4-3

 ついでにと干物を詰めた桶を渡され、フカミは大きく息を吐く。内心ではげんなりしていたが、誰かがやるべき仕事でもあり、戻るついでも間違いなかった。

 背筋を伸ばし、坂の彼方の食堂を見上げる。一番陽射しが柔らかい季節に向かおうとしてはいたが、雲が無ければ陽射しは変わらず容赦が無い。

「フカミ! 手伝うよ!」

 振り返ればショウゴが手を振っていた。足を止めれば追いついてくる。追いついた頃を見計らって、フカミはゆっくり歩き出した。

「助かる」

「フカミが来なきゃ、オレが持ってくんだったんだ」

「ん?」

 並んだところで二人組とすれ違った。フカミは何とはなしに二人を見送り瞬いた。

 ジンタとカツキの二人だった。豪快に笑うジンタと幸せそうに微笑むカツキの組み合わせは、良かったと思えば良いのか、もう、と考えれば良いのだろうか。

「ジンタがさ、ずーっとカツキにくっついててさ」

 同じく二人を見送っていたショウゴは、声を潜めて呟くように言い出した。

「カツキはナグサメテもらったんだってさ」

「ふぅん?」

 アカツと『お別れ』してから、季節は徐々に動いていた。小屋を建てる約束までした相手と別れてから立ち直るまでの時間として、それは早いのか遅いのか。フカミには判断できない。

「ジンタはずっとカツキのことが好きだったんだって」

「そうなの」

 砂浜を歩ききり道が土へと変わる辺りで、桶持ちをショウゴと交代する。未だフカミより背も低く細くはあったけれど、ショウゴは嫌がるでもなく重そうでもなく桶を持つ。

「運が良かった、なんて言うのはちょっと嫌だなって思うけど」

「うん」

「そういうこともあるんだなーって」

「そうだね」

 運が良かった。偶然だった。いなくなってしまったから、成り代わる。

 しばらく歩いて桶をショウゴと交代する。

 それが、良いことなのかどうなのか。やっぱりフカミには判断出来ない。

「そいや、エリックがさー!」

「ん?」

 身軽になったショウゴは少し前まで小走りで進み、フカミを振り返ったり遊び始める。エリックには相当懐いているらしく、声は思い切り弾んでいた。

「おカしい。事故じゃナイ、ってずっと言っててさ」

 ショウゴは口調をまねてみせる。少し似ているようにも思うが、なんとなく不快になりつつ、けれどフカミは顔を上げた。

「事故じゃない?」

「しンじツはいつモひトつ」

 コレもマネなのだろうか。ショウゴは太陽の方へ向けて人差し指を立ててみせる。そしてケタケタと一人で笑った。

「誰かが殺したってこと?」

「エリックはそう言ってる。な。ワクワクしないか?」

「ワクワク?」

 だってさ、ショウゴは続ける。

「エリックは舟を全部調べて、どこにも血が付いてないって言うんだ」

 フカミは黙って歩を進める。ショウゴはふらふら足を遊ばせながら、勝手に言葉を続けていく。

「じゃぁ、何に頭をぶつけたのか。頭をぶつけたとして、どうやって。普通ぶつけられないものなら、なんで」

 いつ、どこで、誰が、なんで、どうやって――どうして。

「面白くね?」

 坂を登り切り食堂の前に出る。無邪気に手を差し出されて、フカミは木桶をショウゴに渡した。

 一つ一つ紐解くことは確かに面白そうに聞こえはしたが。

 じゃっ。ショウゴは食堂へ足取り軽く駆け込んでいく。

「誰が殺したかなんて、知ってどうすんの」

 ショウゴの後ろ姿へ呟きながら、フカミは集会場へと足を向ける。何気なく見下ろした食堂の屋根の向こうに広がる内海に、ヨツバのヨットが入ってきた。


「みんナ、聞いテほしイ!」

 混み合う時間の食堂でエリックは立ち上がって周囲を見回す。漁の中でもひときわ大きな体躯はそうしていると威圧感を伴い目立った。

「オレはずっト、アカツが死んだりゆウを調べていた。事故だっテ思えなかった」

 食堂中の視線が最奥のエリックへと集中する。しん、と静まった中で、フカミの横、島長だけが静かに食事の音を響かせた。

「舟にハどこニも血がナかった。アカツはイしで殴られた」

 石。誰かが呟いた。

 つまり? 誰かがぽつりと言った。

「そウ。アカツは殺された」

 遅れて入ってきた人が、雰囲気に呑まれて立ち止まる。エリックはそちらへチラリと視線を投げて、毅然と顔を上げ言葉を続けた。

 フカミは横目で入り口を見る。入ってきたのは、ジンタとカツキの二人だった。

 あの日は嵐だった。波が高くなってきて、アカツはジンタと舟を引き上げに外に出た。風はもう強くなっていた。波も荒くなっていた。ちょっとの音では漁舎の中には聞こえない。浜に出ている人もいない。

