33:到着しました
関東のとある山間に、そのホテルはある。
一番近い駅から、車で一時間ほど揺られた。ほとんど陽が落ちかけた時間に駅についたので、到着したときは夜だった。
黒々とした木々と星空しか見えない、って景色が続くなか、ぽんとその建物は現れた。
「こんなところだったんだね……」
ほのかにライトアップされたホテルの外観を、私はめちゃくちゃ感慨深く眺めていた。
小説だと、ここでこれから二泊三日を過ごすことになる。
街へ続くのは、通ってきた細い山道のみ。ハイヤーが街へ戻るのを見送るときはちょっと心細かった。何らかの理由で道が塞がれてしまえば、逃げ出すことが困難になる。
まるでそのためだけに作られたような、推理小説におあつらえむきの舞台だ。
「気に入った?」
「そうだね、思ってたよりこじんまりしてる」
「それ、蘇芳さんの質問の答えになってないよ」
蘇芳の質問も、紫苑のつっこみも、聞こえてはいるけどあんまり頭に入ってこない。
とにかく目の前の建物に意識がいっている。
古城ホテルという響きから、石造りの城壁に囲まれて、高い塔がいくつもあって、みたいな建物が立っているような気がしていた。
でも実際に目の前に立っているのは、こじんまりした可愛らしいお屋敷って感じの建物だった。
「フランスに実際に存在する城館を、モデルにしているのです」
説明してくれる初老の男性は、出迎えてくれたこのホテルの支配人、江原だ。
外壁は石造り風になっているけど、あくまで見た目だけ。正確には、古城
正面から見て左側には建物と同じく三階建ての塔がくっついていて、中は宿泊スペースではなく、ギャラリーになっているらしい。
本物の城館を模しているから、古城ホテルというのも間違いではないんだろう。けど、私の感覚だと城っていうより立派な館という印象かな。そういえば、前世の従姉が「館ミステリーなんていったら、読者からのハードルが上がりそうで怖い!」とかなんとか叫んでいたのを思い出した。城でもあんまり変わらないと思うけど。
「ここはもともと、個人の所有する建物だったのを買いとってホテルに改装したのです。元の持ち主の趣味が反映されて、中は少々独特な造りなんですよ」
「独特、って例えば?」
蘇芳が尋ねると、江原は悪戯っぽく笑ってみせた。
「あとでご説明しましょう。時間も遅いですし、まずはご夕食を。そのあとは、ご招待したみなさんにサロンに集まってもらい、交流会とする予定です。その時、ホテルについても詳しくご紹介しますよ」
「楽しみにしておきます」
元の持ち主の独特の趣味ってやつが、この事件の鍵なんだよね。
ホテルについたおかげか、だんだんと思い出してくる。
それは、昔読んだ本の内容を思い返すのと似ている。本の一言一句覚えているわけじゃなくて、やけに印象的ではっきり覚えているシーンもあれば、だいたいの流れだけしか覚えていない箇所もあったり。きっかけがあれば、ある部分だけを突然詳細に思い出すこともある。
少し焦りを感じる。
これまで遭遇した事件は短編小説のものだったから、あらすじを思い出せばすべての内容を思い出したとほぼ同義だった。『迷いの城殺人事件』は長編小説だから、予想していたより曖昧なところが多い。甘くみていたかも。
大まかな流れはわかる。でも客達の細かい人間関係だとか、覚えているところと忘れているところがある。
本人達と話したら、もっと記憶が刺激されるかな。
でもその前に、ホテルの周囲も確認しておきたい。
「少し、周りを見て回ってもいいですか?」
「構いませんが……もう暗いので、明日になさっては」
「ちょっと一周してくるだけです」
それならば、と江原はもう一人のスタッフを呼び、私達三人のやたら少ない荷物を先にホテル内へと運ぼうとした。
だが私だけはそれを断る。
「自分の荷物は、手放したくないんです」
変な顔をされたけど、客がこう言う以上、無理に取り上げられることはない。
江原とスタッフがホテル内へ戻ると、紫苑が声をひそめて聞いてくる。
「外に何か変な仕掛けがあるとか、疑ってる?」
「どうかな。見てみないことには」
「兄さんは、元からあるものをどう使うか考えるのが好きなタイプだ。さっき言ってた、建物の元の持ち主の趣味ってのが気になるな」
蘇芳の言葉に私は頷いた。
「私も気になってる。支配人さんに詳しく聞いておきたいよね」
小説でさくら達がトリックの答えにたどり着く過程は、少々複雑だった。どこそこの伝承の絵がとか、モチーフがとか、そういうのが関わってくる。そして残念なことに、ふわっとしかその説明部分を覚えていない。
必要があって何らかのトリックを解かなくちゃならないとき、いざとなれば「勘です」で乗りきるつもりではいる。ただ、あまり乱発して玄斗に変に目をつけられるのは嫌だ。気付いてもおかしくないって状況を、できるだけ作っておきたい。
私は小さなキャリーケースをごろごろ引きながら、紫苑と蘇芳と共に建物の周りを歩き始める。
建物の灯りがついている窓からは、オレンジ色の光が漏れている。周辺の林の中からは、都会じゃ聞くことのない鳥の声が響いてきていた。
まだホテルにたどり着いただけだった。でも、それだけで目標はある程度達成した。
玄斗は、私が彼の遊びに乗らなければ、また蘇芳や私達一家が狙われるようなことをほのめかしていた。
彼の出した条件は「招待を受けて古城ホテルで過ごすこと」。
彼が何をたくらんで私達に何を期待していようが、言われたのはそれだけ。殺人犯がすぐに捕まってしまい、二泊の予定が一泊で帰ることになろうが、関係ない。
とりあえず、蘇芳や家族が狙われる心配はなくなったはず。一つ、肩の荷が下りる。
あとは、私が生き延び、『黒幕』にたどり着いた理由をでっち上げて説明するだけ。それで玄斗は犯罪に手を染めなくなる。
「暗い中でみると薄気味悪いな」
紫苑がホテルを見上げながら呟いた。
私も同じように見上げつつ、『迷いの城殺人事件』のことを考える。
変わり者の元所有者、いわくつきの建物。
そして怪しい宿泊客達。
今夜、綾小路吉乃は、死ぬ。小説内では。
一人で泊まっていた客室から、こつぜんと姿を消す。遺体はなく、ただそこには少量の血痕が残されるのみ。それは客達の恐怖心を煽るだけでなく、実はその後の殺人のトリックに繋げるための、犯人による重要な演出だった。
その後も、順に被害者達は血痕だけを残して姿を消していく。
最後まで遺体は発見されない。犯人は隠した場所を言わないまま、自ら命を絶ってしまうからだ。事件後、警察によって念入りに捜索されたが、被害者達の衣類等の一部が見つかっただけだった。
そのせいで謎を解いてもさくらには苦いものが残り、つばきやゆりと三人で積極的に探偵の真似事を始めるきっかけになったのだ――。
って内容だった。たしか。
悲惨な事件だ。さくら達三人組のポジティブな雰囲気で、小説で読むとあまり暗い印象はなかったけど。
血痕だけ残して永久に失踪とか、絶対に回避だ。
建物の裏手は、芝生が広がる見晴しのいい庭だった。
真ん中に丸い噴水があって、囲むようにベンチが設置してある。
見た瞬間に「ああ……」となったのは、庭園の先が崖になっていたこと。そういえば、ここも崖があったんだった。第四の殺人現場、ここだったよ。
絶対に殺人現場にしないけど!
強く決意しながら建物のほうに振り返った。
そして客室から洩れる光を見て、私の部屋はどこになるんだっけとか考えたとき、唐突に思い出した。私には大事な役目があったことを。
――部屋割りを変えなくちゃいけない!
こんなところでゆっくりしている場合じゃなかった!
綾小路吉乃は、到着早々自分の部屋を変えて欲しいと頼む。部屋から見える景色が気に入らないとか言って。わがままお嬢様の勢いに負け、その部屋の客は吉乃と部屋の交換を了承してくれるのだ。
そして次の日の朝、吉乃は部屋から姿を消す――。
私だけ犯行の邪魔だとかいう雑な理由で殺されるのは、そのせいだった!
本来なら、犯人が予定していた第一の被害者がそこに泊まっているはずだったのだ。
「外はまた後で確認しよう! 他のお客さんのことも気になるし!」
「もう少し見ておいたほうがよくない?」
「他の客? 兄さんが怪しいってわかってれば、何とかなるんじゃないの」
「でもほら、万が一とかあるからね!?」
とにかく強引に二人を連れて建物正面に戻り、中へと入る。
まとめて鍵を受け取ってくると言う蘇芳に甘えて、私はホテルの館内図を探し、必死でどの部屋だったかを思い出そうとする。
たしか、二階の端から二番目の部屋だった。
けど、どっちの端からだったっけ!?
「俺達の部屋は三階だって」
ちょっと戸惑った様子の蘇芳に促されて、私達は階段を上る。
二階に来たとき、塔があるほうとは逆の端から二番目の部屋の扉が見えた。
――これだ!
このホテルの扉には、それぞれ違うレリーフが飾ってある。その扉には、小枝にとまった鳥が、枝の花をついばもうとしているものが取り付けられていた。
これだ、これ。この鳥と花もまた、トリックを解くカギになるんだよ。
よかった。すぐに部屋を特定できた。そう安堵したとき、ドアノブの回る音とともに、その扉が開く。
「あ、みんなも着いたんだね」
……なんで?
その部屋から出てきたのは、さくらだった。
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