43:最後も崖の上
彼を説得する心の余裕はなかった。
「危険だから、早く外に!」
「外に出て、何になる? 何もならない。悪いけど、俺は上に戻るよ」
「あなたが黒幕だって気付いた理由、まだ教えていません!」
「その理由、いろいろ考えたけどわからなかったな。すごく気になるけど、でももういい。俺が死ねば、君の望みはある意味叶えられたことになるよ」
「そういう叶い方は嫌です」
「何のために生きるか、考えるのに疲れたんだ」
蘇芳を見ると、彼はらしくもなくやけに狼狽した様子だった。
「俺は……」
何かを言いたいけど、言葉が見つからないって感じで弱々しく首を振る。その様子に胸がしめつけられそうになるけど、いまは感傷的になっている場合じゃない。どうにかして全員で庭に出なくては。
そうだ、星だ。前世の従姉が言っていた「一緒に星を見ましょう」ってお誘い、するならおそらくここじゃない?
「さくらちゃん、説得して」
私は小声で、できるだけ口を動かさないようさくらに囁いた。
「でも」
「遊びに行く約束っぽいやつ。ここから出たあとの予定を提案するの!」
心の中で「星だよ、星」と念じる。
あの部屋で交わした会話を覚えているなら、きっと言ってくれるはず。そのありあまる主人公力をここで発揮してほしい。
さくらは小さく頷く。
「玄斗さん、一緒に……」
ためるように間をおいたあと、一気に続けた。
「一緒に、吉乃ちゃんと映画を見に行きませんか!?」
「なんで!?」
そっちじゃないよ!
「吉乃ちゃんに誘われてて、あの、よかったら玄斗さんも!」
あれは流れで誘っただけだったのに。
紫苑は「まじでこの人とそんな約束したの?」とか横で呟くし、きっと事情があるんでしょと言わんばかりに同情するような目を蘇芳が向けてくる。
それを見ていたら、なんでこの人達、この状況でそういう反応なわけって文句を言いたくなった。
「蘇芳くんは?」
「俺?」
「何か言うことないの」
ちょっと考えてから、蘇芳が言った。
「吉乃ちゃんが行くなら、俺も行く」
それは、わざわざここで宣言するようなことだろうか?
この人達は、重要な場面で一体何を話しているのだろう。
私はやっぱり物語の主要人物にはなれないと悟った。修羅場に直面したときの言動がちょいちょい常人とずれてると思う、この人達。
「俺は吉乃ちゃんと二人でもいいけどな」
「それはやめてくれる?」
玄斗の軽口に、すぐに蘇芳が返した。
「そういえば、お前がどんな映画観るかなんて全然知らないな」
「俺だって、あんたの趣味なんか知らないよ」
「じゃあ、みんなでどんな映画を見たいか、話し合うところからだね!」
蘇芳と玄斗がうさんくさそうな視線を向けるけど、さくらは気にせずにこにこしていた。あの二人のあの視線を気にしないのは、少し尊敬する。
「いいの、姉さん?」
「まあ、映画なら」
紫苑は「念のため、俺もついていこうかな」なんて言っている。
なんていうか……私達、何の話をしていたんだっけ?
