島歴99年1月~99年5月

6-1

 朝見ていたままのチャネルから変えようと番組表を呼び出した美空は、冷静なアナウンサーの声にふと画面を戻した。夕方のニュース番組は『速報』の文字を左上に掲げながら、ヘルメットをかぶってマイクを握るレポーターを映している。背後ではヘルメットに盾に銃やら警棒やらを装備した制服姿の人々が建物を囲うように集まっている。警官というよりもう少し物々しいだろうか。

『……立てこもってから六時間が経過しようとしています』

 中継のマークがあり場所はフィリピン、ルソン島北部とある。すっかり日が落ちたこちらとは違い、まだ明るい。

 美空は鍋へと伸ばした手を止めた。菜箸を掴んだまま、食い入るようにテレビを見る。

『――原子力発電所は日本の技術協力で建造中、完成間近であり、まだ燃料の搬入はなく警備が手薄だったとの情報があり――』

 カメラはレポーターから発電所の入り口を映すように角度を変え、物々しさを強調する。やがてレポーターへカメラが戻れば、スタジオへと返された。

『立てこもりグループから声明も出ている、とのことですが』

 端正な顔の女性司会者が問いかければ、解説委員のキャプションをつけた男性は難しそうな顔を更に引き締めた。

『東南アジアには数多くの少数民族が存在しています。国際的にも度々取り上げられて来た問題ではあるのですが、一部の少数民族は宗教が異なり、政府から弾圧を受けてきました。一時は貧困や難民問題も起きていたほどです。ここ十数年は、そんな少数民族の中でテロ組織が活動しているとの情報もあります』

『テロリストですか』

『二十一世紀初頭の中東系テロ組織に比べ目立った活動はそう多くはありませんが、反対派集会を指導したり、政府系イベントでの自爆テロの計画などがありました。もちろんすべて未遂に終わっているわけですが』

『今回は原発の乗っ取りということですが、なにか具体的な要求を突きつけてくる可能性もあるのでしょうか』

『彼らの最終目標は、自分たちの民族の独立です。原発はエネルギー源として魅力的であり、また、軍事力につながるものでもあります』

『それは、原爆……ということでしょうか』

『発電に使用するものでは濃縮率が異なりますが、関係ないと言い切るのは楽観的過ぎるでしょう』

 フィリピン。東南アジア。原子力発電所。キーワードが頭の中を空回りする。

 ――きな臭いね。

 そう、新戸は言っていたりはしなかったか。

「ただいま」

 居間のドアが開いて、美空は思わず瞬きする。孝志がコートを脱ぎつつ、視線を美空からテレビに移し、画面を物珍しげに眺めていた。

「珍しい番組を見てるね」

「お父さん」

 美空は再び瞬き時計を見る。長針は気づけば半周ばかり動いていた。

 汁物を作ろうとした鍋は空のまま、菜箸は握られたまま。

「おかえりなさい。えと」

 おかずは週三日来る家政婦が作り置いて行ったものにしようとしていた。レンジでチンで準備できる。ご飯も同じく。

 察したのか孝志は微笑む。

「インスタントのお味噌汁でいいよ。お父さんは着替えてくるね」

「うん……!」

 鍋を湯沸かしにチェンジする。

 箸を並べて耐熱タッパに二つ並んだ鮭のムニエルをレンジに突っ込む。タッパに詰められた茹でて切っただけおひたしを皿に盛り付け、煮物を小皿に盛った頃孝志が部屋着で入って来る。

 孝志はムニエルに替えてご飯を温め、インスタントの味噌汁と椀を用意する。

 最後にご飯をよそい、湯を注ぎ、ようやく二人で小さな食卓の席につく。

 家政婦自慢のムニエルも温まったご飯ももちろん美味しいけれど。中学に上がって始めた当番制にも慣れたのに、もうちょっと上手くやりたいと美空は知らずため息をつく。同じ家政婦が作ったものでも、孝志の担当の夕飯のほうがずっと美味しい気がするのだ。

