1-5

この事は内緒でね。ホシンとはそんな言葉で別れた。ミソラは他のホシンに見つかるとマズイのだと、麻袋の中だったけれど。

「だから、死んでなかったってことじゃん?」

 ショウゴの脳天気な声が届く。そんなことはフカミにだって判っている。

「神様の扉の向こうにいるはずなのに?」

 死者は全て堂の扉の向こうにいるはずだ。遠い海の向こう、ホシンが暮らすというホンドではなく。

「じゃぁ、にげたんだ!」

「赤ちゃんがどうやって」

「しーらなーい」

 赤黒くなり始めたフカミのゲンコツ跡を気にもせず、ショウゴはひらひらと動き回る。

 ダイゴにはあぁいわれたけれど、見張るだけでなく、もう一発くらい入れてもバチはあたらないんじゃないだろうか。フカミはつい、右手を握る。

「いいじゃん。どんな形でも生きてれば良いって父ちゃん言ってたし」

 そしてふと、ショウゴから笑みが消えた。

「おじちゃんが神隠しに遭ったって話。父ちゃんいつも言ってる。生きてさえいればって」

 フカミやショウゴが生まれるずっと前、子供時代の取り返せない過ちだと、いつかダイゴは言っていた。冒険のつもりで忍び込んだ遣いの船で、はぐれた弟は二度と帰ってこなかったと。

 ショウゴ、だ。

 ごくごく希にしか見られないショウゴの真面目な横顔を見ながら、フカミは思う。

 まだ子供らしい細いあご。少し細い目、狭い額、綺麗なラインを描く鼻筋、男のくせに整った唇。

 似ていると思ったのは。

「だからさ、よろこべば良いんだよ!」

「……ショウゴ、もう黙りな」

 医療院はもう目の前だ。人通りが増え、『耳』が増える。

「ん」

 さすがのショウゴも、何故とは言わなかった。

 生きているのにこしたことはない。それは判る。フカミだって、ランがいてくれればと、今もずっと思ってる。

 けれど、ホシンと共にあると言うことは、島を出たと言うことだ。……いや、だから、ホシンなのか。では、ミソラは?

 掟とは、なんなのだろう?

 フカミは風に吹かれるままに振り返る。ヨツバのヨットの白い帆が、風と共に島に戻ってきた。


 *


 底が平らな場所に置かれる。閉じられていた口が緩んだ。

 腕を突っ込み中から開ける。美空がぷはっと顔を出せば、省吾が作業着を脱ぎにかかっていた。

 冷えて乾いた空気。見知った部屋。船の自室だった。ため息ともつかない深い息が漏れる。

 怒られる、よね。

 シャッターを開けてもらって、フカミちゃんがいて。日が傾き始めて、早くと急かされて。最後は袋に入れられて戻ってきた。それどころではなかっただけで、落ち着いてみれば、怒られないはずがない。

 美空は再び袋の中に引っ込んで、目だけ出して省吾を覗う。怒られそうなら、このまま袋に逆戻りだ。

 ようやく袖から腕を抜きながら、省吾は長く息をついた。作業着の下に着込んだTシャツはたっぷり汗を吸い込んだ色だ。もわりと汗臭さが美空の元にまで届いた。

「もう出て良いよ?」

「……怒らないの?」

「ん?」

 袋の口が大きく遠慮無く開けられた。大きな手が美空を掬い抱え上げる。

「僕はね」

 省吾はくすりと笑む。

「でもおじさんたちは怒るかなぁ」

 とんと、そのまま床に下ろした。

 美空は思わず俯いた。

 約束を破ったのは美空だ。いけないことをしたのは美空だ。ちょっとだけだと、見つからなければ良いと思ったのに、ちょっとで戻るどころか。

 お父さんに怒られる。美空が悪い子だから、一緒に暮らせないって言われるかも、しれない。おじいちゃんに怒られる。ぶたれちゃうかもしれない。

 ぽんと大きな手が降ってきた。大きな暖かい手だった。

「美空ちゃん。この島には、上陸するのに必要な決まりがあるんだ」

 そろりと顔を上げた。腰を落とし、美空と視線を合わせた省吾はにこりと微笑んだ。

「このね、防護服を着なくちゃいけない」

 腰まで脱いだ白いツナギをつまんでみる。大人達が皆着ている作業服だ。かさりとビニールのような音がした。

「美空ちゃん、船酔いで寝てたし、そもそも船には子供サイズがないしね。説明出来なかったんだけど」

「……着なきゃダメなの?」

 フカミもショウゴも普通の格好だった。作業着はとてもではないが夏に着たい生地には見えない。まるで寒くなってから着るウインドブレーカーのようだ。

 外は、汗が流れるほど暑いのに。

 なんで? 傾げた頭を省吾は優しく撫でてくれる。

「決まりなんだ」

「なんで」

「……昔の人が決めたんだ」

「昔の人」

 う……くしょん! 省吾の頷きは盛大なくしゃみにとって変わった。美空は真正面から唾を被る。

 目が合った。……ばつが悪そうに笑った省吾につられ、美空もつい、笑い始める。

「風邪引く前に着替えてくるよ。美空ちゃんも顔を洗った方が良いな」

 美空ははたと自分の手を見る。埃と涙で筋までしっかり出来ている。

 慌ててお気に入りのコンパクトミラーを引っ張り出す。幼稚園で泥遊びをした後のような顔をしていた。

 おずおずと頷く。差し出された大きな手に自分の小さな手を重ねる。二人でまずは洗面所だ。

「帰ったら、パソコンの使い方を教えて上げる。判らないことを調べられるように」

 教えてくれないの? 見上げた美空に、省吾は笑みを返すばかりだ。

 美空は前を見る。船の小さな窓から、赤くなり始めた空が見えた。

 うん。美空は小さく頷いた。この島の事、作業着のこと、あの倉庫のような場所のこと。フカミちゃんのこと。小さなショウゴのこと。

 知りたいことが、沢山できた。

 洗面所に着く。省吾は繋いだ手を放した。

「外に出たいなら、お父さんに相談してごらん」

 後でね。軽く手を上げた省吾は、ドアの向こうへ消えていった。


 日が水平線に近くなり船に皆が戻ってきても、美空が外に出たことが気付かれた様子はなかった。何事もなかったかのように一日目が過ぎていく。

 顔を洗い服を着替え、こざっぱりとした格好で食事を終え、美空はそっと孝志の部屋の戸を叩いた。外に出たいとねだってみようと思っていた。

 どうぞの声に戸を開ける。中に待つ孝志は、淡く微笑むと美空の両肩にそっと手を置いた。美空を正面からじっと見る。

 お父さん、あのね。口を開く前だった。

「美空。外に出たね?」

 出てないよ。言わないと怒られる。けれどそれは嘘で。嘘はイケナイといつもおばあちゃんには言われていて。

 どうしよう。美空は何も言えずに顔を伏せる。

 そして。ふわりと抱き寄せられた。

「省吾君がこっそり美空を船に乗せて。……こうなると思っていたよ」

 お父さんの匂いが美空を満たす。優しい優しい声だった。

「美空はここで生まれたんだ。ここで生まれて、事情があって、暮らせなくなった」

 こくりと美空は頷く。そうだろうと思っていた。

 フカミちゃんは言っていた。死んだはずだと。

「船がいる間、故郷を、この島を見てくるといい。ただし……」

 防護服を着ること。飲食は絶対しないこと。――それが保守監視員が守るべき掟だと、孝志は続けた。


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