5-6

 子供たちが寝床に移動するころにフカミは集会場の二階へ上がる。ミソラが来るたび籠る部屋の前を通り過ぎ、廊下の突き当りまで進む。そこには『本』が沢山置かれていて、『本』が並んだ脇に、それは置かれている。黒い板――携帯電話だ。

 教えられたボタンを押すと白い図形が浮かび上がった。図形は、メモの通りのすっかり見慣れた数字の列になっている『08:10』。

 フカミは日中は大抵何かしらの仕事をしている。最近は農舎の手伝いに駆り出され、朝から晩まで畑に出ていることが多い。ミソラもまた、昼間は忙しいと聞いていた。

 ミソラから連絡してくるときは、夜で左側の図形が0と8の間にすると決めていた。フカミから連絡するときも、この間にするようにと約束していた。だからフカミはなるべく夜は本を眺めて過ごすようにしていた。

 それでも連絡があったその時この場所にいることができなくて、話せないことももちろんあった。フカミからかけることはほとんどないが、ミソラの方も同じだろうと思っていた。

 そんな風ではあったけれど、以前よりはずっと頻繁にミソラとは話をしている。

 チカチカと画面が光った。小さく小さく音が鳴った。

 フカミは慌てて板を取る。上下を確かめ頬へと着ける。

『フカミちゃん!』

 少し硬い音になって、ミソラの声が聞こえてくる。

 何時もミソラはほぼ一方的に話してくる。ガッコウとか、エイゴとか、スウガクとか、知らない単語もずいぶん聞きなれた。フカミが話すことはあまりない。乞われて収穫物の話だとか、花が咲いたとか実が成ったとか、ヨツバがまた島を出ているとか、そんなことをぽつりぽつりと話して聞かせる。ミソラはそんな何でもないことに大きく相槌を打ってみせ、すごいねとか、見てみたいなとか、続けるのだ。

「『お別れの会』があったよ」

 フカミは床に座り込んだ。背を本棚にもたれさせ、白い揺れない光をぼんやり見上げる。

 ミソラは言葉に詰まったようだった。息をのむような音が聞こえ、それからしばらく音は途切れた。

「スミさんっていってね。島で一番二番のおばあちゃんだったんだ。みんなのことがわからなくなってきて、島長がお別れを決めたんだ」

 沈黙は続いている。フカミはそれだけの出来事を言い切り、口を閉じる。

 島長がお別れを決めた。たぶん事実で、本当じゃない。でなければ、シノがあんなふうに言うわけがない。

 けれど島長は、自分が決めたとそう決めた。

『あのおばあちゃん、神様の扉を潜ったの』

 堂の扉は神様の扉だ。

 扉の向こうは、立ち入ってはいけない場所だ。

 再び沈黙が下りる。神様って。問いかけるでもない呟きのような声が聞こえる。

『ねぇ!』

 少しばかり大きな声だった。

「なに」

『一〇〇年、経ったら』

「一〇〇年? ……あ」

 響く音に気が付いた。石でできた集会場は無音だとやたらと音が響いて聞こえる。誰かが階段を登って来ている。そんな音だと思った。

『どうし……』

「切るね」

 言ってすかさずスイッチを押した。

 音が消え、画面が消える。

 足音が近づいて来て、止まった。

 すっかり見慣れた、けれど、思いもしなかった長身が姿を見せた。

「フカミ。ひとり」

 思わず瞬いた。島長かシノだと思っていた。

「ジョアンナ」

 集会場は出入り自由だ。二階に上がる階段も扉はあるが、鍵がかかっているわけでもない。けれど、訪れる人などほぼいない。階段は自由でも登った二階には鍵がかかっている部屋が多く、ホシンでないと入れない。本の置き場には自由に入れるが、文字が読める者など、島長やシノ、島医者のシガラキくらいのものだった。

「本、たくさん、聞いタ」

 ジョアンナは一冊一冊本の背に指を這わせている。

「読めるの?」

「少シ」

「すごい」

 心からの言葉だった。

 子供たちはシノから一通りの文字は教わっている。しかし、日常使うことはあまりなく、平仮名と数字を読むことができれば特に困ることもなかった。本などフカミも開いてみたことは数える程度だ。

 ジョアンナは一冊抜き出し、開いてみている。おぅ、と意味のない音が漏れたのは紙が破れたかららしい。

「古いから、気を付けてね」

 ジョアンナは肩をすくめてみせる。フカミは立ち上がり、黒い板――携帯電話を元通りの場所に置いた。

「じゃあ、わたしは行くね」

 ジョアンナは手を顔の横でひらひら振った。

 フカミはその横を足音を立てて通り過ぎる。いくらか進み、チラリと振り返ってみたジョアンナは。

 真剣な目をして開いた紙面を追っていた。

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