31:古城ホテルへの招待状
私は封筒を凝視したまま、なかなか手を出すことができなかった。
「受け取らないの?」
そう尋ねる蘇芳は、どこか私を試しているようにも感じた。でも考えすぎかもしれない。
「もらう、けど」
これを受け取れば始まってしまう。
動かない私を見て何か誤解したのか、蘇芳が気遣うように言った。
「いらないなら、俺が捨てようか。あの人にも俺から言っておく」
「いやいや、いる! いります!」
慌てて否定したところで、私のスマートフォンが震えだした。確認すると、知らない番号からの着信だ。
画面を見て困った顔になった私に、どうしたのと蘇芳が問うので、覚えのない番号から電話がかかっていることを告げる。
どれ、と画面を覗き込んだ蘇芳は、私に少し待つよう言うと自分のスマートフォンを操作した。目的のものは、すぐに確認できたらしい。
「兄さんの番号だ」
「なんで!?」
私、番号教えてないんですけど。どっから漏れたんだ。さすが『黒幕』って言うとこなのか。
でも相手が玄斗なら、無視するわけにはいかないだろう。震える手で通話ボタンを押す。
『やっと出てくれた! 俺だよ……ってこれじゃあ詐欺っぽいね。玄斗だ。急にごめんね』
「私の番号、よくわかりましたね」
『簡単だね。弟の婚約者って繋がりがあるんだし』
言われてみれば、そんな気もするような……しないような。
この人のやることは何でもかんでも怪しく思える。
『蘇芳から、ちゃんと招待状は受け取ったかなと思ってね。弟くんも興味あるって聞いてたから、蘇芳と弟くんと三人でぜひ』
「……紫苑も?」
『うん。それから……約束、忘れてないよね?』
「忘れませんよ」
忘れるわけはない。
この招待に乗っかってホテルに行って、二泊三日を過ごす。そして彼が『黒幕』だって気付いた理由を教える。そうすれば、玄斗はもう二度と誰かを操って犯罪を起こさせようとはしない。そういう取引だ。
私の差し出す対価と、彼の対価、どちらが大きいのか。
文字通りにみると彼のほうかもしれないけど、私は何も対策しなければたぶん初っ端に死ぬ。私側のリスクが大きすぎる。そのことをおくびにも出さない玄斗は、まったくもって油断できない。
『よかった。じゃあ、楽しみにしてるよ』
そして玄斗は、ああそういえば、と付け加えた。
『蘇芳に、俺が黒田を操ってたことを言った?』
「え……」
思わず蘇芳を見る。彼は自分の持つ封筒をじっと見つめていた。
「言ってません」
『まいったな、あれ、カマかけてきただけかあ。招待状を渡したときに言われたんだ。吉乃ちゃんに聞いたのかと思ったのに。あいつも、面白いことをする』
「なんで……」
『あいつがどうして気付いたか? さあ、俺も知りたいな。吉乃ちゃん、聞いてみてよ。二人が俺の用意した舞台でどんな結末を迎えるか、すごく楽しみだ。じゃあね』
電話越しにもすごくうきうきした様子が伝わってくる。そして短い挨拶とともに、あっさりと玄斗からの通話は切れた。
「蘇芳くん」
耳に当てたスマートフォンを下ろすことを忘れたまま、私は彼に尋ねた。
「いつ気付いたの? お兄さんのこと」
蘇芳は、「聞いたんだ」って薄く笑った。
ビルの屋上にある出入り自由の庭園のベンチに、私と蘇芳は腰かけていた。
平日の、まだ少し肌寒い四月の夕方。小さな子供連れの親子が二組ほどいるだけで、広さの割に人は少なかった。
「兄さんと吉乃ちゃんが話したあの日のことを、何度も繰り返し自分の中で思い出して考えてた。そうしたら、自然と答えが見えたよ。あの日、吉乃ちゃんが口にして印象的だった話は、黒田さんを裏で操った人のことだったから」
玄斗のやったことに気付いた理由を、蘇芳はそう説明した。
「早く確認しないといけないって思ってた」
彼は、いつから気付いていたんだろう。
「でも確定させたら、吉乃ちゃん達との日常が終わる気がしてた。だからずっと気付いてない顔してたんだ」
そう言って、蘇芳は俯いた。
「ごめん」
彼に、私はどう返事をすべき?
