2-3

 彼らは何をしたいんだろう? 案内しろと言われながら後ろをついて行くだけのフカミは、時折二人の手元を覗く。

 明けた朝に船で落ち合う。まずは湾の向こう側、島の最東端。次は港の奥、砂浜、医療舎の裏。そして、子供舎まで来た。

 場所場所で二人は立ち止まり、何かを掲げ、書き付け、何事かを話していた。せんりょうとか、れべるとか聞こえた気がしないでもないけれど。

 何のことだろう? 聞き慣れない言葉にフカミはただ首を傾げる。

「ここはどんな……」

 きゃ、っと漏れた小さな悲鳴は盛上のもの。こら、と飛んだ声はショウゴのものだ。うわっとついでに聞こえて来たのは姫川か。見れば盛上の白い足下に小さな影がまとわりついている。

 フカミは溜息と共に手を伸ばす。狙い違わず襟首を捕獲した。

「ムツミ! 悪戯はダメって言ったでしょ!」

「だってー!」

 逃れようとばたつくムツミを抑えつけてくすぐりの刑に処す。きゃららと嫌がりつつも楽しげな声が上がる頃、ようやくショウゴが足を引きずり迎えに来る。

 ゲンコツ一発喰らいつつも、ムツミは今度はショウゴにまとわりついた。元気なのは良いことだが、ちょっとムツミは元気で物怖じしなさすぎる。

「な、なんなの」

 おっと、案内途中だった。フカミは二人へ振り返る。盛上は姫川に手伝わせ、ムツミに引っ張られた白い服をばたばたと直していた。

 神経質だな。フカミは思う。

「ごめんなさい」

 声を出せば二人の顔がフカミへ向いた。……マスクの向こうでよく分からなかったけれど。

「ここは子供舎です。昼間はお掃除したり洗濯したりしてるんですけど」

 つい苦笑が混じる。子供なのだ。作業に飽きて脱走なんて日常茶飯事。大抵対応出来る年齢の子供が一人や二人監督に付くのであるが。

「子供舎?」

 服の直しに満足がいったらしい。盛上は覗うように舎を眺め、姫川にあごで指示を出す。

 二人が歩き出したから、フカミも後をついて行く。

「学校みたいなものかしら」

 学校? 学校と言えば、数日おきにシノによって行われる授業のことだ。場所ではない。

 そういえば美空は、かつて不思議そうな顔をしていたか。

「大人は畑のそばとか、港のそばの寮舎で寝起きしていて、子供は子供舎で寝起きします。あとは、赤ちゃんを産んだばかりのお母さんとか」

 二人は聞く気があるのかないのか、舎の中へと入って行く。修繕対象となっている子供舎にはすでに数人のホシンがいて、なにやら作業をしていた。

 ちらりと見回せば、外のタンクのそばで、ほとんどの子はホシンの姿を遠巻きに眺めている。洗濯中らしく、ショウゴはムツミに濡れ物を搾らせるのに苦心していた。

 小さい子に仕事をさせるにはコツがあるのに。ショウゴはその辺がわかっていない。

「子供が集団で寝起きしている?」

「そのようですね。……正常値です」

「ご両親と暮らさないの?」

 一瞬遅れて盛上を見上げた。問いかける気配に、フカミはつい首を傾げる。

 暮らす? 両親と?

「一緒に寝起きしている子もいますけど」

 昼間は仕事があり、子供は大抵子供舎で過ごす。夜だけどこですごすとか、フカミにとってはその程度でしかなく。

 大仰な溜息が聞こえた。盛上は肩をすくめて首を振る。もう興味がないとでもいうように子供舎を出た。姫川が後に続く。

「正しい教育もない、親子関係も適切とは言えないわね」

「報告対象と考えて良いでしょう」

 盛上はフカミを振り返ることなく歩を進める。遅れずと姫川も小走りに後を追った。

 道なりに行けば次は集会場になるか。

 追わなきゃ。とは、思うのだが。

「ねえちゃ、コワイ顔!」

 むっと今度こそしっかりと顔を顰めて再びムツミを捕獲すると、回収に来たショウゴにしっかりと押しつけた。

「ショウゴ、ちゃんとムツミ見ときなさいよ!」

「これじゃおっつけねーっつーの!」

 泣き言の悲鳴なんか知らない。来てくれたついでとばかりにショウゴの頭を殴りつける。

 なにやら文句が聞こえる気がするが、聞こえなかったことにする。そうしてフカミはようやく集会場へと走り出した。


 案の定、集会場でも何かを書き込み、二人のホシンは島の西側へと進んでいく。農の大人達が作業する畑の奥、坂を下りた先は島の最西端になっている。

 島の西側には砂浜はなかった。崖が直接海から切り立ち、鳥の巣が幾つも張り付いている。崖の上には神の泉が広がって、泉を囲う林がある。近付いてはいけないとされる場所が。

