島歴99年6月~
7-1
集会場からも見えた船は、子供たちが勇んで報告を上げてこずとも見たことのないものだとすぐに分かった。そもそも今は太陽が真上にある時期で、こんな時期に船が来たことは今まで一度としてなかった。
フカミは島長に着いて坂を下る。ついて来ようと纏わりつくやんちゃ盛りの子供たちをあしらいながら、ちらりちらりと港を見やる。
ホシンのもののように真っ白い船だった。船の上部は半分ほどが平らで、もう半分には屋根がついているように見えた。島の舟よりずっと大きく、ホシンの乗る白い船よりはずっとずっと小さい。形もずいぶん細っこくて、あれでは大したものは運べないだろう。
中程まで降りた頃、人の姿が平らな部分に現れた。漁舎の面々がそれを遠巻きに眺めている。船の上の人物は身振り手振りで何かを言っているようではあったが、まだ声までは聞こえなかった。
「フカミ。お前は何か聞いているか?」
「え、何?」
「なら、いい」
高齢とはいえしっかりした足取りの島長の背を追うようにして坂を降りきる。困惑している漁舎の面々の間を過ぎ、船の下までたどり着く。
「フカミ! あいつ、変なことばっかり言うんだ」
大人たちの合間をすり抜け、ショウゴがチョロチョロとついてきた。こんなとき、うまいこと引き止めてくれそうなエリックの姿はそこにはなかった。
「変なことってどんなことよ」
「ゆーちゅーとか、ばーとか、ほてとか、らんとか」
「何よそれ」
近づいてみると船はそれでも見上げるほど大きかった。船の上の人影はヒラヒラした上着をまとい、膝丈の裾の広いズボンをはいていた。ホシンよりむしろ島人に近い格好をしている。髪は何やら黄色くて、目元を黒い板で覆っていた。外国人、だろうか。
島長が一歩前へ出る。船を見上げて胸を張った。
「私は島の代表をしているうミツという。この島は島人、一部の関係者を除き上陸を禁止してる。お前は何者か」
黄色頭は、その黄色い頭をかいた。返す手で黒い板を取り去った。黒い板の下は、自分たちやホシンの素顔と大して変わりない顔だった。
「えぇ入っちゃだめなの? 硬いこと言わないでよまるまる二日もかかったんだしさ。ブリッジない? ラダー降ろさないとだめ? ホテルはどこ? 民宿でも良いよ。腹減ったしなんか美味いもの食べたいんだけど。ねぇ何怖い顔してるのさ。いいじゃん、こんだけ人いないってことは過疎ってるとかどうせそういうのでしょ。オレが紹介したら人気爆発間違いなし。オレ有名だし、観光大使みたいな? オレ良い人ー! かっけー!」
フカミは思わずショウゴを見る。ショウゴは首をかしげて肩をちょっとだけすくめてみせた。――な? 何言ってるかわかんないだろ。
何が楽しいのかさっぱりこちらにはわからなかったが、黄色頭はぎゃはぎゃは笑い、小さな板を取り出し掲げる。
「視聴者諸君! 海洋冒険チューバー・カルノは南海の秘島に到達し……って、あれ、電波ない? 帯域足りない? あんだよ録画かよー。臨場感返せよー」
「お前が何を目的としているかさっぱりわからないが、許可を受けたわけでないのなら、掟に従い即刻出ていってもらいたい。お前の望むものはここにはない。我々はお前を歓迎しない」
島長は漁舎の面々へと振り返る。
「仕事に戻れ。これは放置しておけばいい。フカミ。戻るよ」
そしてそのまま、坂を登る。
「え、なにそれ。ねーちょっと。オレには親切にしておいたほうが良いよ? フォロワー五〇万だよ、ねぇちょっと意味わかる?」
フカミは黄色頭を見上げてみる。ふぉろわーも、五〇万も、相変わらずなんのことかさっぱりわからなかったけれど。
「ねぇ。名前、教えて」
「なまえぇ?」
フカミ、なにやってんの。ショウゴの小声の問いかけをまるっと無視する。
「私、フカミ。あなたは」
「はー。天下のチューバー・カルノを知らないなんておっくれてるぅ。君、中学生? 高校生? そんなんじゃ学校の話題についていけないぞ!」
聞いたことのある単語がようやくでてきた。フカミは表情を変えないままで、内心ほっと息をつく。中学生。ミソラから時々聞く言葉だ。
「てんかのちゅーばーかるの、ね」
「そーそー。本物に会ったって言えば、ヒーローヒロイン間違いなし! で、そろそろホテルとかレストランとか案内してくれないかなぁ? サインあげるから。それよか、動画に一緒に出演する? 南の島の出会い編! あ、君が島を案内してくれてもいいよ! ねーねー」
ちらりと横目で見たショウゴはなんとも言えない気持ち悪そうな顔をしている。多分フカミも同じような顔をしているだろう。
島長に促されて、漁舎の面々はすでに仕事に向かっただろうか。島長も戻ってしまったから、フカミがどうにかするしかなかった。
「てんかのちゅーばーかるの、さん。この島は外から人が来るところじゃない。今すぐに出ていってほしいとみんな思っているし、誰もあなたの相手をしない」
「え、なになにどういうこと? 出てかないとどうなるの?」
掟に触れる。
フカミは口を開きかけ、言葉にしないまま、閉じた。
――掟とは、何なのだろう?