気にしないでとか、とりあえず返す?
わからない。
「本当に、どう謝ればいいかわからない」
「蘇芳くんが謝ることは何もないから! だいたい、誰も死ななかったし、気にすることは――」
「誰かが死んでたら、それこそ……俺にできることはないよ」
ああ、違う。言葉を間違った。
死ぬか生きるかの問題だったと知っている私と違って、蘇芳にとっては、害意を持った人物が私達の家に入ってきて刃物つきつけたってことが、すでに大問題なのだ。
そしてそれを裏で画策したのが、自分の兄だったということが。
「お兄さんのやったことと、蘇芳くんは関係ないよ」
「本当にそう思う?」
「うん」
「あいつが綾小路家を狙おうって思ったきっかけは、たぶん、俺が復讐なんて話題を前に出したからだよ」
ありえるかも……とか一瞬考えてしまった自分が恨めしい。
「そんなの、言いきれないでしょ」
「兄さんの興味を惹くのに十分だ。あの人、昔から変わったところがあって……伝わらないかもしれないけどさ」
「変わってるってことはわかるよ」
説明は難しい。変な人としか言いようがない。
でも去年、一対一で話したときに、そのおかしさは十分するくらい理解した。
「まさか、犯罪を起こすほどだったとはね。……俺も言えた義理じゃないけど」
皮肉げに笑う彼は、前にも見たことのある昏い目をしている。
私は不安でたまらなくなった。
「吉乃ちゃんがいなかったら、俺もあっち側だったかも」
「そんなの、わかんない」
「たぶんそうだよ」
前世での小説の知識のせいで、たぶんそうだろうな、って冷静に思う私がいる。言葉では否定しているくせに。自分が嫌になる。
「もしかして黙っててくれたのは、俺がこういうこと言い出すと思ったから? 同情したとか」
「そういうんじゃない!」
勢いよく彼のほうに体を向けたせいで、膝に置いていたバッグが地面に滑り落ちた。中身がいくつか飛び出して、慌ててそれらを拾い集める。
大事な話の途中にカッコ悪い……。
へこみながら財布を回収していると、蘇芳も足元に転がった小さめの化粧ポーチを拾ってくれた。
いつも持ち歩くそれには、以前彼に貰ったウサギのストラップがつけてある。彼も目に留まったのか、「使ってくれてるんだ」と呟く。
「私が言わなかったのは、私のためだよ。同情じゃないから」
同情って言葉、好きじゃない。蘇芳には言われたくない。
たしかに、彼が気にするだろうから言い出しにくかったって側面があったことは、否定できないけど。
「黙っていれば、普通の高校生生活を一緒に送れるかなって思ってた」
「吉乃ちゃんも?」
「そうだよ。でも、そろそろ言わなくちゃって思ってた」
「なんで」
「……私、玄斗さんと賭けのようなことをする予定なの」
「遊びだとかゲームだとか、言ってたやつか」
「そう。それで、蘇芳くんに味方になってもらって、協力を頼めたら心強いんだよね」
だって殺人事件に関わって生き延びる力は、私より絶対高いし。
裏で何か企んでいようと、小説内で探偵の補佐役キャラみたいな立ち位置をやってたことには変わりない。主要キャラは簡単には死なない。きっと危機回避能力とかそういうのが、潜在的にすごく高いんだと思う。
「一緒に、兄さんに立ち向かいたいってこと?」
「無理には、言えないけど」
蘇芳は、しばらく黙って何かを考えていた。下を向いた彼が何を考えているか、こちらには読めない。
だけど彼が顔を上げたとき、うずまいていた不安が晴れる気がした。
「俺が断るかもしれないって本気で思ってる?」
「それは……」
わざとらしく拗ねた物言いをした彼は、いつもの調子を取り戻したようだった。それを見て、私もちょっと気分が上昇した。
互いに相手が困っていれば手を貸すことに疑問はない。そんな関係をこれまでに築けているって、自信を持っていいはずだ。
「じゃあ、お願いします」
「了解。心してかかるよ」
蘇芳はそう言って笑顔を見せた。本人に自覚があるのかないのか、不敵な何か企んでいそうな笑み。
私はほっとしつつ、心強いけど怖い笑い方するよなあ、とどうでもいいことを思った。
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