06

 別フロアへと「吉乃ちゃん」が行ってしまうのを見送ってから、俺から口を開いた。


「俺に用事ってなに……」

「彼女となに話してたんだ?」


 俺を見る伊集院は不審げだ。そんな風に見なくても、俺はなにもしていない――


「俺が来る直前に、彼女、急に元気がなくなったみたいに見えたから」


 それはたしかにそうだった。


「大した話はしてないよ。世間話しか」

「例えば?」


 鋭く突っ込まれる。

 詳しく話すと、あの子が伊集院に用意したお菓子の話に繋がってしまいそうで、それはやめたほうがいいって俺にもわかる。これ以上は突っ込まないでくれよ、って念じながら俺は答えた。


「大学入ったあとのことはあんまり考えてないって言ってたからさ、遠くの大学に行くのかとか、まさか病気とかで余命少ないわけじゃないよなって冗談で聞いたりしただけ」

「ふうん」


 伊集院は訝し気に相槌を打ちながら、書棚に視線をやる。

 平積みされた本のなかには、さっきあの「吉乃ちゃん」が読まずに戻した本がある。「世界の古城ホテルの間取りを紹介!」という特集がされていたやつだ。

 伊集院はそれを見てなぜか眉を寄せた。


「まあ、いいや。あとは……彼女に聞くからいい」


 話題を急に断ち切るようにそう言って、空気が変わる。よくわからんが、もういいらしい。

 俺へ向けていた少しとげとげした雰囲気が消えて、ほっとする。けど、ほっとした流れで俺はまた余計なことを言ってしまう。


「その紙袋」


 伊集院の手には通学用の革鞄のほかに、小さ目の紙袋があった。これまたどっかのおしゃれな高級洋菓子店のやつだって感じの。


「あのさ、俺が言うのもおかしいんだけど、それ、見えないようにしまっといたほうがいいんじゃないか。今さら遅いかもしれないけど」

「は? なんで」

「その紙袋って、あれだろ。今日、うちの高校の女子からもらったやつだろ。さっきの子が、その、気にするんじゃないかと思ってさ」


 伊集院は目を見開いて何度か瞬きした。そういう行動まで格好よく見える男って、なかなかのもんだよ!


「他人のことは聡いのに」


 伊集院は大きなため息をつく。


「これは俺が、彼女にあげるために買ったやつ。だから心配なんて必要ない」

「へ? けど今日は女子がお菓子をあげる日じゃ――」

「男があげたらダメって決まりもないだろ。もともと緩く適当に盛り上がるイベントなんだから」


 さらりと言い切った。

 その高級なやつ、わざわざあの子のために用意したのか。もしかして、この近くにある百貨店の地下で買ってきてからここに来たってこと?


「学校で女子からのお菓子は断ってたって聞いたけど、さっきの子のためなんだ?」

「それ、聞いてどうすんの?」

「あ、いや……」


 あの子関連の話題は、下手に振らないほうがいいのかもしれない。

 安易に踏み込んでくるなってオーラをびしばし感じる。恋愛に関しては秘密主義だってのは知ってたけど、いつも当たり障りなく躱してたイメージがあったので意外だ。多少踏み込まれても、適当にごまかすくらいかなーなんて勝手に思ってたよ。


 動揺した俺は、言う予定のなかったことを口にしていた。


「俺も貰ったんだ。お菓子。でもなんか困っちゃって……。お前みたいに断れたらよかった」


 実は俺の手元にもおしゃれな紙袋がある。高校の最寄り駅前にある、小さな洋菓子店のやつ。中に入っているのは、小ぶりのクッキーの詰め合わせの袋だった。

 今朝、なんとなく目が覚めて早く学校に来た。一番乗りかと思ったけど、そういうわけでもなく。俺の靴箱にこの紙袋がちょこんと入っていたわけだ。


 ほんの少し、見つけた瞬間に伊藤の顔が頭に浮かんだ。

 前日にあれだけ欲しいってアピールしたし、もしかして義理でくれたんじゃないかって。

 けど浮かれていられたのも、教室から伊藤が出て来るのを目撃するまでのことだった。


 あいつの捨てた、自分で買ったいろんなお菓子を詰め合わせて作ったんだろう花柄の袋。それを見て、俺の貰った紙袋は別の人物からのものだと悟った。

 さらに言えば、確認してみると小さいカードが入ってて、どうやら部活の後輩がお世話になったお礼にとくれたものだってわかったのだ。


「困ってんの?」

「そうだよ」


 八つ当たり気味に俺は肯定する。


「昨日までは誰からでもいいから欲しいとか思ってたのにさ。実際に貰ってみたら困るって思っちゃって、そんな自分にも困ってんだよ」


 おしゃれな紙袋を見ても伊藤の顔がちらついて素直に喜べない。

 自分で自分に驚きだ。それほど俺は――。


「伊藤から貰いたかった……」


 正直に言って、それに尽きた。自覚してた以上に、俺はあいつから欲しかった。いや、単にお菓子が欲しいってだけじゃない。


 もうすぐ卒業して、大学は分かれてしまう。

 そんな状態で、何か少しでいいからあいつと距離を縮められるようなことが起きてほしかったのだ。だけど自分から何かをするって度胸がなかった。


「やっぱそういうことか」


 伊集院がまた大きなため息をついた。


「押し付けられてどうしようかと思ってたんだ。これ、お前に返す」


 鞄から取り出されて俺の目の前に差し出されたのは、あの花柄の袋だ。こいつがゴミ箱から拾って持って行ったやつ。


「返すってのも変だな。元からお前宛てだから、お前に渡しとく」

「は? え? なんで」

「お前に話があるって言ったのは、コレのこと」

「もうちょっとわかりやすく」

「お前さ、これを捨てたのが伊藤だって知ってたんじゃない? だから捨てた犯人にされたとき、そのまま罪を被ろうとしたんだ。違う?」


 俺は答えられなかった。


 まじかよ……なんでこいつ正解できるんだ。

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