腐ったアタマで考えられっか!
緯糸ひつじ
小説をぐわーっと綴っていく機能。
あー、あー、記述チェック、記述チェック。
今、この文章を読めてますか?
読めているなら、そのまま次の文章へ。読めなかったら──と続けて記述しようと思ったけれど、読めない場合にここで伝える方法はないので、結局は読める君が、この文章を無駄に読むことになる。
君は、ただの読者ではない。
わたしも、ただの語り手ではない。
まず、その意味するところを説明しよう。
いつかどこかで、ある文を君は読んだはずだ。
あれやこれやへのアクセス許可に同意しますか的なそれ。
これはけっこう重要で、同意してくれているから今がある。
そんな記憶はないと言う人もたまにいるけれど、この文章を読めるならば、以前にちゃんと同意しているはずなので諦めてもらおう。
記憶と記録なら、記憶の方が改竄されやすい。それに、アタマの棚の片隅に記憶を仕舞ったままってこともある。たぶんその手のやつだ。心配しなくても大丈夫、よくあることだ。
君には今、できたてほかほかの文章が提供されている。理由は「読者に最適な語り手を生成して、そして最適な物語をお送りする」ことが、このテキストの機能であり、サービスだから。
仕組みはこうだ。アクセス許可されたユーザー情報や、端末上の画像/メディア/ファイル、SNS、そして端末のインカメラから観た眼球や表情筋の運動などのデータを、逐一フィードバックすることで、仮想の空間「世界」と、仮想人格の語り手「わたし」が生成され、そのわたしが文章を綴っていく。そう、このわたしが。
君が観ているこのディスプレイ。その表示画面上に収まっていない下方の部分は、実はまっさらな余白なんだ。と想像してほしい。
君がスクロールするコンマ一秒以下で、わたしがせっせとその余白に最適な文章を編み上げているんだ。
これで、意味が分かったと思う。
君は、ただの読者ではない。
なぜなら君は、今まさに創られた文章を読んでいるがために、たった一人の読者になるから。
わたしは、ただの語り手ではない。
なぜならわたしは、読者自身によって生成されている、たった一人の語り手であるから。
この仕組みによれば、この小説は君によって創造されている。
つまり、君は読者でなおかつ作者。
まだ書き終わっていない物語を、もう読み始めている。
理屈が狂ってると思うかもしれない。
でも、小説というのはなにかしらが狂っていても一向に構わないんだ。
尚、上記の文章についての「わたし」の記憶──「わたし」が架空の語り手である自覚や、これが小説生成サービスであることの意識──は、君がこの段落を読み終えた時点のスクロールを承認として、一切が消滅する。なぜ、そんなことをするのか。語り手が、語り手であると自覚していると、いろいろ不都合も多いからだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
がやがやとした渋谷のファストフード店。
わたしは店内の端っこの二人席に座って、ビビッドなカラーの壁に寄りかかりながら薄い参考書を広げていた。ぱたっと閉じると「上野」とこじんまりとした丸文字で名前が書いてある。
「あ、上野。待った?」
聞き慣れた可愛い声にはっとして、わたしは顔を上げる。正面に立っていたのはわたしの同い年の女子高生、高嶺だ。だぼっとしたパーカーにキャップを被り、太い黒縁のメガネを掛けている。
「高嶺、おそいよ」
わたしは思ってもない悪態をつく。
高嶺はどこか野暮ったい雰囲気を放つ、昔からの大親友だ。高校は違えど、こうやって月に数度は顔を合わせる。
わたしは、ポテトとコーラの載ったトレイをスッと引いてテーブルの余白を開けた。
「ごめんごめん」
にかっと高嶺は笑いながら、ハンバーガーのセットを置いて正面にどかっと座る。そして周りを気にするように顔を近づけて。
「ちょっと打ち合わせが長引いたんだ」
と小声で言った。わたしは『打ち合わせ』というワードでひやっとする。
「あ。そういうの、あんま言うなって」
「大丈夫、大丈夫」
「いやいや」
高嶺は飄々としているが、わたしのほうは慌てている。端から見たら、わたしのドギマギしている様子で、他のお客さんに感づかれるかもしれない。わたしは焦りを隠すようにコーラのストローをくわえて、ちらちら周りを窺った。
「上野は、小心者だなぁ。あ、スニーカー新しいね、かわいい」
高嶺はどこ吹く風の様子だ。こっちの身にもなってくれ。わたしのポテトを勝手に一本つまみ上げて、笑って歯を見せる高嶺、彼女は今をときめく人気女優なんだから。
わたしと高嶺は中学校一年生のときに、同じクラスになった。二年生の頃に高嶺はスカウトされて今の事務所に入り、その後トントン拍子でスターの道を走っていた。近所の公園で、あの芸人があーだプロデューサーがどーだと愚痴を聞いたもんだ。
親友がスターになるのは、不思議な気持ちだった。
たしかに見た目は可愛いのだけれど、彼女の普段の振る舞いを見ると、テレビの向こうでドラマに出演したり、バラエティでファンの黄色い声援を浴びたりしている姿が、なかなか今でも重ならない。