 森上も姫川も。躊躇もなく進んでいく。

「あのっ」

 意を決して声をかけたのは、林の手前だった。姫川はすぐに振り向き、盛上は足を止めてからゆっくりと振り返る。溜息のような音が届いた。

 邪魔をしないで。そう言われているようで。

 フカミは声を張り上げる。

「この先は近付いちゃいけないんです」

「なぜ?」

 即座に返され、フカミは思わず目を瞬く。

 なぜと言われても。

「掟で」

 ──泉の水を飲んではならない。

 飲めない水に用はなく、また、外海に落ちれば大事であり。近付いてはいけないと言われていた。

 特に、好奇心旺盛な……ショウゴのような悪餓鬼は。

 それに。

 今ではフカミも好んで近寄りたいとは思わない。

「掟? 法律の事かしら」

「ほうりつ?」

 フカミは再び目を瞬く。盛上は大仰に溜息をついた。……話にならない、そう言っている気がして。

「そういえば、司法はどうしているのかしら。掟を破ったらどうなるの?」

「掟を?」

 盛上は真正面からフカミを見る。じっと注がれる視線を、マスクの向こうからでも感じる気がする。

 掟破り。言われて浮かぶのはヨツバの顔、そして、見事にバチがあたって杖付き状態のショウゴの顔だ。どうなるのと言われても。

「バチが、当たります」

「神様がいるとでも?」

 マスクの向こう、見えない顔が。嗤っている気がした。

「先生」

 姫川は盛上へと手に持つ箱のような物を示す。気付けば、ピーと口笛のような高く済んだ音がしている、気がする。

「今日は戻りましょうか」

 盛上は一人で決めて踵を返した。


 *


 食事を済ませ、美空は一人食堂を出る。孝志は曽田となにやら話し込んでいるようで、省吾も作業員のおじさん達と和やかに談笑している。盛上と姫川は早々に部屋に戻ったようで、すでに食堂に影はなく。松木は大あくびをしながら出て行った。

 今だ。何気なく自室に戻る風を装って、美空は暗い廊下へ飛び出した。そのまま音を立てないようにと心がけ、廊下を真っ直ぐ駆け抜ける。

 船倉まで降りれば気付かれることもあるまい。ハッチが開いたままなのは昨日も前回も同じだ。防護服は敢えて着ない。白くて闇夜に目立ってしまうし、カサカサと音もする。何より暑いし邪魔くさかった。

 階段を一段飛ばしで駆け下りる。真っ暗な船倉を月明かりを頼りにハッチまで。タラップがかたんと音を立て思わず止まってみたけれど、階段は静かなままだった。

「ミソラ」

 飛び上がりかけ踏みとどまった。ぐるりと視線を巡らせば、コンテナの脇に影があった。

 どきん。心臓が跳ねる。まん丸の月の下──ずっと会いたかった、自分と同じ、けれども確かに違う顔。

「フカミちゃん!」

 はやる気持ちをそのままに、僅かな距離を駆け抜ける。思わず飛びついた美空を、フカミはしっかり抱き留めた。


 話したいことは沢山あった。聞きたいことばかりだった。

 三年間ずっと来たかった。けれど、お父さんがどうしてもうんと言わない。今回も忍び込んできた。仕事をもらえた。次も来られるかもしれない。フカミの方が少しばかり背が高い? ショウゴは元気か。お母さんは昨日ちょこっとだけ見れたけど。

 ずっと待ってた。船をのぞき込もうかとしたくらい。でも叱られるし。ショウゴお兄ちゃんが教えてくれて。

 フカミも嬉しそうに返してきた。先に立ったフカミの後をついて行く。月光に白く浮かびあがる浜を、漁舎を越えて港まで。

 ショウゴも変わらず元気だよ。今は怪我してるけど。ううん、ちょっと酷く打っただけ。

「バチがあたったんだ、あの子は」

 フカミが小舟の陰に腰掛けたから、美空も並んで腰掛けた。足下を穏やかな波が打ちよせて、しぶきを散らし、さざ波と共に引いていく。

「バチ?」

「そう。神様のバチがあたったの」

 フカミは頷く。重い言葉のようなのに、フカミの様子はとても軽い。まるで、靴に小石が入っていたとでも言うように。

「泉に入ったの。オレンジ取ろうとして落っこちたんだけど」

 いつまで経っても馬鹿なんだから。フカミは吐き捨てるように言う。

 美空は首を傾げる。その泉がどんなものかもわからないけど、バチなんて当たるのだろうか。

 お地蔵様に悪戯しちゃいけないよ。神社で悪さは御法度さ。──バチがあたるよとは、田舎のおばあちゃんの口癖だ。好きこのんで悪戯しようとは思わないけれど。

「フカミちゃん、神様を信じてるの?」

 きょとんと視線を返された。美空も思わずきょとんと返す。

 あれ、何か変な事言ったかな。

「ホシンは神様の遣いなんだよ」

「えっ?」

 美空は目を瞬いた。……神様?

