32:その日はもうすぐ

『ねえ、最初に死ぬの、この子じゃなくてもいいんじゃないの?』


 紙の束を持った私が誰かに言っている。


『だめだよ。この事件の1人目の被害者は、悪役ご令嬢さまなんだから』

『悪役令嬢? なんじゃそりゃ……』

『ふふ。これはね、決まってるの』


 だから、そういう変なこだわりは怖いからやめてよね。

 私、小説通りに死んでなんかやらないんだから……!




 ――絶対に死なないからね!?


 もしかしたら、声に出していたかもしれない。

 前世への従姉に決意表明みたいなものを訴えながら、私は目を覚ます。

 時計を見ると深夜一時を回っていた。


 落ち着かなくなった私は、水でも飲んでから寝ようとベッドから抜け出す。

 縁起でもない前世の夢をこのタイミングでまた見るなんて。招待状を受け取ってからというもの、当然だけど『迷いの城殺人事件』のことを考えることが増えている。たぶんそのせいだ。

 向かった台所には灯りがついていて、紫苑が一人、電子レンジを操作しているところだった。


「眠れないからさ、夜食におにぎりでも食べようと思って」


 私に気付いた彼は「姉さんも食べる?」とか聞いてくる。悩む間なく私は辞退した。

 どうして眠れなかったら夜中に炭水化物をとる発想になるんだ。男子高校生の食欲ってやつだろうか。すごい。絶対に真似しない。

 紫苑は温めたおにぎりとお茶を、私は水の入ったコップを手にして、なんとなく二人して食卓についた。


「それ、紫苑が作っておいたの?」

「いや、紅子さん。受験勉強で夜食が必要になったら、好きに解凍して食べていいってさ」

「お母さんが……」


 いつの間に。知らなかった。

 この家から私が出ていったら、三人だけでやりにくいだろうなんて予想していたけれど、違うのかも。案外、うまくやっていくのかもしれない。


 去年、黒田の件があって以降は、うちでは家政婦を雇っていない。週三日、母が仕事に出るのも変わらない。妙なところで家族の手を借りずに完璧にやろうとする母だけど、家事で手が届かないところがあっても気にしないし、私と紫苑が手伝うよって主張することで肩の力を抜いてくれたようだ。

 母が趣味やら友人達との約束やらで外出する夜はなくならないけど、作り置きのおかずが多めに作られているし、紫苑の夕飯問題はきっともう起こらないと思う。


「旅行、止める気ないんだよね」


 紫苑は、さり気なさを装ってそう尋ねてきた。

 あの招待状を受け取ったあと、私は紫苑にも事情を話した。なぜすぐに言わなかったのかと、悲しそうに怒られた。普通に怒られるより胸にきた。

 そして紫苑も、二つ返事で旅行に同行することを了承してくれている。


「そっちこそ、止めないでしょ」

「姉さんが行く以上はね」


 招待状を手にして、思い出したことがある。

 小説では古城ホテルに紫苑は来ていなかった。紫苑にとっては、本来なら巻き込まれるはずのない事件だったのだ。

 巻き込んでいいものかと悩んだけど、紫苑には何があっても旅行には同行すると宣言されてしまった。ならば絶対に紫苑と蘇芳と力を合わせて事件を乗り越えるだけだと、強く思う。

 蘇芳と紫苑が味方であることに、すごく感謝している。一人だったら直前になって逃げだしていたかもしれない。

 さっきみたいな夢を見てしまうと、やっぱり不安も湧いてくるから。


「絶対に何か企んでるよな。玄斗さん」

「だろうね」


 玄斗は、私が被害者になる殺人事件を企んでいる。

 とまではさすがに言えない。

 三年前は、大学に入ってしばらくして届く招待状を無視したら、私は殺人事件を回避してめでたしめでたし、とか思ってたのになあ。

 まさか自分から行きますって言う事態になるとは。


「だけどこの招待を受ければ、玄斗さんはもう誰も犯罪へと導かないって約束してくれるからね」

「姉さんはさ、二度とうちの家を狙うなって条件で取り引きする気はなかったの?」


 問いかけてくる紫苑は、ただの、夜食ついでのお喋りの雰囲気ではなかった。


「そのくらいの条件だったら、奴の言う遊びだとかに誘われなかったかもよ。黒田をそそのかした犯人だって気付いた理由を教えるだけで、取り引きが成立したと思う。わざわざ姉さんが危ない橋を渡ってまで、玄斗さんを更生させる義務なんてある?」

