだった。

「神と共にあり、神を眠らせる存在たれ」

 それは管理者を表す慣用句のようなものだと聞いていた。

 島長が言葉を締めくくると、フカミはちょこんと頭を下げた。今更何を言うこともなく、シノは島長に代わり解散を告げた。

 それだけで集会はあっけなく終了した。

「フカミは残って頂戴」

 人々が去っていく。フカミへシノへ駆け寄ろうとする子供をいなし、表の扉から外へ帰していく。島長は任せるとばかりに部屋へと戻る。シノとフカミの二人きりになったところで、シノはフカミへと向き直った。

「管理者が何なのか、説明できていなかったわね」

 シノは扉へ向き直った。神様の扉。開かずの扉だ。シノは扉の傍らの出っ張った台を示した。フカミの腰くらいまでの高さがあり、壁からせり出す形のために動かすこともできない台だ。天板の大きさはフカミの手のひらを広げて置いて余裕があり、大人の男の手のひらでちょうどいっぱいになるくらいか。掃除のたびにいつも邪魔だと思っていた。

「ここに右の手を置くの。手のひらを。いい?」

 台の上、黒く鈍い表面の手のひらで覆われていない部分を緑色の線が数本走った。うぃいんと微かに台は音を立てる。

 驚き思わず手を放す。見上げたシノは微笑んでいた。

「なに、これ」

「驚くわよね。鍵を開けるために登録しているの。最初からね」

「鍵」

 そう。シノは頷いた。再びフカミの手のひらに緑の輝く線を這わせる。終わると代わり、今度は自分の手をかざす。台の脇を何やらいじる。やはり緑の線が台を走った。手のひらの血管の位置を機械が覚えるのだとか、血管の位置は一人ひとり違うのだとか、話すシノもよくわからないようではあったけれど。

 シノが傍らでいじっているのだろう。黒い表面は幾度か明滅を繰り返す。

「もう一度置いてみて」

 フカミが再び手を置くと。緑が走り、そして音もなく傍らの扉が消えた。

「え……」

 開かないはずの扉だった。取っ手もなく蝶番もどこにもなかった。扉のように区切られてはいたものの、開いたところを見たことはなく、開かないのだと思っていた。

 消えたのではなく、中央で別れ左右に動いて開いたのだとすぐに気づいた。

「この扉は神様がいる場所へと続く扉。管理者だけが開くことができるの。今、あなたを管理者として登録した」

 ごうごうと低く軽い音が聞こえてきた。冷えた空気が流れてきた。埃の匂いが鼻をよぎる。開いた扉の向こうは暗く、その先は見通せない。

 シノは迷うでもなく扉をくぐった。手を伸ばし壁を探る。程なく白い揺れない灯りが点る。

 思わずフカミは目を瞬く。部屋に一歩踏み込めば、扉は勝手に閉まっていった。

 その部屋に窓はなかった。床も壁も灰色で、天井はのっぺりした白色だった。白い揺れない光のもとが埋め込まれるようにして灯っていた。正面の壁は黒々と光を跳ね返す。窓のようでも窓ではない。フカミはそれを知っていた。壁の前には作り付けの台があり、一抱えもある黒い板が二つその上に乗っている。二枚の間には凸凹としたものがあり、そして前には二脚の椅子。

 入って右手には棚があった。分厚い本やら、箱やらがいくつも並んで置かれている。棚の対面にはドアがあった。ドア横には、袖の長い上着が数着ハンガーにかけられており、ホシンが履いているような靴がその下にいくつか置かれていた。

 知ってる。フカミは思う。初めて入る部屋であり、もちろん知っているはずがない。次いで雰囲気が似ているのだと気づく。集会場の二階の一角、開かずの扉のその一つ。マツキのいたあの部屋と、だ。

「ここは」

「管理室、と呼ばれてるわ」

「カンリシツ」

「本当なら、本土でしばらく勉強する話が出るのだけど、もう一年もないから」

「勉強?」

「おばあちゃんも、お母さんも、やったのよ」

 促されて、左の扉の脇、同じようにのっぺりとした面に手のひらを置く。こちらは台ではなく壁に直接つけられていた。

 面の上方、点っていた小さな赤光が、緑に変わり。またも扉が消えていた。


 扉の向こうには闇があった。ごうごうと音が一層強く響いてきて、冷たい風が頬を嬲るように抜けていく。灯をつける前の管理室も闇に支配されてはいたが、より、深いとフカミは感じた。

 フカミは渡された上着を着込み、示された靴を履く。シノもまたフカミと同様の格好をしており、気負いもなさそうに闇へと一歩踏み出した。

「あまり、立ち入らない方が良いと言われているのだけどね」

 かん。足元から響いてきた。

 かんかんかん。シノに合わせて階段が鳴った。

 シノが歩むとぽつんぽつんと明かりが灯った。どうやら明かりは階段の手すりにつけられているようで、不思議なことに進めば何もせずともひとりでに点いて、やがて静かに消えていった。

 階段は狭い穴蔵に潜っていくかのようだった。

 フカミも一歩足を乗せる。階段は軋むこともなくフカミの一歩を受け入れた。手すりを探して触れて、思わずフカミは引っ込めた。足元も段も手すりもすべて金属で出来ているらしく、手すりは刺すようだと感じるほどに冷えていた。

