4章

30:約束の季節がくる

 大学に入ったら、殺人事件の起こるホテルへの招待状が来る。

 でも、その招待状が来るまではきっと安全。

 そう信じて、私は高校最後の一年間を普通の、おそらく一般的な受験生の一人として過ごしたと思う。

 休日は勉強したり、模試を受けに行ったり、ときどきは息抜きに遊びに行ったり。


 何回か、玄斗からスマートフォンへメッセージが届いたりもした。

 でもそれは『迷いの城殺人事件』のことを匂わすような内容では一切なくて、婚約者の兄としてちょっとした季節のご挨拶程度のもの。


 受験って目標があったのもよかった。とにかくそっちに集中しなきゃって、意識を逸らすことができた。逃避とも言えるかもしれないけど。

 でも古城ホテルから私は生きて帰る予定だから、その先の人生を考えれば、勉強を頑張ることは意味のあることだ、うん。


 まあ、そうやって普通の高校生したり、たまに先のことを考えてナーバスになったり、を繰り返しながら春が来た。

 そろそろ約束の時期が来る。


「吉乃さん、蘇芳さん、改めて大学入学おめでとう」

「これからが大変だ。しっかりと励むようにな」


 父と母、紫苑、蘇芳と五人で夕飯を囲むのは久しぶりだった。

 私や蘇芳が受験で忙しかったり、父と母が仕事で忙しかったり、ここ最近はうまく予定が合わなかったからだ。

 ようやくみんなの予定があったのは、大学に入ってすぐ、四月半ばのことだった。

 入学のお祝いにと、今日は珍しく外食だ。雰囲気のいいレストランで、少しおめかしをして。


「それで……まあ、二人の受験は終わったな。あとは紫苑だが」

「俺は、別にそんなに苦労しないよ。姉さんと一緒に、受験生やってたようなもんだし」

「油断は禁物だからね、紫苑」


 紫苑は私と蘇芳が受験勉強する横で、一緒になってよく勉強していた。

 私達が大学生になって遊んでいる横で、一人だけ勉強に追われるのが嫌だから早めに始めておく、なんて言っていた。別に大学に遊びに行くわけじゃないんだけど。

 私は工学部、彼は経済学部へと進学した。別々の大学だけど、そんなに離れていない。大学帰りに合流してお茶でも、と何回か誘われて行ったりした。


「蘇芳さん、一人暮らしは慣れたかしら? 自炊しているの?」


 大学が決まった時点で、蘇芳は家を出て一人暮らしを始めている。

 私は実家から通える距離だし、家に留まった。一人暮らしに興味はある。でもまだ家に紫苑と両親の三人にするのは少し気が引けたし、三人も私が実家から通うことにほっとしていたようだ。


「簡単にですけど自炊はしてます。吉乃ちゃんや紫苑くんの手伝いをしてたおかげで、結構慣れたものですよ」

「わからないことがあれば、私にも聞いてちょうだいね」


 週一の食事の際の準備は、いつのころからか、私と紫苑に加えて蘇芳も手伝うようになっていた。

 最初のころはお客様に手伝わせてもよいものか、みたいなことを父と母は気にしていたようだけど、本人がそのほうが気楽だと言うので今はすっかりなじんでいる。

 父と母に質問されるかたちで、大学生活はどうか、みたいな話が続く。一通り終わったところで、父がそわそわしながら切り出した。


「ところで、紫苑の受験が終わった来年の話には……なるが……。みんなでどこかに旅行でも行くのもいいかもな。ははは!」

「吉乃さん達が嫌でなければね、ほほほ」


 ほほほ、って言葉で言う人、初めて見たかも。

 明らかに焦っている父と落ち着いてみえる母。でも母も内心は違うっぽい。

 二人から、一緒に遊びに出かけようなんて話題が出たのは初めてだ。

 私や紫苑、蘇芳の三人では出掛けたこともあるし、そのことを夕飯で話題にしたりもする。だけど両親が混じってどこかに行くって提案は、考えてみれば私も一度もしたことがなかった。

 私達の反応を気にして落ち着かない二人に、仕方ないなあなんて思う。


「ま、まあいいんじゃない? たまにはそういうのも」


 あ、二人のこと言えない。

 軽い感じで、いいんじゃないって返事するつもりが、私まで緊張気味に返事しちゃったよ。

 みんなでご飯を食べることには慣れた。でも他のことはあんまりしたことがないから、一体どういうふうに振る舞えばいいのか、考えると緊張するな。

 紫苑も「俺も別にいいけど……」ともごもご返事をする。

 蘇芳だけ余裕で、私達を見守っている。


「蘇芳くんは、どんな場所が興味があるかな?」

「えっ、俺も行くんですか?」

「あ、いや、無理にとは言わないが……」

「いえ、そういうことなら、お言葉に甘えて……」


 余裕だった蘇芳の態度が、途端に崩れた。

 彼は父の言った旅行に自分が含まれないと思っていたらしい。違うとわかって、急におろおろし始める。

 嫌な緊張感とは違うけど、最近は久しく感じていなかったぎこちない空気が流れた。

 ちょうどよく、ウェイターが水のおかわりを持ってきてくれる。おかげでおかしな空気が、ちょっとだけ緩和される。

 下がろうとしたウェイターを、私はすみませんと引き止めた。


「写真、とってもらってもいいですか? ここにいる五人を」


 そう言ってスマートフォンを掲げてみせると、ウェイターはこころよく了承してくれた。

 みんなには「せっかくの大学入学お祝いのご飯だから」と説明して、全員でウェイターのほうに視線を向けてもらう。


「いきますよ」


 はい、チーズと声掛けに合わせてシャッター音が鳴った。

 写真はうまくとれていた。みんな特に笑顔なんて作ってなくて、普通の顔をして写っている。けど、それがなんでもないいつもの夕飯って感じでいい。

 そのままこれまで保存した写真を軽く見返す。この一年に、何かあるたびにとってきた記念写真。そんなに量はないけど、家族や友人達ととったものばかりで、見ればそのときのことが思い出される。


「姉さん、ことあるごとに記念写真とるよね」

「せっかくだから残しておきたいじゃない」


 紫苑は何か言いたげな顔をした。けど言葉にはしなかった。

 ……そろそろ言わないとって思う。

 玄斗のことに関して、来年の春までには話すからと紫苑と蘇芳に約束してから、一年経った。

 みんなとただの高校生の生活を送れる時間が惜しくて、事情を話したら、何も知らなかった頃のようには過ごせなくなる気がして、ずっと先送りしていた。

 でももう、タイムリミットだ。




 数日後、私は主要駅の駅ビルの本屋で、蘇芳を待っていた。

 大学が終わると、用があるから会いたいと連絡が入っていたのだ。

 早めについてしまい、適当に目についた雑誌を手に取るけど、あんまり読む気にならない。


「ごめん、待たせた?」

「少しだけ」


 手にしていた雑誌を棚に戻す。買わないのって聞かれたけど、私は否定の意味で首を振った。

 そのまま本屋を出たところで、二人して立ち止まる。


「用事って何? どこかで夕飯食べながらにでもする?」

「先に渡しておくよ」


 蘇芳がその白い立派な紙でできた封筒を取り出したとき、もしかしてとは思った。


「兄さんから預かってきたんだ」


 差し出されたのは、古城ホテルへの招待状だった。

 とうとう、その時が来たのだ。

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