的場佳奈子は触りたい
東福如楓
序幕 この国を壊す者へ
東京都目黒区
令和五年十月三日(火)午前二時
少女がいる。
生い茂る駒場野の森に、夜を踏んで佇んでいる。
その身の丈は五尺半。女子にしては背が高いほうだ。
純黒のセーラー服を着た少女は、軍刀を帯びている。
長い髪を夜風にくしけずり、
少女の前には、若い女の
ちゃら、と音がした。女は、手にした太刀を握り直した。
血の薫りをまといながら、死の気配を
――二色は、互いの必殺を計り合っている。
両者の立つ初秋の駒場野公園を、ぬるんだ風がはい回る。あたりに人の気配はなく、離れた通りからエンジン音がまばらに届く程度だ。
もの寂しいのも無理はない。先日から都内各地で『未確認生命体』が無差別の食人行為を繰り返しており、夜間外出を控えるよう警察が警告しているからだ。東に二駅離れた渋谷のセンター街ならともかく、文教地区である駒場の夜は静かなものだった。
時刻は午前二時、すなわち
粘液のごとき闇に身を溶かし、自衛官の女は手にさげた太刀をすらりと抜き放った。
「待ちわびたぞ、
公園の木々を通し、銀月の斜光が刀身に跳ねる。その刀が
「その刀はまさか――? あなた、どうしてそれを……」
鈴のような声を鳴らして、佳奈子が息を呑む。その背中に流れる
女が握るその太刀は、京都のとある橋で鬼の腕を斬り落としたと伝えられるものだ。そして
佳奈子の敵は表情に
「自分は防衛装備庁技術研究本部の三等陸尉、
防衛装備庁技術研究本部。表向きは自衛隊の装備開発を担当する機関である。だが彼らには、もう一つの知られざる顔があった。それは、佳奈子のような戦争の『落とし子』を狩り出して処理し、最終的に歴史から
「あの戦争から、既に七十八年が経過したのだ。そろそろ舞台から降りてみてはどうかな、お嬢さん?」
ざらりと音を立て、
「わたしにはこの時代の人間に危害を加えるつもりはないし、ここでみすみす
「……残念ながら断る。最後の瞬間を迎える前に、自らの葬式の宗派でも考えておくことだ」
一歩、一歩。来たるべき暴力の
暴力は極力避けるもの。それが佳奈子の座右の銘だが、事態がここに至っては仕方がない。誇りを賭けた彼女らの鉄火場は、今まさに開帳を告げようとしているのだ。佳奈子は諦めたように息をつき、自らの肉体に闘争の開始を宣告した。
音を響かせて軍刀の
攻撃的でグロテスクな両手の外形は、佳奈子の可憐な風情とはあまりにもミスマッチだった。その変容の様子はどこか、出来の悪いクレイアニメを思わせる。いつのまにか彼女の
「いい心構えだ。ここで逃げる奴は、ただの脱走兵でしかないからな」
杉原の言葉を無視した佳奈子は、かぎ爪を生臭い体液に濡らして軍刀を握り直した。
「安心しろ、二号。気絶するほど痛いだけだ。いざ、
「――花の女子高生相手に少し喋りすぎよ、おばさま」
青くたたずむ
「!」
流星を思わせる
「
牙を剥き、
「燃えよ『
瞬間、軍刀の刀身が赤く輝きを発する。避けようのない速度で、敵の首筋を目指し
……その一手は、まさに
「しま……っ!」
その斬撃はむなしく空を切り――、刀身の軌跡の真下、佳奈子のふところから声が返ってきた。
「甘いッ――!」
次の瞬間、上半身全体の筋肉をバネにした
「――っ」
目を見開き、声にならない声を漏らす佳奈子。
「ふふん。もしかして殺すつもりだったのかね? 貴様が? この自分を? 身のほど知らずがッ!」
不敵に頬を緩め、佳奈子の腹を蹴り上げる杉原。
「う――っ」
切っ先から血の糸を引いて、突き刺さった刀がずぷりと抜けた。うめきながら軍刀を取り落とし、佳奈子が地面へと倒れ込む。とたん、肉の焼けるような音と白い煙を立てながら、佳奈子の傷口が回復を始めた。
それを見下ろす杉原の表情は、
普段の佳奈子なら、これしきの傷は数分もせずに回復する。だがこの杉原と名乗った自衛官が、その時まで彼女を生かしておくとは思えなかった。
――その時、どさり、となにかが地面に落ちる音が響いた。雷に打たれたように、両者は音の出所に顔を向ける。
「「!」」
同時に息を呑む二人。視線の先には、コンビニの袋を取り落とした少年が立っていた。見てはいけないものを見たことに気付いた少年は、きびすを返すと慌てて走り去っていく。
「ちッ――」
杉原は舌打ちして立ち上がり、林を通って駅方面に繋がる遊歩道へと少年を追う。黒い血にまみれた刀を手に、目撃の事実を帳消しにするために彼女は駆けていく。
「いけない――!」
思わず佳奈子の口からそんな言葉が漏れたが、むろん杉原は足を止めなかった。恐らく、彼女は経験的に知っていたのだろう。『証人』を確実に消すことこそ、殺人者に課せられた最大の『鉄則』なのだと――
◆◆◆
傷口を押さえた佳奈子が現場に辿り着いた時、そこには最悪の事態が訪れていた。――あたりに敵の気配はない。伏兵として潜んでいた佳奈子の『相棒』が、既に追撃に当たっているはずだ。案の定、離れた場所から何発か三八式歩兵銃の銃声が響いてきた。
常夜灯の光に照らしだされた少年の顔を目の当たりにし、佳奈子の背に
「せん……ぱい……?」
言って、
考えてみれば無理もない。潤は駒場野公園のすぐ近く、大学入試センターの真横に住んでいるのだ。駅前のコンビニで物を買うために公園を突っ切ったとしても不思議はない。人払いもせずに戦いに赴いたのは、完全に佳奈子のミスだった。
見知らぬ他人ならまだ諦めもついただろうが、ここで潤を見捨てられるほど佳奈子は人格者ではない。ここで彼を助ければ、今後の戦いに支障が出るのは目に見えていた。
だが、佳奈子の心に
「潤、よく聞きなさい。あなたは今日から、わたしの懐刀になるの」
「……ふところ……がたな……?」
息も絶え絶えに問い返す潤に、佳奈子は続けた。
「そう、懐刀よ。傷が完全に癒えるまで決してわたしの側を離れず、なにがあっても付き従いなさい。それを約束できるなら、あなたの命は助けてあげるわ」
突拍子もない助命の申し出に、潤は一も二もなくうなずく。佳奈子は自らの傷口から黒い血を指にすくい取り、それを彼の口に持っていった。佳奈子の異形の腕は、いつの間にか人間のものへと戻っている。
「――いい子ね。さあ、お舐めなさい?」
潤は必死で舌を伸ばし、佳奈子の指を舐めようとする。だが、震える舌先は目指す場所に届かない。
「かわいそうに。もう、血も飲めないのね……いいわ、わたしが代わりに……。わたしの力を、あなたに貸してあげる――」
言って、佳奈子は自らの口に血を含み、潤を抱え起こしてそっと口づけた。
冷たく甘い舌を彼の
これこそが、『遠隔衛生』の能力。戦場での治療用に関東軍が開発した特殊能力だが、その能力を完全に獲得した
関東軍が彼女の体に植え付けた外道の力で、彼女を幸せにしたものなど何一つない。
だがこの時ばかりは、佳奈子も彼らの技術力に心から感謝せざるをえなかったのだった――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます