36:やっぱり何か、ずれている

 さくらの部屋を一人で尋ねた私は、土下座せんばかりの勢いで頼んだ。

 特別客室は落ち着かない。お願いだから、寝るときだけ私とさくらの部屋を交換してほしい――。

 唐突なお願いだったけど、勢いに負けたのか、さくらは少し迷いつつも頷いてくれた。

 そしてたしかに言われてみれば、私の知るさくらより受け身っぽいというか、ちょっと元気がない気がする。


 ともかく部屋交換を了承してもらい、私はほっと息をついた。

 そして問題の客室内を見回す。ベッドが一つ、丸テーブルに椅子が二脚。部屋の雰囲気によく合ったアンティークチェスト。壁には作り付けの金属製の立体的なモチーフの飾り、額に入った小鳥の絵。一人用の客室とはいえ、結構広い。

 バスルームも、私達の客室には劣るけど立派なものがついているようだ。

 私は、壁に飾られた絵に目を留めた。


「何か気になるの、吉乃ちゃん」

「ほら、支配人さんが言ってたでしょ、各部屋にも仕掛けがあるって」

「その絵、怪しい?」

「少しね……」


 私はさくらに視線を移す。

 二人きりのうちに、伝えておこうと思ったことがあった。


「ねえ、さくらちゃん。変なことを言うかもしれないんだけど、聞いてね。もしかしたら、ここで何か起きるかもしれない」

「何か……?」

「これまで巻き込まれた事件――ううん、それよりもっと物騒なこと。誰か、被害者が出てしまうようなこと。だから何かおかしいと感じたらすぐに頼って。守るから」

「吉乃ちゃんが、私を?」

「……うん」


 急に言われてもって感じだよね、きっと。でも言わずにはいられなかった。

 彼女は本来の流れと違って、被害者候補になってしまった。

 蘇芳や紫苑は気にするなと言ってくれたけど、やっぱり無理だ。だって私は、元の小説通りなら、吉乃が殺されるはずだったって知っている。スムーズにその流れが再現できなくなったのは、私の言動が原因だということも。

 守るとか言って具体的な案があるわけじゃないけど、言いながら自分にできるって暗示をかけてるところもあった。


「そっかあ。へへ、照れるね。嬉しいな」


 その笑顔に、なぜかほっとした。

 さくららしい表情だと思ったから。そして気付いた。つまりここにきてからずっと、彼女らしい表情を見ていなかったんだ。


「もしかして、部屋の交換って、その物騒なことに関係するのかな?」


 相変わらず、妙なところで冷静に推理力を発揮するなあ。

 私は返事を濁した。


「まあそれはおいおい……。それでね、もう一つあるの。心が弱っている人は星を見るといいかもしれないので、もしそういう人に遭遇したら、さくらちゃんが一緒に星を見ようって誘ってあげてください」


 さくらは、ぱちぱちと瞬きをした。

 わかるよ、いきなり何って思うよね。私も苦しいなーと思いながら言ったよ。

 でも伝えておきたかった。

 星を見に行こうってお誘いは、前世の従姉が言っていた、黒幕を改心させるフレーズだ。

 言うとしたらたぶん、西園寺さくらだと思う。というか、他に言えそうな人が思いつかない。

 玄斗のことは、これから私達で止める気ではある。だけど何が起こるかわからないから、色んな保険をかけておく。


「吉乃ちゃんは、私のことを星を見ようって誘ってくれる?」

「さくらちゃんと星を見る?」

「二人でゆっくり出かけてみたいな」


 これはつまり、さくらは心が弱っているって言いたいのだろうか。

 彼女と二人きりでアウトドアは、はっきり言って難しいと思う。何を話せばいいのかわからない。いや、でも、しかし。


「私、アウトドアが特別好きってわけじゃないから。だからまあ、映画なら」


 よくわからない譲歩案を出してしまった。


「そう? じゃあ映画に行こ!」

「そのうち、お互いに暇ができたらね」


 殺人事件に巻き込まれそうな人に忠告しにきて、なぜか映画を見る約束をしてしまった。

 なぜだ。深く考えたら負けな気がする。

 さくらは鼻歌を歌いながら、部屋を移動するために、小さめのボストンバッグに荷物を詰め始める。そしてだいたい終わったところで、私の方を向いた。


「あのね、吉乃ちゃん。私、蘇芳くんのこと好きだったんだ」

「えっ?」

「ご、ごめん。急だよね。でも、言っておきたくて」


 いや、知ってたけど。

 でもよりによっていま、なぜ私にそれを教える。


「お母さんの習いごとの集まりとかでね、前からかっこいいなーって思ってたの。でね、怒らないでほしいんだけど、もしかしたら告白してオーケーもらえるかもって期待しちゃったときもあったんだ」

「そ、そうなんだ」


 少し溜めてから、でもねとさくらは続ける。


「実は、だいぶ前に告白して振られてるの!」


 気付いてました。前世の記憶のおかげで。

 でもあまりにも思いきって言いました、って感じだったので、できるだけ驚きましたって顔を作った。


「どうして振られちゃったのかなって思ってた。でも気付いたんだ。前に吉乃ちゃんが言った通り、どこか無神経なところがあったからなのかなって」

「よく覚えてるね」


 もう二年前くらいになるよ、言ったの。

 まさか、そこまでさくらの中に残ることだったとは思ってなかった。


「ああいうこと言われたの、初めてだったもん。びっくりしたし、最初はよくわからなかったの。私のどこが無神経なのかなって。今も、ちゃんとわかったかって言われたら自信はないんだ。全部かなって思ったりするし」

「さすがに全部は、言いすぎだと思うけど」

「だといいな、へへ」


 やっぱり、ちょっとさくらはおかしいかもしれない。

 明るいけど、言ってることが彼女にしては卑屈すぎない?

 でもそれだけ私の言葉の意味を真剣に考えてくれたと、言えなくもない。


「吉乃ちゃん、これからも仲良くしてね!」

「う、うん」


 ああ。こういうこと、てらいなく言えちゃうのは『きらめき三人組』主人公だ。


「それでね、吉乃ちゃん。さっきの、何かが起こるかもしれないって不安のことだけど――」


 さくらは、私に近づいて両手を取った。


「もし被害者が出るとしたら、それはきっと悪い人だよ。いい人に酷いことは起こらないもの!」

「はい?」

「吉乃ちゃんは、いい人だから怖がらなくても大丈夫だよ?」


 励まされてる……の?

 邪気のない瞳で見つめられるけど、なんか怖い。

 被害者はきっと悪い人? いい人なら無事?

 てか私、小説じゃあ死ぬんだよね、これから。まあ小説内の私は、悪い人と言われればたしかにそうかもしれないけど。紫苑や蘇芳に、「殺したい」ほど憎まれる人物だったわけだし。

 今は違うとはいえ、さくらの言葉に素直に頷くのはなんだか嫌で、私は笑って返事をしなかった。

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