「お父さんもあたしも普通の人間だよ? 省吾お兄ちゃんも、髭のおじいちゃんも」

 うん、フカミは頷いた。

「先生も、ミソラも人だって知ってる。でもね、そう言われてるの」

 遠いホンドには神様が住んでいる。島にも神様が住んでいる。ホンドの神様は島の神様を見張っている。ホシンはそのお役目を担う遣いだと。

 遣いの船はホンドの船。だから島の神様に遣える島人が乗ることはなく。ホンドの神様の遣いであるホシンが島に留まることもない。

「ホシンはホンドの神様のお遣いだから白い不思議な服を着ていて、あんまりしゃべっちゃいけないって」

 フカミは横目で美空を見る。困ったように首を傾げる。

「掟だからって。でも」

 悪戯をしている子供のような、けれど少しばかり後ろめたいような。そんな顔で。

「ミソラとおしゃべり出来ないし……」

「あ、あのね!」

 言って思わず首をすくめた。辺りに声が響き渡る。少し黙って耳を澄ます。よせては返す波の音と、足下からちゃぷりちゃぷりと水音が聞こえるだけだった。

「防護服っていうの。絶対着ないといけないって言われてるの。防護服って言うのは、あんまり空気が綺麗じゃない所で着るものなの」

 美空は深呼吸する。潮の香りが胸一杯に広がっていく。少し温く湿気た空気は、喉にも優しい気がして。

 東京より、ずっとずっと綺麗なのに。

「あたしも、なんで着なきゃいけないのかわかんない。でも、着ないと外に出ちゃだめだって。だからっ」

 怒られるから昼間は大人しく着ている。言うことを聞いておかないと、次は無いかもしれないし。

 ころんとフカミは桟橋に転がった。美空も真似して寝転がってみれば、空には月明かりにも負けない星空が広がっている。

 きれい。美空は文字通りのミルキーウェイにしばし見入った。こんな星空見たことない。こんなにきれいな空気、他にないのに。

「なんでだろう」

 フカミは溜息のように。

「わかんないよ!」

 美空は吐き捨てるように言った。


 *


 美空はホンドが嫌いなんだろうか。フカミの知らないホシンの国を美空は何かをはき出すように口にする。

 石で出来た建物が何処までも続いている。夜中まで明かりが灯り、夜空には星がなく。道には車があふれかえる。

 何処へ行っても人だらけ。ムカンシンで冷たくて、勝手に決めて勝手に押しつけるそんな人間ばかりだと。

 島よりずっと広いはずなのに、島よりずっと狭苦しい。

 どんなところだろう。フカミは思う。美空にとってそこがどんなに嫌なところであったとしても。

 空に突き刺さるかのような高さの建物も。島の住人より多くの人が住むと言う町も。立ち並ぶ家々も。何もかも。フカミの知らない世界の話だ。

 どんなところなんだろう。──思うことは掟に触れるだろうか。

 ふと水を切る音を聞いた気がして顔を上げた。風に乗り波を過ぎる軽快なその音を。舟の隙間から湾を見れば、白い三角が滑ってくる。

 ヨツバが帰ってきた。

「ミソラ、帰ろう」

「……見つからないほうがいいんだよね?」

 うん。フカミはうなづく。二人でそっと出ようとして。その白い三角の下、大きく手を振られていることに気付いた。


 美空の小さな黒い影が砂浜を渡るのが見える頃、ヨットは港に滑り込んできた。投げ渡された舫い綱を、フカミは慌てて受け止めた。……重い。

「一人?」

「一人だよ。……ヨツバちゃん、お帰り」

 ただいま。言いつつ首をかしげている。

 ミソラに気づきませんように。思いつつフカミは杭へ運ぶ。

 美空はホシンで島人ではない。島の誰にも気づかれてはいけない。特に……ヨツバには。

「人を呼んでくるね」

 ヨットの固定はフカミでは無理だ。ヨツバが獲った魚の始末もある。

 よろしく。言ったヨツバの動きが、ふと、止まった。

 何も知らない、気づいてない。そういう体を取り繕って、フカミは漁舎へあわてて向う。

 漁舎の戸をたたき男手を集い、港へ戻ろうとフカミが振り返った頃には、小さな影は大きな船陰にすっかり呑まれて消えていた。

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