「さっきのは学校の宿題かい?」

「うんと、テレビ見ようかなと思ったらやってて。そのまま」

 そうか。孝志は味噌汁の湯気にメガネを曇らせながら、微笑んだようだった。

「ずいぶん難しいものを見てるから、お父さん驚いたよ」

「そう、かな」

 図書館で借りた本が頭の片隅をよぎっていった。柳瀬とはこんな話をすることもあるし、柳瀬は多分もっと難しい話も出来るだろう。

 美空の興味はといえば。

 上目遣いで孝志を見やる。孝志はムニエルを一欠片口元へ運び、幸せそうに咀嚼している。

 つけっぱなしのテレビでは報道特集が始まっている。内容は一部差し替わり、三枚羽の赤と黄色のマークが映る。

「……お父さん、聞いていい?」

「なんだい?」

 惣菜に箸を伸ばしながら孝志は先を促してくる。

 美空は味噌汁椀を手に取った。孝志を伺い汁をすする。少しばかり湯が多かった。

「島のね。シャッターの向こうって、何があるの?」

「シャッター?」

 孝志の目が二三度瞬く。おひたしの菜っ葉をつまみ上げる。

「あぁ、美空は入ったことがあったね。倉庫だよ」

 シャクコリポリ。いい具合に茹で上げられたおひたしは実にいい音を振りまいた。

「放射能マークがあったよ」

 美空はつい、テレビ画面に目をやった。先程の解説委員の男性が地図を示し、矢印を追う。地図には所々に三枚羽のマークがあった。

『――これまで培ってきた原子力技術は国内ではなく近隣諸国の発電所の建設に生かされ――』

 孝志の目がテレビに動き、納得したように戻ってくる。

「よく知っているね」

「友達に教えてもらったの」

「こういう話をするお友達が居るのか」

 すごいな中学校は。孝志は呟く。

 美空はご飯を口に運ぶ。多分、きっと。柳瀬は友達だし、新戸も友達と言えなくもない。――友達の好きな人、だ。

「あの向こうは倉庫のようなものだな」

 美空は小さく頷いた。省吾もそう言っていた。トラックがそのまま入って、何かを積んで出ていった。それは実際に見て知っている。

「何の倉庫?」

 ただ。それが『何』かを、美空は知らない。

 考志は惣菜を口に運んだ。咀嚼の途中でおひたしに手を伸ばし、次いでご飯を三口ほど掻き込んだ。

『難民問題もすっかり沈静化していたと思ったのですが』

『難民問題、異民族の弾圧は政府側の軟化、緩和により落ち着いたかに見えました。しかし、根本的な問題は何も解決していません。こちらのパネルをご覧ください』

 美空はテレビを見ながら味噌汁をすする。孝志の手元で食器が鳴る。

 一度大きなため息が聞こえた。

 孝志へと目を戻せば、真正面から穏やかな顔で見つめられた。茶碗を置き、箸を持ったまま、孝志は徐に口を開く。

「シャッターの向こうの倉庫はね」

 美空も、味噌汁の具を飲み込んだ。

「お堂と繋がっているんだ」

「お堂」

 シャッターの位置。堂の位置。集会場の。一直線に並ぶそれらが、内部でつながっているかもしれないとは想像していた。しかし、それは『繋がっている』につながるのか。

 首を傾げた美空へ、孝志はうっすらと笑んで見せた。

「お堂の扉の向こうは大きな冷凍庫になっているんだ」

 孝志の目が動いた先は、父子の二人暮しにしては少しばかり大きな冷蔵庫だ。最下段の引き出し型の扉が冷凍庫になっている。

「れいとうこ?」

 内山家の冷凍庫は、家政婦が作り置きした数々のおかずに、時々美空が失敬するアイスクリーム、孝志秘蔵のお酒で常に八割方埋まっていた。

「大きさはだいぶ違うね。入っているものも」

「食べ物?」

 思い浮かべたのはコンテナだ。毎回、半年分の食糧を積んでいるのだと聞いていた。

 孝志はゆるく首を振った。

「島でお墓を見たことはないだろう?」

 なんのこと。反射的に思い、たしかにと美空は思い返す。

 港、港から続く浜。集会場へと続く坂道。吹けば飛ぶという小屋の数々、医療棟から集会場。西に続く一面の畑、最西端の小さな泉、周囲を覆う雑木林。そのどこにも、それらしいものを思い浮かべることはできなかった。