 灯が届く目の前を白いモヤがよぎっていく。狭い穴にモヤの『もと』は見当たらない。一段降りて息を吸い、吐き。再びモヤが現れる。――寒すぎると、息がモヤになることを知った。

 カンカンカン。シノの足音は遥か先を下っていく。カンシャンカン。フカミは慌てて後を追う。

 階段は途中踊り場をはさみながら、ずっとまっすぐに続いていく。三度目の踊り場に出る手前で広い広い空間に出た。左の壁はそのままで、どこまでもまっすぐ続いている。降りると同時にずいぶん移動しているともフカミは思う。集会場の正面からみて左側。島の南へ向かっている。

 一体どこまで続くのだろう。一体どこまで降りるのだろう。集会場のすぐ左、子供舎の下は通ったろうか。医療棟はまだ先だろうか。集会場、子供舎、医療棟。その先は、山をすっかり降りきって、ミソラと見上げた扉に行き着く。

 ならば。ここは。

 ごうごうと音は響き続ける。闇の先は深く遠く、果てはとても見通せない。

 一歩一歩、ささやかな明かりとともに、今まで降りたことがないほどの高さを降り続けたその結果、踏み出した足はついに金属ではない床を踏む。

 シノはフカミを柔らかな笑みで迎えると、何処かへ向け手を伸ばした。

 二、三の明滅を経て光が満ちた。いや、満ちたというほど強い光では決してなかった。それでも、薄闇に慣れた目には眇めるほども眩しくて。思わずかばった腕の向こうにフカミは幾度も目を瞬く。

 円柱が立っていた。天井までは繋がっていないが柱としか言えなかった。周囲は大人二人が腕を伸ばしても届かないほどに太く丸く、高さは集会場の屋上よりも高そうだった。

 そんな円柱が果てがないのではと思うほどの空間に、幾本も幾本も数え切れないほど並んでいる。

 フカミは思わず息を飲む。次いでゆっくり吐き出した息は白く漂いあっという間に流れて消えた。

「ここは、なに? これは」

「ここは、神様が眠る場所」

 シノは手近な円柱へとそっと慈しむように手を置いた。ためらいながらも同じように手を出すフカミは、触れてほっと息を吐いた。

 石を思わせる円柱の表面は、ほのかに人肌のように温かかった。息が凝り凍えさせようと風が音を立てる中で、そこだけ優しく迎え入れてくれるように。

「管理者というのはね。神様を起こさないようにする人のことよ」

 シノの声は柱の間で反響する。幾重にもこだまして、目の前に立っているのに全く別の場所にいるかのようにも聞こえてくる。

「この場所を知られないようにする守人でもあり、この場所に異変がないことを確認し続ける監視人でもある。島が始まった最初から」

 神の扉を潜ってはならない。掟の一つはそうして生まれた。島人をここから遠ざけるために。

「最初の島人は犯罪者だった」

 シノは静かに語りだす。シノの声はささやくようで。けれどそれで、十分だった。あたりは無音だ。ただごぅごぅとどこかから風巻く音が響くばかりだ。

「本土で大きな罪を犯して、死を課せられた人たちだった。殺される替わりに島に渡った。島に渡ることは死ぬことと同じだった」

 イスルギマサノリ、ミタムラカナエ、セキモトミツロウ……シノは呟くように口にする。四九の言葉は、フカミも知ったものだった。幼い頃、舎母にされた寝物語に出てきた言葉だ。島に渡った最初の島人のその名前。

「ただ、初代の島長だけが違っていた」

 タカハシカズミ。刻んであるかのように、シノは『柱』の表面をそっと撫でる。

「初代の島長は犯罪者でなく志願者だった。島人を監視し、守り、本土との、ホシンとの橋渡しをするのが役目だった」

 島の人々は子供の頃に漁舎も農舎も経験する。少しばかり敏い子ならば、島医者の跡を次ぐこともある。選択は本人の希望が優先される。例外は、島長の直系。そして、直系であるにもかかわらず漁舎に所属する掟破りのヨツバくらいのものだった。

 フカミはシノから産まれ、島長、ミツの孫に当たる。慣例通りであるならば、漁舎にも農舎にも所属することは無い。島長の補佐となる。――その実質が雑用係であったとしても。

「まもる……」

 島に入ってはならない。島を出てはならない。泉の水を飲んではならない。ケンシンを受けねばならない。

 掟は誰が作ったものか。

「そしてもう一つ、初代は密かに別の役目も担っていた。島に密かに眠る神様を、見守り眠らせておく。管理者という役目」

 シノはフカミへ向き直った。フカミはつられて背筋を伸ばす。

「一〇〇年の間、誰にも知られず、触られることなく。それもあと、半年」

 広大な空間の中でも確かに流れゆく風が結い上げたフカミの後れ毛をそよそよと揺らす。シノの真っ直ぐに肩まで伸びた髪がさやさやと弄ばれる。

「あなたは九人目の、最後の管理者になったの」

 フカミは円柱を振り仰ぐ。何柱もの――眠り続ける神様を。

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