「別に、義務とかはないけど」

「蘇芳さんの兄だから止めたいって思ったとこ、あるだろ」

「……うん」


 曖昧に誤魔化すことも考えたけど、観念して私は頷いた。

 私は別に、誰だって救いたい善人じゃない。そこまでの度量はないし、自信もない。救うなら自分の周りからっていうずるいところもある。

 でもだからこそ、蘇芳の兄って思ったら気になってしまったのだ。

 自分の兄がたくさんの人を犯罪者にしていく。そんな状況に蘇芳を置きたくなかった。

 私の手には負えないことに挑もうとしていると、後悔することもある。でも、口にした言葉は取り消せない。腹をくくるしかない。


「蘇芳くんには言わないでくれる?」

「言わなくても気付いてるよ、あの人なら」


 たしかにそうかも。紫苑に断言されると、そうとしか思えなくなる。


「玄斗さんのこと、止められるよね、私達」

「止められるよ。てか、姉さんがそこまで気を遣ってるんだし、止まってもらわないと困る」

「えー、私が基準なの?」

「当たり前だよ」


 照れくさくて冗談ぽく返したら、思いのほか真剣な顔をされた。


「俺はさ、俺の言葉で姉さんがあのナイフを手にすること、今でも興味がわかないわけじゃないんだよね」

「え……」

「つまり、姉さんはそれくらい重要な存在なわけ」

「そ、そっか」


 ええと、素直に喜んでいいところなのだろうか?

 だけど紫苑が笑顔を作るので、ちょっと混乱しつつも私も笑って返した。


「だから、危険なことに一人で突っ込んでいかれると困るよ」

「わかってる。旅行先では一人にはならないようにする。でもそれは、そっちも同じだからね」

「油断はしないよ」


 私だけじゃなくて、蘇芳と紫苑も一人にしないよう気をつけなくては。大丈夫だとは思うけど、念のためだ。


「そういえば、あのホテル、あの人も招待されて行くみたいだ。西園寺さくらサン」

「本当?」

「あれ、あんまり驚かないね」

「ありえそうかなって思ってたから」


 というか、知ってたから。前世の記憶のおかげで。

 玄斗がさくらに目をつけた理由は、きっと黒田に私の家を狙わせたのと同じ理由だろう。せっかくだから因縁のある相手を巻き込んでやろう、くらいのもの。

 しかし従姉が被害者になる殺人事件に巻き込むなんて、悪趣味すぎる。


 私は紫苑に頼んで、出来る限り、あのホテルへ行く人物を探ってもらっていた。小説の詳細を思い出すきっかけが欲しいのもあるし、狙われる可能性がある人にあらかじめ警告をしておきたかったのもある。

 だが、なかなか上手くいっていない。

 蘇芳は、招待者がホテルに行くことを口止めされているかもしれないと言っていた。誰がやってくるか先にわかると面白くないだろうって、玄斗なら考えそうだと。

 このままだと出たとこ勝負になりそうだけど、とにかく、一人目の被害者が判明しているのはこちらの強みだ。

 犯人が私を狙ってきたところを現行犯で捕まえる。

 それで、事件を終わらせる。


「さくらちゃんのとこも伊集院家の遠縁にあたるし、その関係で招かれたんだろうね」

「面倒くさくない? なんであの人まで」

「安心だよ。知り合いが多いほうが」


 事件は阻止するつもりだけど、やっぱり探偵役はいたほうが安心だ。



 ゴールデンウィークが終わった次の週、金曜日の晩。

 私達は招待状に従って、古城ホテルへと向かった。

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