38:『迷いの城殺人事件』
つばきの質問に不穏なものを感じた私は、すぐに蘇芳を押しのけるようにして扉を大きく開けた。
「さくらちゃんがどうしたの」
「眠くなってきたから、シャワー浴びることにしたんだ。でも俺がバスルームから出たら、部屋にいなくてさ」
「それっていつ」
「三十分くらい前かな。寝たのかと思ってたけど、なんか不安になってきてここに来た」
「寝室は確認した?」
「一応、ノックはしたけど返事がなくて」
きっと眠気に勝てなくて寝たんだ。そうであってほしい。
でも、さくらが何の一言もなく、寝室に引き上げたりする?
「私、一応確認してくる」
言うが否や、部屋を飛び出して特別客室へ急いだ。
つばきは部屋の鍵をかけて出なかったらしく、ドアノブを回すとすぐに開いた。
入ってすぐのリビングルーム。見回すけど誰もいない。絨毯の敷かれた床を確認するけど、血のあとはない。
次に、私が泊まるはずだった寝室。
ドアを薄く開け、隙間から中の様子を窺う。灯りはついてない。
思いきって全開にした。
リビングルームから差し込む光で、少しだけそれが見えた。
心臓がばくばくする。私は部屋の灯りをつけた。
部屋には誰の姿もない。
床に敷かれた絨毯には、何かがこぼれたような赤黒い染みがある。
「嘘だって言って」
誰か、これは間違いだって言ってほしい。
本来の予定と違う部屋に泊まることになり、そしてその客室から忽然と姿を消す。部屋に残るのは、血の跡だけ。さて、誰がどのようにして彼女の遺体を持ち去ったのか――?
同じだ。小説の綾小路吉乃と、西園寺さくらの状況が。
入れ替わっている、という蘇芳の言葉が頭のなかでこだまする。
なら、彼女はもう……。
いや、似てるところだけあげても仕方ない。
『迷いの城殺人事件』の最初の被害者の重要な部分って、あの抜け穴のある部屋に泊まったってことだ。だってその後の殺人にも使われる仕掛けがあるから、予定と違う相手だって犯人は殺した。
ああ、でも小説じゃ玄斗が犯人だったわけじゃない。彼は、抜け穴の確保よりもターゲット殺害を優先したのかもしれない。
なんらかの理由で部屋の入れ替えに気付いた玄斗は、この部屋にいたさくらを狙った。蘇芳の兄が部屋を訪ねてくれば、さくらは特に疑わずに扉を開けるだろう。
頭の中では冷静に分析しながら、私は乱暴にベッドの布団をめくり、ベッドの下を覗き、クローゼットの扉を開け放ち、人が入るスペースなんて明らかになかろうが、目についた棚の引きだしをすべて開けた。
この部屋には誰もいない。
ついでに言えば、赤黒い染み以外に何か手がかりになるようなものもない。
だけどふと目をやった先、ベッドの枕元にある小さなサイドテーブルの上にメモが置かれている。すぐに気付けなかったあたり、自分では冷静だと思ってるけど違った。
でも大して期待しない。書かれているのは、この建物の元の持ち主を匂わせるような不吉な短いメッセージ。小説と同じだった。
こういうところはちゃんと流れに沿っている。なのに、なんで。
「吉乃ちゃん」
厳しい声が私を呼んだ。
いつの間にやってきたのか、蘇芳が私の右手首を掴んでる。何かと思ったら、私は見つけたメモを握りつぶしていた。
「そのメモは?」
「なんか変なことが書かれてる」
犯人が置いたメモは、客達を混乱させる以外の目的はない。
「証拠になるし、あんまり触んないほうがいいよ」
強く握りしめていた手を、蘇芳が開かせた。そして中のメモを見て眉を寄せる。
見れば紫苑も部屋にやってきていて、しゃがんで床の染みを観察していた。
なんでこうなってるんだろう。
小説で残されたメモを思わず強い力で握ってしまうのは主人公のさくらだし、それに気付いて指摘するのはつばきだし、血のあとを冷静に観察しているのはゆりだった。
こんなにも小説みたいな流れが再現されるのに、役者だけが違う。
「どうして、さくらちゃんが消えたんだろう」
独り言のようにそう言っていた。
「兄さんが狙ってたのは、最初から彼女だろ」
「だけど部屋を交換したことに、いつ気付いたの?」
「それは……」
蘇芳も考え込む。
盗聴器はなかった。この部屋にも、さくらの部屋にも。他の場所でそれらしい会話があったのは、つばきの――小説じゃ蘇芳に割り当てられてた部屋だ。でもあの部屋に盗聴器だなんて、そんな設定なかったはずだ。
ふと思う。
さくらだって、「悪役令嬢」になれるよねって。
西園寺さくらは主人公。だけど、お金持ちの令嬢で、紫苑と蘇芳からよく思われていない――はっきり言っちゃえば傷つくような言動をして嫌われてしまった人物。それって、小説で綾小路吉乃が悪役令嬢である理由と被る。
小説での吉乃はそのわがままのせいで運悪く、さくらは最初から犯人にターゲットにされていたせいで、それぞれ被害者になった。
理由は違うけど、作者である従姉の「一人目の被害者は悪役ご令嬢さま」って言葉は両方に当てはまっているかもしれない。
まさか、作者の言葉を実現するために不思議な力が働いて、血の跡だけ残してさくらを消してしまったとか……ないよね?