「どうもしない。好きにすればいいよ」
フカミは踵を返した。ショウゴをどつき仕事へと向かわせて、なにやら訴え続けるてんかのちゅーばーかるのを無視して坂を登る。フカミはフカミの仕事へ向かう。
てんかのちゅーばーかるのは、結局自力で船を降り島をぐるりと回っていたようだった。翌朝日が昇る頃には船は港のどこにもなく、闖入者はおとなしく帰って行ったと思われた。その時は。
集会場の屋上、すっかり日が落ちた山の上からは、水平線程も遠くにチラチラ星のものではない明かりが見える。前もなかったわけではないが、なんだか少しそんな明かりが増えたような気がした。
『天下のチューバー・カルノ……クラスの子が言ってたような気がする』
たんたんたんと何かを叩くような音がして、思い出すように間を開けながら、ミソラは答えた。
『おじいちゃんに言っとく』
言葉はため息のようだった。いつものはしゃいだ様子ではなく、落ち込んでいるように聞こえた。そしてまた、盛大なため息。
「なんかあった?」
『……お父さんに怒られた』
写真なんだと、ミソラは零す。前々回島で撮った写真の一枚がたくさんの人に見られたという。そしてそれは、勝手にやるのは良くないことだと。
フカミは船医者を思い出す。思い出す船医者……父親は、いつもとても優しそうで。ケンシンに遅刻してもケンシン車にいたずらしても、その目は常に笑っていたように思う。怒ったところなど想像できない。だからこそ。
「そっか」
怒らせたら怖そうだと、なんとなく思う。
『ひげのおじいちゃんにはなんか爆笑されるし、陰険メガネの谷村さんって人には睨まれるし、お兄ちゃんはなんかため息ばっかりつくし』
それがどういうことなのかはフカミにはさっぱりわからなかったが。
「大変そうだね」
『大変だよぅ』
それくらいは察せられた。
それでね。ミソラは続ける。
『秋は船に乗せてもらえないかもしれない』
「ミソラは来られないってこと?」
『多分』
「そっか」
フカミはもう少しでカンリシャになる。次の船が来る時期にはすでにカンリシャになっているはずだ。何が変わるかはわからない。何も変わらなかもしれない。それでも少し、残念な気がしていた。
くしゅん、フカミは小さくくしゃみをする。日が最も高い時期でも夜風に当たり続けると冷える。星の位置は屋上に出たときより少しばかり動いていた。
「そろそろ戻るね」
『あ、ねぇ、フカミちゃん』
「何?」
問い返せば、ほんの少し間があった。かちかちたんたん、ささやかな音が聞こえてくる。
『えっとね、もし、また変な船が来たら、なんだけど』
「……うん」
フカミは水平線を見遥かす。星のものではない海の明かりは、僅かずつだが位置を変えているように見える。ひとつ、ふたつ、みっつ。心の中でフカミは数える。
『えぬぴーおーほうじん、おきのとりしましけいしゅうしゅうかんしせついじだんの私有地です。ふほうしんにゅうでうったえるよういがありますって、言って』
「……えぬぴーおー……?」
ミソラは幾度も繰り返す。フカミはその都度復唱する。
ソダというひげのおじいちゃんが言っていた言葉とぼんやり思う。
「がんばるよ。おやすみなさい」
『おやすみなさい! ……ごめんね』
何を? 聞き返す前に、黒い板は沈黙した。
数日後、ミソラの懸念は的中した。
てんかのちゅーばーかるのと名乗っていた黄色頭が乗っていたものと雰囲気のよく似た船が近寄ってきたかと思えば、またも無断で入港した。なんかいしんぶんしゃのぐんじ、と名乗った男はてんかのちゅーばーかるのよりは幾分礼儀正しさを見せながら、どこか島人を小馬鹿にしたような態度をとった。
フカミは島長に着いて対応し、ミソラに教えられた言葉を返した。
「えぬぴーおーほうじん、おきのとりしましけいしゅうしゅうかんしせついじだんの私有地です。ふほうしんにゅうでうったえるよういがあります」
最初フカミを見返した島長は、視線を外すと納得したように頷いた。言われた男はそれでもしばらくあちらこちらに出没したが、いつの間にやら船共々消えていた。
そんなことが数回続き、フカミもすっかり慣れてしまった思う頃、言い置いて仕事に戻ろうと歩み始めて砂浜から坂へと地面が変わるあたりで、唐突にショウゴに腕を引かれた。
腕を引かれるままに歩を進めながら、ふと、フカミは視線に気づいた。漁舎の大人たちは気味悪そうに、不可解なものを不快なものを見るように、フカミを見ている――。
