37:夜は更けていく
さくらの泊まるはずだった部屋、小説では吉乃が泊まった部屋に、蘇芳と紫苑との三人で待機していた。
念のため確認したけど、盗聴器はない。気にせずさくらと部屋交換の話をしちゃってたので一瞬ひやっとしたけど、たしか『迷いの城殺人事件』で盗聴器の存在が指摘されるのは、食堂とサロンだけだった。
一階では大人達五人がいまだに酒とおしゃべりに興じているはず。
ちなみに蘇芳は、つばきと部屋の交換を頼んで了承された。
今夜、私達三人はさくらが泊まるはずだった部屋で待機する。だけど特別客室にさくら一人を残すのも不安が残るので、つばきに泊まってもらおうと考えたのだ。
あのあと、「私が不安だから!」という久しぶりの駄々をこね、今夜はつばきとさくらにはリビングルームで二人でおしゃべりして過ごしてもらうよう頼んだ。意味不明なお願いに、つばきはさすがに引き気味だったけど、さくらが積極的に頷いたので希望は通った。
結果的に見れば、泊まるはずだった人間を追い出し、綾小路吉乃がこの部屋に陣取るという構図は再現されたわけだ。
違うのは、一緒に紫苑と蘇芳がいること。
二人はキャリーバッグの中から、使えそうな道具を吟味している。
私は、壁にかざられた絵の前に立つ。鈍い金色で仰々しい感じの額縁の中には、ケースと少々不似合な地味な絵が入っている。
小鳥が真上にある花にむかって必死にくちばしを伸ばしているように見える絵。
ずっとこれが気になっていた。本当は、ちゃんと推理して気付いたってかたちをとりたかったけど、無理のようだ。早速だが「勘です」って言い訳を使うしかないだろう。
一呼吸すると額縁に手をかける。ぐっと力を入れる。
壁に隙間なくぴったりと固定された額縁は、外すことはできない。
「何してるの?」
蘇芳が気付いて声をかけてくる。
「この絵、怪しいなと思って」
今度は、額縁を壁から外そうとはせず、回すように力を入れた。
右方向には無理、左方向には――。
反時計回りに力をかけた途端、驚くほどあっさりとその絵が回った。勢いがついて小さい叫び声を上げてしまう。
絵はちょうど百三十五度くらい回った位置で止まった。小鳥は、斜め上から左下の花に向かってくちばしを伸ばしているように見える。まるで、この部屋の扉に飾られたレリーフのように。
そして絵が回転すると同時に、がた、と音が響いた。
小説にあった仕掛けが、本当に目の前で作動した。私ははやる気持ちを抑えながら、すぐ近くのアンティークチェストを横に押す。音がしたのは、この棚の後ろあたりだ。
重そうに見えたけど、案外軽く、簡単に横へと移動していった。
「うわ、なんだそれ」
紫苑が驚いた声を上げる。
チェストの後ろには、人が一人、余裕で入れそうな四角い穴があいていた。
あった。本当にこんな仕掛け、存在したんだ。さくら達がこの仕掛けに気付いたのは、元の持ち主の趣味だとか、モデルになった城のいわくだとかを聞いて推理したから。同じように推理するには、現時点だと情報が足りない。
ただ、この部屋の絵を回せば近くの棚が動くようになる、ってのはしっかり覚えていた。
小説通りで安堵する気持ちと、仕掛けを目の前にして驚く気持ちが同時に湧く。
「吉乃ちゃん、どうやって気付いたの」
「江原さんが、各部屋にも仕掛けがあるかもしれないって言ってたでしょ。もし何かあるなら、怪しいのはこういうのかなって。勘でやってみたら上手くいったみたい」
「勘って、すごいな」
これ以上はお願い追及しないで、って内心念じながら、ウェストポーチから手のひらサイズの小さな懐中電灯を取り出す。犯人との対決に備えて、貴重品といくつかの道具を入れて持ち歩けるよう用意してきたのだ。
抜け穴の中を確認しようと思ったんだけど、蘇芳がそれを止めた。
「俺に確認させて」
少し悩んで懐中電灯を渡した。時間的にも、まだ犯人と――玄斗さんと、やあこんばんはとかはしないはずだし、危険はないはず。
懐中電灯を持った蘇芳は膝をついて抜け穴の中を覗き込む。しばらく中を確認したあと、そのまま穴の中へ入っていった。
私と紫苑も、頭を突っ込んで中を確認した。
部屋と部屋の間、横幅は人が一人ならちょっと余裕があるけど、二人並ぶのは絶対無理ってくらいの細長い空間。高さは腰くらいまでしかないから、どうしても這うように移動することになる。中は真っ暗で、部屋の明かりが届く範囲以外、どうなっているのか見えない。
この抜け穴を通って殺人犯はこの部屋に来るわけだけど……思ってた以上に大変そう。さらには遺体を引きずってここを戻るわけだから、生半可な気持ちじゃできないな。
小説では明らかにされてなかったけど、もしかしたら、吉乃の殺害現場は客室ではなかったのかも。この空間を意識のない体を引きずっていくのって難しいし、脅して連れ去り、別の場所でってのもありえる。
ちょうど廊下側の端まで進んだらしい蘇芳が声をあげた。
「下に降りる梯子がある。どうする? 降りてみる?」
「今はやめておこう。戻ってきて」
梯子を降りた先のことは知っている。似たような細い空間を抜けた先に、このホテルの外へと繋がる穴があるのだ。その穴もパッと見はわからないように細工がしてある。
殺人犯は三人目以降の犯行を行うときも、この抜け道を使ってホテル内に侵入する予定なのだ。血で床が汚れているこの部屋には、みんな怖がって近づかないようになる。犯人としては、一人目のターゲットを殺し、ついでにそれ以降のための抜け穴も確保。