「この血が西園寺サンのものだとして、怪我したあの人をどこかに連れ去ったのかもしれない。玄斗さん探して問い詰めるのが早いかもね」
紫苑が立ち上がりながら、私達に言った。
「ま、彼が簡単に吐くかはわからないけどさ」
「致命傷の怪我って感じじゃない、よね?」
そうであってほしい。
「さすがに違うと思う。蘇芳さんは?」
「死ぬほどの傷を負ったなら、もっと酷いことになってるだろうね」
紫苑と蘇芳の言葉に、自信をつける。
あの抜け穴を見たときも考えたけど、一人目の殺害現場は客室じゃないかもしれない。さくらが連れ去られただけって可能性は高い。血が出ない殺し方だってあるけど、今は考えない!
「早く玄斗さんを捕まえないと!」
「玄斗さんなら、一階で見たけど」
つばきが寝室の入り口に立っていた。いつから私達の会話を聞いていたのか、不安そうに教えてくれる。
「あのあと、さくらのことを一応支配人の江原さんにも報告したんだ。一応、食堂とかも確認したけど、さくらはどこにもいなかった。その赤い染みは何? オーナーの玄斗さんって蘇芳くんのお兄さんだろ? どう関係すんの?」
「ごめん、詳しい説明は後にさせて」
そう言って、寝室をあとにする。そのまま廊下に出ると、寝巻に上着を羽織った門倉が眠そうな顔をして立っていた。
「何かあったの?」
どこまで説明するか迷ったら、先に蘇芳が答えていた。
「さくらちゃんが部屋に血のあとを残していなくなったんです。このホテルにやばい奴が入り込んでるかもしれないんで、今から一階に行って支配人さん達に相談しようって思ってます」
はあ、って感じの顔をした門倉は、私達の様子を見て嘘ではないと悟ったらしい。怯えたように周囲を見回した。
「わ、私も一階に行くわ」
つばきも一緒に五人で一階に下りると、正面玄関前のロビーで、江原が険しい顔をして窓の外に目をやっている。残りの従業員二人は、受付の奥で固定電話をいじったり、配線を確認するような動作をしている。
嫌な予感がした。
「玄斗さんは!」
「それが、西園寺さまがおかしないなくなり方をしたというので、警察に連絡をしようとおっしゃられたんですが」
「それで!?」
聞きたいのは彼の居場所だ。ここにいない理由なんて、あとからでいい。
「電話が繋がらず、その……実はみなさんにお預かりしていた携帯電話なども金庫から消えていまして」
「ちょっと、何よそれ! 盗まれたってこと!?」
門倉が江原に詰め寄った。
「じ、実は、私ども従業員のものも見当たらないのです。なので、オーナーは、直接街に向かうと言って、先ほど車で」
「車で、一人で出ていったの!? いつ!?」
私にまで詰め寄られて、江原はたじろぎながら答えた。
「十分ほど前に……」
言い終わるか否かといったところで、外から派手な車のクラクション音が響いてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。