がさりがさりと踏まれ慣れない丈高い草が音を立てた。大きな扉へと向かう小道を少しばかり進んだあたりで、ショウゴはようやく足を止めた。
いつの間にかフカミと同じ高さにある目が、真正面からフカミを捉えた。
「船ってさ、島長は知ってるの?」
「船?」
首を傾げて問返せば、ショウゴはあぁ、と苛立たしげに声をあげる。
「最近いっぱい来るだろ、ホシンの船じゃない船。あれ、島長は来ること知ってるの?」
フカミは再び首を傾げる。
「なんで?」
島長が知っているはずがない。知っていれば、フカミが毎回同じことを言う必要はないだろうし、そもそも掟に触れるようなことを許すとは思えなかった。
「じゃぁ、フカミは知ってるの?」
「知らないよ?」
これももちろん嘘ではない。ミソラなら知っているかもとは頭の中を過ぎっていくが、聞いても多分、フカミには理解できない。そして、ミソラと話していることは内緒でもある。
「じゃあ、あの言葉はなんなの、えぬ、なんとかって」
フカミは思わず目をそらす。
「船がなんだか知ってるから、あんなよくわからない言葉を使うんでしょ?」
「そんなんじゃないよ。島長も私も知らないし」
フカミはどこでもない場所を眺めながら言い訳を探す。
「みんな言ってるよ。島長はホシンとグルになって島を渡してしまおうとしているんだって。連中は島をシナサダメするために来てるんだって」
「なにそれ!? そんなことあるわけないじゃん! 確かにホシンといろいろなことを相談してるけど、それは、食べ物のこととか、服のことだとか、持ってきてもらう物のことだったり、それに、この先のこととか、そういう」
ホシン。言葉にして思い出した。そうだ。
「あの言葉は髭の」
「髭?」
「ホシンの髭のおじいちゃんが言ってたから!」
あぁ。ショウゴは瞬く。なぁんだ。呟くと大きく息を吐いた。
「良くホシンの言葉なんて覚えてんなぁ」
正確には、ソダの言葉を覚えていたわけではないが。
「ホシンの話すこと、興味ない?」
「とうきょうの事とか日本の事とか面白いと思うけど、アイツらオレたちをサクシュしてるんだろ?」
何、それ。
フカミに背を向け、ショウゴは戻る方へと歩き出す。足下の草をつまらなそうに蹴り続ける。思わず動きを止めたフカミへと振り返ることはなかった。
「話が面白そうでも、利用されるって思うとつまんないし」
「何それ」
「何もなんも、アイツら、オレたちを追い出してオレたちが初代から守ってきたこの島をぶんどるつもりなんだろ?」
ショウゴの背が遠ざかる。フカミは三歩で追いついた。
ショウゴのシャツの首元を掴み、引く。
ぐぇっと小さく呻き声が上がったけれど、構わなかった。
「誰がそんなこと言ってるの」
「誰って、みんな」
「みんなって、誰!」
「父ちゃんとかサンタロさんとかヨータとか」
上がる名前は漁舎の主だった面々だった。
「エリックとかヨツバとか!」
フカミが手を放すと、ショウゴは何すんだよと小さく漏らす。浜までそのまま戻ってくると、仕事するからとショウゴは走って去っていった。
なぜそんな話になっているのか。どこから湧いた話なのか。移転は最初から、それこそ一〇〇年も前から決まっていたことだと聞いていた。ホシンが島人を利用しているなどとは思えない。
ホシンとは、ソダで、船医者で、マツキで、大きいショウゴで、そしてミソラだ。笑って困って説明して、話して悩んで提案して実現して。甘えて凹んで、この島が好きだと言った。そんな人たちが、ぶんどるなど。
フカミは山の上へと足を向ける。見慣れない船を無視して駆け上がる。握った拳はどうすることも出来そうにない。
見るからに渋い顔のエリックとは目を逸らしたまますれ違った。自分たちの言葉で何かを言い合うデニスとジョアンナを視界に入れないようにした。鳩尾あたりを狙って体当たりをかけてくる幼年組を受け止めそして、大きく一つ息を吐いた。受け止めるために拳を開いた、そのままに。
「いたずらばっかりしてると、神様に叱られちゃうぞ!」
きゃぁ、と子供たちは楽しげな悲鳴を上げて散っていく。ホシンにさらわれるー! 叫んだ子がどの子だったかはわからなかった。
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