するはずが、吉乃が土壇場でここに泊まってしまった。
計画を変更したくなかった犯人は、仕方なく一人目の被害者に吉乃を選んだのだった――。
っていう具合だ。
わがままを言ったせいで命を落とすとか、なんか前世の従姉の「悪役令嬢」って言葉が思い出される。
でも今の私は「悪役令嬢」とは違うからね。
前世の従姉に向かって言う。蘇芳と紫苑に恨まれるようなことはしてない。被害者になる悪役令嬢なんて、そもそもどこにもいないのだ――。
「こっちも警戒しておかないといけないってことか」
戻ってきた蘇芳が、ぽっかり空いた黒い穴を見ながらため息をつく。
その声ではっと現実に戻された。一瞬引っ掛かるものがあったんだけど、その正体は掴めないままあやふやになってしまった。
「堂々と扉から入ってくるか、抜け穴からくるか。どっちだと思う?」
紫苑が部屋の扉と穴を見比べる。
「兄さんなら、抜け穴のほうじゃないかな。面白いとかいう理由で」
小説だと、今夜はホテルオーナーと多和田と高岡がずっとサロンで盛り上がって、そのままソファで寝入ってしまう。
次の日、吉乃が消え、血の跡からなんらかの事件に巻き込まれたと判断した客達は、犯人は普通に部屋の扉から入ったと考える。ホテルのマスターキーが紛失しているのがわかるので、それを奪えるタイミングとか、一階にいた客に犯人がいるなら階段を上っていったのは誰それしかいないとか、迷走していくのだ。
「今夜のうちに、玄斗さんが何かしでかす可能性が高く思えてきたよ。明日、紅子さん達が来る前に決着がつきそうだな。あの二人とゆかりさんが来るのはお昼だったっけ」
「十一時過ぎには着きそうって言ってた」
紫苑にきかれて、私は頷いて見せた。
泊まれないけどレストランで食事ならできるから一緒に、と父と母、そしてゆかりを誘ってあるのだ。
もし何かイレギュラーがあったとき、早めに異変に気付いてくれる外部の人間がいてほしかった。要は保険だ。
宿泊客以外がレストラン利用できるのかは、知らない。嘘の誘いだった。喜んだ両親に対して心が痛んだけど、あとでいくらでも謝るから許してほしい。事情を正直に話したら、どうあっても父と母は旅行自体を全力で止めただろうし。
ゆかりには「黒田のときのように、また何かあるかもしれない」と少しだけ説明をしている。父と母と一緒にこちらに向かう際、おかしなことがあればすぐに通報してほしいと。
彼女もまた旅行に反対したけど、最終的に定期的な連絡をいれることを条件に引き受けてくれた。少し前に、約束の定時連絡のメッセージを送ったばかりだ。
抜け穴を元に戻すと、私と蘇芳は椅子に、紫苑はベッドに座り、そのときを待つ。
アナログ時計の秒針の音が、カチコチと薄暗い部屋の中に響く。
部屋の灯りは最小限に絞ってある。中の客が寝ていると思われるようにだ。
時間が経つのが遅いように思えたけど、気付けば、もうすぐ四時半を回ろうとしている。
嵐の前の静けさって、こういう感じなのかな。あまりに静かで、でも妙に頭は冴えていて、全然眠くならなくて、私は小説の裏設定のことを考えた。
小説ではおそらく、玄斗と蘇芳と紫苑の三人は仲間だったんだと思う。
玄斗は、蘇芳の復讐という考えに興味を示していた。去年、まだそのつもりだったら仲間に引き入れたかったようなことを言っていたし、おそらくこの予想は当たっていると思う。確認する術は、私にはもうないけれど。
小説で私とさくらが殺人事件に巻き込まれたのは、蘇芳と紫苑にとって復讐の一環だったのかもしれない。殺人事件に目撃者が必要なら、恐ろしい目にあうのは「殺したい」ほど憎んでいる相手にしてやろう、みたいな。でも、吉乃は余計なことをして被害者になってしまった。
「あの人は、さくらちゃんを殺しに来る。二人とも、そういう認識で間違いないよね」
静寂を破って、不意に蘇芳が口を開いた。
「ずっと曖昧にしてたけど、二人とも、そう考えてるだろ」
「たぶんそうだろうね。誰かを動かすんじゃなくて、自分で手を下してみることにしたんだ。すごく興味深いよ。気に食わないけど」
「ちょっと、紫苑」
焦る私を、蘇芳は静かに遮った。
「大丈夫だよ。俺も同じこと思ってるし。吉乃ちゃんが思ってるより、俺は結構冷たいよ。だから気にしない」
「でも」
「吉乃ちゃんが気にすることは何もないから。あいつがのこのこ来たら、容赦なく捕まえてやろう」
そう言われて、やっと私は気付いた。
彼の兄が、殺人鬼になろうとしている。その事実をこの三人の中で一番割り切れていないのは、私だった。
二人には、それを見抜かれていた。
俯いたとき、部屋をノックする音が響く。
はっとして三人で視線を交わした。黙って様子を窺うと、もう一度部屋がノックされる。
「ごめん、俺、つばきだけど」
ほっとした空気が流れ、蘇芳が立ちあがって扉へ向かう。念のためだろうど、その手には警棒が握られている。私と紫苑もそっと後ろに続いた。
蘇芳が扉を薄く開けると、つばきはあれって意外そうな声を出す。気にせずに蘇芳は確認した。
「どうした?」
「ごめん、さくら、ここに来てない?」
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