 美空は頷く。おひたしの最後のひとくちを口に入れる。ぱり、ぽり。

「島で死んだ人の遺体はね、全て東京に持って帰る決まりになっているんだ。一つは、そのための保存庫」

 言われてみれば、思い当たることがないわけではなかった。

 トラック。いつか見た小さな箱。トラックの上の頑丈なシート。倉庫に漂っていた冷気。

「なんで」

 孝志の視線はテーブルの隅、何もない箇所へ注がれ、美空の上に戻ってきた。穏やかに、笑む。

「島には火葬する設備もお墓を作る場所もないから、じゃないかな」

 孝志はすっかり冷えた味噌汁に手を伸ばす。

 美空は同じく冷えきったおかずを口へと運んだ。――なぜを重ねても、孝志はきっと、それ以上のことを言わない。

 なら。

「もう一つ」

 美空の声に、孝志は大きく息をついた。

「放射能マークの扉、だね。美空には少し難しいんじゃないかな」

「聞きたい」

 孝志は鮭の最後の一欠片を口へ運ぶ。空になった皿を重ね、流しへと運んでいく。

 美空も自分の皿をシンクへと運ぶ。湯沸かしに水を足しスイッチを入れ、ダイニングの隣、居間のソファへと、移動する。片付けとお茶入れは、作らなかった方の担当である。

 テレビはすでにバラエティ番組へと移っている。秘境と呼ばれるような場所へ赴き、住人と芸能人が交流する。幼い頃、祖父母が好んで見ていた長寿番組だ。土地の伝統の暮らし、土地ならではの菓子、料理。珍しくとも、それだけだなと美空は思う。日本の村で日本の国の人々だ。

 やがてキッチンの水音が止むと、孝志は湯呑を持って移動してくる。美空の前へと可愛らしい絵柄のまだ熱そうな湯呑を置く。

 もう一つの扉だよね、つぶやいた。

「……高濃度放射性廃棄物、というものが保管されているんだ」

「こうのうどほうしゃせいはいきぶつ」

 漢字が思い浮かばなかった。

 孝志はソファに深く座る。口を湿らせるように熱い茶を一口含んだ。

「少し難しい話をするよ」

 美空が頷くのを待って、孝志はゆっくり口を開いた。

「あの島は、昔起きた原発事故の後始末で捨て場所に困った土で出来ているんだ」

 美空は頷く。それは、新戸に聞いた話と同じだった。

「その時、同じように保管場所に困っていたものを、倉庫を作ってしまい込んだ」

「それが、その、こうのうどほうしゃせいはいきぶつ?」

 孝志は小さく、けれど確かに頷いた。めがねは湯気で一瞬で曇り、やがて伏し目がちの目が戻ってきた。

「一時的に五〇年以上の保管。五〇年が過ぎたら地下深くに穴を掘って安置する。そういう計画だったんだ。島を借りている期間は一〇〇年だから、倍の時間で十分だと思ったんだろうね」

 テレビには、古びた神社が映ってる。何百年も前からあるという、名のないけれども古い神社。

「それって、かみさま?」

 扉の向こうには神様がいる。倉庫で眠っているものならば。倉庫はきっと扉の向こう側にある。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。島のみんなが言う神様が、倉庫の中のもののことなのかどうかは、お父さんにはわからない。ただ、高濃度放射性廃棄物は安全なものとは言えないけれど、事故を引き起こしたり、むやみに人を死なせてしまうようなものじゃない。島の上で暮らす分にはなんの影響もないものだよ」

 孝志は言葉を切った。リモコンを取り、報道番組へとチャンネルを変える。話は終わりだ。美空は湯呑を取り上げた。

「宿題、やってくる」

「落ち着いたらお風呂も入っちゃいなさい」

「はい」

 アナウンサーの静かな声が響くだけの居間を出て、美空は自室の扉を開ける。机の上、真ん中に置かれた本の脇へと湯呑を置いて、スマートフォンを取り上げた。

 ベッドに腰掛け、慣れた手付きで打ち込んでいく。

 ――お父さんに聞きました。倉庫の中には、

『高濃度放射性廃棄物』入力と漢字の変換に少しばかり時間を取られた。

 ――高濃度放射性廃棄物が入ってるそうです。

 ――それに、亡くなった人の遺体を凍らせて保存して、東京に持って帰ってくるんだそうです。

 柳瀬と新戸と美空、三人で共有するメッセージアプリに投稿した。

 程なく、可愛らしいアイコンが発言を告げた。

 ――遺体を持って帰ってくるの? わざわざ? なんで?

 その答えを、孝志はきっと言わないだろう。

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