「映画か……」
「行くだろ。だから、さっさと降りてこいよ」
階段の下まで戻って、蘇芳がそう呼びかけた。
「いいのか?」
「いいよ」
玄斗は、足を踏み出した。
塔を飛び出した私達は、庭園で不安そうに見守っていた人達に、「離れて」って叫びながらとにかく建物から距離を取った。
背後で大きな音がしたときは、心臓止まるかと思った。思っていた以上にぎりぎりだったらしい。
警察はすでに到着していて、「近づいたら犯人が建物を爆破するかもしれない」という客達の言葉で簡単に踏み込んでこれなかったようだ。
塔の三階部分は外から見ても酷そうな有様だけど、そのせいで全てが崩れてくる、なんてことはなかった。
定時連絡をすっかり忘れていたせいで、両親とゆかりもすぐにやってきて、またも私は――いや今度は私達三人は、無事を喜ばれるとともに無茶したことを怒られた。
玄斗のことを聞いた両親は顔をしかめたけど、蘇芳が何か言う前に「それと婚約は関係ないからな」と父が先手を打ってくれた。私も同じ気持ちだ。
やっと終わった。でもこのあとも、何の問題もなくハイ終了とはいかないんだろう。黒田のときのことを思い返しながら、それでも私はやっと三年越しの懸念事項が解決したんだと思った。
警察が応援を呼びつつ、現場の確認や客からの事情聴取を始める。とりあえず何か飲み物でもと従業員に気を遣われ、みんながホテル内へと移動していく。
だけど私は一人になりたくなって、外の空気をもう少し吸いたいと庭に残った。
庭の先は崖。一番近いベンチに座るとぼんやりと景色を見つめた。陽は完全に上っており、綺麗な青空が広がっている。その下には新緑の木々。
崖の上でこんなに穏やかな気持ちで景色を見たの、初めて。
「吉乃ちゃん。大丈夫? 疲れてる?」
ぼんやりしていたら、さくらに声をかけられた。
「それなりに。さくらちゃんこそ大変だったでしょ」
何の用だろう。一人になりたかったけど……まあ、いっか。
「あのね。お礼を言いたかったの。ワインのこと、気付いてくれて助かったよ」
「めちゃくちゃ視線動かしてたから。さすがにおかしいって思った」
「玄斗さんに気付かれないか、どきどきしちゃった。でも、止められてよかった」
「うん」
本当に。殺人も、自殺も、止められてよかった。
「他にも、ヒントくれてたよね」
「気付いてくれたんだ!」
「被害者は悪い人」
「そう!」
彼女が消える前に残した言葉も、ヒントだった。
もし被害者がでるのなら「悪い人」。
あれはさくらなりの、私へのメッセージだった。
不仲っぽい従姉を信じてヒントを残してくれてしまう、その人の好さは、もう彼女の個性としかいいようがない。
「私一人で止めようと思ってたの。でも、吉乃ちゃん達が謎を解けば、玄斗さんもより諦めがつくんじゃないかと思ったんだ」
「だから客室も交換してくれたし、それを玄斗さんに言わなかった」
「へへ、さすがだね! 吉乃ちゃん達が彼を疑うはずってことは、聞いてたの。だから彼がどうしても犯行を行えない状況で私が消えれば……真相に近づく可能性が高くなるかなって思ったんだ」
「やっぱりそうか……」
玄斗と対峙したとき、あれって思った。
抜け穴は特別客室には存在しない。だけど玄斗は、それを使ってさくらを襲ったように見せかけたと言ってた。
あの矛盾も、私がさくらを信じ、玄斗からワインを取り上げる行動に出られた理由だった。
「玄斗さん、どうなるのかな。それに……さくらちゃんも」
彼はどんな罪に問われるのだろう。黒田の件もあるし、何もかもがパーフェクトな終わりとはいかない。
それに、最初から止めるつもりだったとはいえ、さくらも協力者ではあった。何かしら罰があるんだろうか。
「どうだろう。わかんないけど、きっとすごく悪いことにはなんないよ」
私を励ましてくれているのか、元々の前向きさゆえなのか。
どちらにしろ、さくららしいなあと思った。
「蘇芳くんにね、玄斗さんと仲良くしてあげてって伝えてもらっていい?」
「え……」
明らかに嫌そうな声を出したら、さくらが慌てる。
「あっ、やっぱりやめといたほうがいいかな!? 吉乃ちゃんのほうで、いいタイミングを見てからでいいから」
「そういうタイミングがくれば、まあ」
たぶんそんなタイミングは来ない。
やっぱり、彼女の言葉は私や蘇芳なんかとは相性が悪い。
ただ、昔ほどには傷ついたり怒りを感じてないとも気付く。それは私が自分の環境も含めて変わったからかもしれないし、彼女だって変わったからかもしれない。
加えて、彼女の怖いくらいの素直さや明るさに救われるときもあるって、身を持って体験しちゃったから? 流れとはいえ、共闘しちゃったから?
まあそれでも、申し訳ないんだけど、平和なときは適度な距離を置きたいって気持ちまでは変わりそうにないかも。
「そうだ。吉乃ちゃんは、どんな映画が見たい?」
「うーん、映画かあ」
私は目の前の崖を見ながら考える。
「事件が起こったり、探偵が出てこない、平和なやつかな」
そういえば、いま、さくらと事件についての答え合わせみたいなことをした。
この世界の崖って、近づくとやっぱり何かしら起こるのかもしれない。
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