ほんとに同じ人かな、と思ったりもしたが彼女は役者なんだ。当然といえば、当然だ。
部屋のテレビで、親友がスポットライトを浴びる姿を見ていると『わたしもあんな人生を送ってみたかった』と思ったりする。
自分のやるべきことを「これだ」って見つけた高嶺が羨ましいと感じるときもある。
けれど、これは資質の問題だ。
スターとしての資質。
高嶺にあって、わたしにはないもの。
「その事実は、甘んじて受け入れよう。どうせ小心ですー」
「なに不貞腐れてんのさー」
「そういう日もあります」
わざとらしく眉間にしわを寄らせてみる。
冗談めかして言ったものの、だ。
最近は、高嶺と一緒に遊べただけでも恵まれているかも、とぼーっと考えながらお風呂に浸かる日のほうが多い。人気女優がわたしと渋谷で遊び回っている道理もメリットもないよなー、なんて卑屈さは油性ペンもかくやとばかりに洗い流しにくい。
でも高嶺は、親友とは昔のように会いたいねぇなんて平気で遊んでいるんだ。
かなりの度胸の持ち主だ。
バレたら一気に人だかりができるだろう。簡単に想像できる。けれど、なぜだか高嶺は一般の人に気付かれない。
普段の野暮ったさが要因だ。テレビで見るキラキラ感が影をひそめている。むかし「キラキラした雰囲気はどうやって出してるのか」と高嶺に聞いたことがある。「胆田に力を込めると出るよ」と高嶺は言っていた。チャクラかよ。
まあ、プライベートで芸能人オーラを完全に消し去る能力も、ある意味女優である上の資質かもしれない。
「あ、そうだ。さっき知ったんだけど」と、高嶺。
「なに?」
「面白い動画あるんだよ。ちょっと前にSNSに上がってるやつ。ゾンビのフェイク動画。かなりリアリティがあって、結構話題になってる」
高嶺はスマホを差し出して、わたしに見せる。
「ほんとだ」
道玄坂の奥の方で、撮られたものらしい。手振れが酷い映像の中には、酔っ払いのような歩き方をするゾンビの姿がいる。構成もへったくれもない三十秒もしない動画だった。
「リアリティだけで言えば、良くできてる」
「うん。まぁ、こんなゾンビなら、実際に出てきても生き残る自信あるけどね」
「昔から高嶺はゾンビ映画好きだったもんね」
ああ、もちろん、と高嶺は頷く。
「──ジョージ・A・ロメロ監督が、一九七〇年代にゾンビ映画を甦らしてから、うん十年。頭をぶち抜いたら起動停止する、ホームセンターに籠城するなどという様式はもはや浸透しているだろうけど、私はさらに具体的な対策術を頭に入れてるのだ。あ、そうだ、これ知ってる?」
と言ってサメのかたちのバッグから本を取り出す。
「なにこれ」
「──『東京都民のためのゾンビ対策マニュアル』」
と高嶺は口角を上げて、本をぷらぷら振る。
「どこが出版してんの、それ」
「──同人誌。なんとなく様式を知ってるだけじゃ、実践には耐えられないよ。いつか必ずや来る、ゾンビパニック」
「そな、あほな」
あまりのジョークに、エセ関西弁がもれる。
「そうか、あほか。でも、本番直前で悩んでチャンスを逃さないように、今のうちに究極な質問の答えを考えとくのも面白い。ほら、上野に、あほで真面目な質問です」
ポテトを指揮棒みたいにして、わたしを指す。
「──私がゾンビになったら、ちゃんと殺せんの?」
一瞬の沈黙。高嶺の真剣な眼差し。そしてわたしは、──ぶっと吹き出して笑う。
「和牛のネタじゃん。なら決まってる」
とわたしは呟いた。高嶺は予想外の答えが返ってきたようで、きょとんとした。
「へ?」
「M-1グランプリ2018の決勝でさ、和牛ってコンビがそのネタやってたんだよ。相方がゾンビになったら殺せるかって」
「お、おう。それで?」
「いやぁ、『腐って色変わってるけれど喋られるゾンビ』と『まるっきり本人そのものだけど、ふぉぉぉぉぉってしか喋らないゾンビ』で、殺すか殺せないのか揉めるってネタだった」
「うん」
「それを見ていた父と母で意見が対立しまして」
「ほう」
「家族会議が紛糾した」
「暇なのか、父母は」
「まぁ、人並みに。――で、それ以来、わたしん家では、家族が『ふぉぉぉぉぉ』って言い始めたら殺すと決めたんだ。家訓だ」
「お、おう、仲良いな、上野ん家」
「で、高嶺は?」
明らかに自分のタイミングを外されて狼狽えている高嶺に振る。
「うーん。私も、喋られたらムリだ」
「喋ってたら思考してるってことだもんね。気が引ける」
「そう、それ。腐ったアタマじゃ考えられない」
「じゃあさ逆に、もし喋れて『コロ……シテクレェ……』言ったらどうする?」
「まじかぁ、なら、やむなし」
「即断」
「上野の頼みだったらな」
と高嶺は笑って見せる。
そして、その後もわたしたちは馬鹿みたいな雑談を続けた。
高嶺にとってはたぶん落ち着く時間を、わたしにとっては刺激のある時間を味わっていた。
このときは思わなかった、まさかこんな冗談が現実になろうとは。
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