 アカツは舟を引き上げる。身体は舟に向かっていて、浜には背中を向けている。

 そこに大きな石を持って近寄っていく。大きく振りかぶり頭を殴る。

 ガタリと鳴ったのは机だった。カチャリと食器の音も続いた。カツキ! 誰かの声が続いた。

「何を、言ってる?」

 ジンタの声は低かった。エリックを睨み、握った拳は震えていた。

「オレが辿りツいた、真実ダ」

 犯人は舟を挙げる作業を続行する。全部上げ終え、アカツが動かないことを確認してから漁舎へ駆け込む。いつの間にかアカツがいない。探したら舟の間で倒れている。運ぶのを手伝ってくれ。そうだだれかシガラキを。

「なんだよ、それ、まるで俺がやったみたいじゃないか!」

 ドン、ガシャリ。机が鳴って、食器が鳴った。なんてこった。小さな小さな声が上がる。

「石ってなんだ。アカツは転んで舟で頭を打った! 石なんてどこにあった!」

 ジンタは頓着しなかった。拳を握りエリックを睨む。立ち上がった男がまぁまぁとジンタをなだめる。ジンタはそれにも構わない。

「言ってみろ!」

「外のかまドの石ダよ」

 エリックは表情ひとつ変えなかった。ジンタを見返し、言葉を返す。

 漁舎の外には簡単な煮炊きのためのかまどがあった。海に潜って冷えた身体を温めるために茶を沸かしたり、おやつ代わりと小魚を焼いたりする。島が出来てすぐの頃に島の裏側から失敬してきたと代々言い伝えられていた。

「なんで言い切れる。証拠はあるのか!」

 ジンタは指さし激昂する。ジンタを留めようとする手が二人三人と増えていく。

 静まっていた食堂にざわめきが広がり出す。フカミは思い出して汁椀に手を伸ばした。……汁はすっかり冷えていた。

「あルよ」

 エリックは何やら小瓶を掲げた。エリックの隣でデニスが眉を寄せるのが見えた。ジョアンナは無表情にそれを見ている。フカミの隣で島長はほんの少しだけ箸を止めた。目をすがめエリックを見て、食事へと注意を戻した。シノは小さくため息を吐く。

「コレは血にはんノうすル薬。これデ確かメタ」

「な、なんだ、それは」

 ジンタの声は震えていた。エリックを、小瓶を指す指は震えていた。

 エリックの薬のことは判らなくとも、誰の目にもそれが判った。

「前のくニで使っテた薬。デニスが持っテた」

 デニスは視線を落として食事を続ける。ジョアンナはあちらこちらへ視線を動かす。フカミは箸を咥えたまま、上目遣いでそれを見ていた。

「ジンタ、アカツを殺した」

 エリックはそう断言する。しん、と食堂は静寂につつまれて。

 破ったのは、島長だった。

「フカミ、シノ、早く食べてしまいなさい。エリック。食堂でやるのは辞めなさい。片付かなくて困るだろう。カツキ、辛いなら医療院で休みなさい。ジンタ、突っ立ってないで食べたらどう」

 立ち上がり食器を取り上げる。下げ口へ置き、何事も無かったように食堂を出ようとする。

「しマおさ!」

 ジンタとすれ違おうとしてエリックの声に足を止めた。おもむろに振り返る。

「取りしラべを! ジンタにバツを!」

 島長は、大きく大きく、ため息を吐いた。

「解らない子だね。我々に人を裁く権利はない。殺人は禁忌ではない。誰がやったか、追求して良いことなど何も無い」

「しマおさ!!」

 悲鳴のような声だった。ジンタは音を立てて座り込んだ。エリックは肩を落としたように座り込んだ。島長に視線を向けられ、フカミは慌てて食事を終えた。

 シノを待ち、食器を持って席を立つ。ざわめき始めた食堂を、雰囲気に圧されて泣き始めた幼年組を気にしながらも、島長を追って出口へ向かう。

「ジンタ、あんたが……?」

 カツキの低く昏い声を去りゆく背中で確かに聞いた。

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