3-5
入島四日目、曽田は谷村と船に残った。電話とられちゃった。東京と何かやってるかもね。とは、船の電話を諦めて遅れてやってきた松木の言葉だ。
その松木は省吾と二人、画面に向かって何事かを打ち込んでいる。
「ヨツバちゃんが連れてきたの」
サーバー室の隅っこで携帯電話を眺めながら。足を抱えて丸くなったフカミはぽつりと言った。
「ヨツバ、さん……」
浮かぶのはナイフだ。女性にしてはしっかりした身体付きで、たてがみのような髪をして。恐く、激しいその姿……顔はついに思い出すことが出来なかった。
美空にはヨツバは恐い女性という印象しかない。シノの妹。叔母に当たる人だと聞いてはいたけれど。
美空はフカミに並んでちょこんと座る。白く明るい蛍光灯をぼんやり眺める。
「ヨツバちゃんの子供はね。三歳の時に泉の崖から落ちて大けがをしたの。それが元でさよならすることになって」
さよなら。それは……死を意味する言葉ではなかったか。
瞬く美空へフカミは力無く笑う。小さい棺だったんだよ、と。
「それから、島長やお母さんと、ずっと、仲が悪いの」
掟を重視する島長とシノ。罰があたらないことを理由に、奔放を繰り返すヨツバ。……ヨツバの気持ちもわからなくはないけれどと、フカミは呟く。
美空は。
──掟。
防護服を見る。脱ぎ捨てたマスクを見る。保守監視員の規則。島の掟。島人は掟に従う事が求められ。掟に従う限り、美空は島人では有り得ない。
……泣きたくなって、慌ててフカミに笑みをみせる。目が乾いちゃったと嘘を付いて。
そして翌日。曽田は全島人を集めるように、島長へと指示を出した。
*
予想の通りの嵐となった。嵐になるくらいのことなら島人ならば誰でもわかるが。
──オレの腰くらいまで波が来るって、当てたんだぜ!
ショウゴの浮かれた報告はつい先ほどの事だった。
そのエリックはジョアンナ、デニスと集会場の隅で話をしている。三人を、というよりおそらくエリックを、気にして仲間に入りたそうにしているショウゴは、すぐ側で訳がわからないという顔をしていた。……島で話す言葉以外にも言葉があると、三人を知り、初めて知った。
集められた島人は一様に首を傾げつつ、思い思いに腰を下ろして雑談に余念が無い。何が始まるのかという推測もあれば、時折喝采が上がることもある。喝采にはエリックと聞こえたから、武勇伝でも話されているのだろう。ジョアンナがと声が挙がったから、美味しい料理でも伝授されたか。
フカミは幼年組を抑える手伝いをする気にもなれず、ショウゴのように興味津々ついて回る趣味もなく、ジョアンナ達から最も離れた壁際に一人ぽつりと座っている。……こうして眺めていても、彼等はもう島人にしか見えないのに。
やがて島長が腰を上げる。短い挨拶と、島人たちへねぎらいの言葉を。
そして。
一人の。マスクを取った髭面の。ホシンへと振り返った。
「ども、皆さん。初めましてと言うのはちょっと変ですが、初めまして。NPO団体ODK、沖ノ鳥島死刑囚収監施設維持団、団長の曽田っつーもんです」
聞き慣れない言葉にざわめきが生まれる。髭のおじいさん……曽田は、島人の様子をじっと見る。落ち着いた頃を見計らって、徐に口を開いた。
「いつお伝えしようかこちらも迷っとったんですがね。今日は皆さんに約束の時のお話をしようと思います」
話慣れた風の深い声が響き渡ると、一人、二人と口を噤んだ。誰かの息を呑む声がフカミにまで聞こえてくる。大粒の雨が窓を叩く音が声の向こうから聞こえて来た。
長い長い話になった。
幼年組にとっては単なるイベントでしかなかったらしい。髭のじーちゃんが、ホシンが。ちょっと変わった言い回しを、誰かが真似れば笑いが起きた。……フカミでさえ難しいと感じる話を彼らが理解したはずもなかった。
発散出来ず余った元気に難儀しながら幼年組を寝かしつける大仕事を終えると、フカミはようやく一息付いた。美空ならばわかるだろうかとぼんやり思わないでもなかったが、吹き付ける風雨の音に諦めた。
明日には船は島をでる。携帯電話と呼ばれる四角い板きれを一つフカミに托して。
「なぁ、ホンドに行ったら何したい?」
擦り寄ってきたのはショウゴだった。小声なのは幼年組を起こさないため。
「オレさ、色々なところに行ってみたい」
ショウゴは笑う。屈託など何処にもなく。フカミはそれに苦い笑いを、ただ返す。
『まずは、この島の名前からいきましょう。ここは沖ノ鳥島と呼ばれとります』
髭のホシンは始終笑みを崩さなかった。
『死刑囚収監施設つーのは、ホンドで悪いことした人を懲らしめるために閉じ込めておく部屋みたいなもんですな』
島人は部屋に閉じ込められているわけではなかったが。島から出ることは禁じられている。
初代に科せられた懲罰。……それが、掟。
「まずトウキョウだろ? ミソラのいるところ、エリックのいたところ……ホンドって広いっていうじゃん?」
指折り数える姿には、期待以外の何物も見えない。
だからこそ、フカミは思う。それだけなの、と。
『閉じ込めておく期間は百年。つまり、あと二年半っつーことになります』
百年が過ぎれば自由だと。縛る掟はなにもない、と。
何もないと言われても。
松木のいたあの部屋。見たこともない壁に囲まれ、平然としていた美空たち。島のそれとは全く違う船。ケンシン車。渡された、携帯電話。
声を潜めながらもはしゃぐショウゴの声が、フカミの中を滑っていく。
そこは、フカミたちの知らない世界だ。
そして。
──ケンシン、神の道、神の泉。
掟にはまだ、続きがあり。
──初代は神様を鎮めるために島に渡ったのです。
シノの言葉が、思い出される。
「あと、漁! エリックに聞いたんだ。ホンドとか島の外の漁はもっと大きな舟で色々な方法でやってるって!」
──あと二年半。
『あんたたちの希望を聞かせて欲しい』
6
嵐は夜中をピークにゆるゆると動き出した。波は高く船は揺れたが、どうにか出航することは出来た。
島が掴めるようなサイズになって、美空は甲板へとやってきた。島を振り返れば、九月とは思えない強く鋭い南国の陽射しの中で、海に生まれた緑色の宝石のように見えるのに。
──死の島。
百年前。島に移住が成される前の日付の新聞には、そんな見出しが躍っていた。
見出しから遡ること十年。中学受験の勉強の時、近代史としてそういえばそんな文句を見た気がしたか。……原子力発電所の事故があったと。
──僕たちは今、ここにいる。
省吾の言葉が幾度も幾度も、思い出されて。
西へと流れる風に煽られ、美空は舞い飛ぶ髪を押さえる。船は順調に進んでいる。島はどんどん小さくなる。
やがて島影は水平線の向こうへ消えていき、海鳥の気配もなくなった。
美空は溜息をのこし、島の方へ背を向ける。最後にもう一度だけ島を見て。
船?
それは光の見せる悪戯だったか。
見返してみても、広大な海原の。
何処にも何も見つけることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます