27:読めなかった新刊の……
蘇芳の兄が、『シリーズ黒幕』のクセだという動きをしている。
見間違いかと思ったけど違う。だって二回も繰り返したから。
とりあえず――とりあえず私は、この事実、どうすればいい?
混乱した私は間違ってコーヒーに砂糖を二杯入れた。そのまま三杯目を入れようとしていたら、紫苑が隣から小声で指摘してきて慌ててやめた。
「どうしたの、姉さん」
「いや、なんていうか、黒幕が――」
「黒幕?」
「ごめん、なんでもない」
驚きすぎて口に出ていた。
紫苑が意味がわからないという顔をして首を傾げている。
「黒幕ってどういうこと?」
不穏な単語だったせいか、母まで反応してしまった。つられて、父達まで私に注目した。
やってしまった。適当に誤魔化すのは厳しそうな雰囲気に、私は焦った。
「ほら、黒田さんが言ってた『先生』って人のこと。裏で事件を操ってた黒幕、ってことになるよね」
説明しながら、私はふとどこかで似たような言葉を聞いたような――いや、見たような気分に陥る。
「実際にそんな人間がいればの話だ」
父が顔をしかめる。母も困ったように眉を寄せた。
「そうよ。怖いこと想像しないのよ、吉乃さん」
「心配せずとも、どうせ作り話だよ」
私が不安がっていると勘違いしたのか、蘇芳の父もそう言ってくれる。
「そうですよね」
愛想笑いで返しつつ、反応が気になって玄斗のほうをちらりと見た。
ばっちり視線があった。
彼は別に正体を見破られて鋭い目をしていたとかではなく、他の人達と同じように心配そうな表情でただ私を見ていただけだ。
それでも私は思いっきり目を逸らしてしまった。
私は前世の従姉に言いたい。
こんな身近な人が『黒幕』の設定なら、もっとシリーズに登場させて、怪しい人物っぽく描写しておくべきだよと!
「顔色悪くない? 吉乃ちゃん」
気遣ってくれる蘇芳には、なんでもないよって首を振る。
彼の兄が『きらめき三人組』シリーズに関わる犯罪者キャラ。信じたくない。だけど小説内だと、蘇芳や紫苑だって手を組んで、私やさくらの家に復讐を考えていたかもしれないのだ。蘇芳の兄だって、物騒な設定の人物でもおかしくはない。
でも、あの妙なクセを『黒幕』だけのものだと決めつけるのは、早くないだろうか?
同じクセを持つ一般人が、たまたま私の近くに存在することだってあるかもしれないよね?
とか悩んでいられたのは、だいたい一時間もなかった。
食事会が終わったあとのこと。
昼食だったので早い時間の解散となり、帰りは両親達と別れ、紫苑や蘇芳とお茶しいこうってなった。
でも移動する前に、蘇芳に相談されたのだ。
「兄さんが、吉乃ちゃんと話がしてみたいって言ってるんだ。長くはかからないらしいんだけど」
「何の用で?」
すぐに聞き返したのは紫苑だった。
「弟の婚約者と、話してみたいんだってさ」
説明する蘇芳もちょっと戸惑っていた。
「家族のこと、こういうふうに気にするタイプじゃなかったんだけどね。毎週、俺が綾小路家に夕飯を食べに行くから、興味が湧いたのかもしれない」
「……わかった。いいよ」
了承すると、蘇芳はほっとした様子をみせた。
紫苑も、「なら仕方ないかもね」と呟いている。
私は不安と、なぜか二人に対して妙な罪悪感が湧いた。
たぶん彼らと違って、私が玄斗に対して疑いを持ってしまっていたからだ。彼が私と話したいのは、蘇芳の兄としてではなく、『シリーズの黒幕』としてなんじゃないかと。
でも当然だけどそんな事情は隠したまま、私は玄斗と喫茶店で一対一で向き合うことになった。
蘇芳と紫苑はこちらの声が聞こえない程度に離れた席に座り、終わるのを待っている。
「急な提案だったのに、ありがとう」
「いえ、話くらいなら……」
こうして改めて対面すると、悪いことを企みそうな人には見えないんだよね。
顔立ちは蘇芳に似ている。だけど、すごく失礼な言い方をすれば、蘇芳に比べて存在感が薄い。控えめな笑顔はどことなく自信なさ気にも見えるし、穏やかそうで人畜無害って言葉が浮かぶ。
蘇芳は逆だ。笑顔が意味ありげに見えたりするし、やっぱり失礼な言い方になるけど、何か企んでいるように感じることだってある。
本当に、目の前のこの人が『黒幕』かなあ。
違うって誰かに言われたい。でも注文したコーヒーが来ると、玄斗はまた花を描くような妙な混ぜ方をした。
「緊張しないで。聞きたいことは一つだから」
「なんでしょうか」
「どうして、俺の正体に気付いたの?」
私達の周りだけ、時間が止まったような気がした。
……なんで? 私、あなたが黒幕だなんて誰にも言ってない。
カマをかけられたんだって気付いたときは遅かった。玄斗の顔が、ぱっと輝く。
「やっぱり気付いてたんだ! 俺が『先生』――君の言葉を借りれば『黒幕』ってやつだって」
私の表情と答えに詰まったその様子から、彼はそう判断してしまった。
「さっきの食事会で、わざわざ黒幕だのなんだの言い出したとき、俺のことを見ただろ。牽制されたんだって気付いたよ」
「か、勘違いです……」
正体に気付いているのは事実ですけどね!
斜め上の誤解で事実を当てるとか、アクロバティックな推理やめて。
しかも、今さら思い出した。
『裏で事件を操ってた黒幕、ってことになるよね』って、前世の記憶の最後のほうにある、読めなかった新刊の帯に書かれたセリフだ。
あのときは、単にその本の事件の謎解きに関わるセリフだと思って気にしてなかった。でもシリーズの謎に迫り始める巻だったなら、違ったのかも。
何かの鍵となる言葉だったら、どうしよう。
本当なら主人公さくらが、黒幕キャラに興味をもたれるきっかけだったとか。
「今さら、とぼけないでいいからさ。それより、どうして気付いたの?」
恐ろしいのは、目の前のこの人が純粋に楽しそうっていうか、ただただ興味深そうな顔を向けてくることだった。
正体がばれたどうしようとか、そんな焦りなんて全然ない。
敵意を向けられるのは嫌だけど、よくわからない思考回路でよくわからない感情を向けられても、それはそれで不気味だ。何を言い出すのか、またはしでかすのか、全然読めない。
必死で前世での従姉との会話を思い出す。
たしか、「一緒に星を見よう」って誘われて改心させる予定だって言ってたっけ? でも、ここで唐突に私が誘っても効果はないだろう。さすがに。
「あの……」
「なに?」
ものすごく期待に満ちた目を向けられた。
「黒田さんのこと、警察に自首する気は――」
「ないよ」
すごくがっかりした顔をされる。
「それに自首するって何を? 俺が何をした?」
「黒田さんが私の家を襲うよう、そそのかしたんですよね?」
「彼女に手紙を送っていた人物は、別に君の家を襲えとは言ってないんだよ」
そうだった。「事情を話して謝罪してもらえ」ってアドバイスだともとれる内容だったって話だった。
「どうして、そんなことをしたんですか」
「教えたら、なぜ俺が黒幕だって気付いたのか、種明かししてくれる?」
「け……検討します」
確約はしない。無謀かもしれないけど、かけひきを仕掛けてみる。
玄斗は驚いたようだったけど、すぐに面白そうに頷いた。そしてまとう雰囲気が変わった。
「君は、他人の作る物語は好き?」
そうやって語り出す玄斗は、存在感が薄いなんて感じてたときの彼とは違う。
少しだけ、ほんの少しだけだけど、去年のゴールデンウィークに私にナイフを渡してきたときの紫苑と、似たものがあるかもしれない。
「俺のお膳立てした舞台で、他人がどんな結末を作り出すか興味があったんだ。ギリギリまでは俺が考えて、あとは相手に任す。すべて思い通りになるんじゃ、つまらないだろ?」
でも、と彼が残念そうな声を出す。
「あまり面白くなかったな。警察に捕まって終わり。復讐らしいことも何もできてなかった」
小説みたいに私の両親が死んでいれば、面白い結末だったのか?
瞬間的に言い返しそうになったけど、なんとかこらえた。
「面白くなかったのなら、もう止めたほうがいいと思います」
「
……なんだか、失言をした気がする。
「どうして、そんなに俺のことがわかるんだろう?」
「か……勘です」
「俺が『黒幕』ってやつだと思ったのも?」
私はその問いには答えず、代わりに質問を返した。
「私の家を狙ったのは、なぜですか?」
玄斗も、私の家を――そしてさくらの家を恨んでいるのだろうか。彼の親が子供に無関心になるきっかけを作った、紅子と蒼子の姉妹とその家族を。
「そうだなあ。別に狙う相手にはこだわってなかったんだ。だから、因縁のある家を標的にしてみようかと。……これ、気にすること?」
「気にするでしょ、普通!」
命の危険にさらされて、その理由を気にしない人間なんているか。
「蘇芳くんだって巻き込まれて、無事じゃ済まなかったかもしれないのに」
「そうなったときは、運が悪かったんだよ」
「何よそれ……」
「以前は君の家に復讐したいなんて言ってたんだよ、あいつ。だから本当は手伝ってもらおうと思ってたんだけどね。だけど最近の蘇芳は、何を考えてるのかよくわからなくてさ」
そう言う玄斗には、弟の変化を残念がるような感じも、悲しむような感じもなかった。ただ、変化の理由には興味があるかなって感じ。
「ねえ、そろそろ教えてほしい。俺が『黒幕』だと気付いたわけを」
また期待に満ちた目をして、玄斗が私を見てくる。
不思議だ。彼は酷いことを言ったし、普通じゃない人だとわかっている。なのに、どこか憎めないというか、毒気を抜かれるような感覚になる。
でもだからこそ、もう少し、こちらがわがままを言っても許してくれるんじゃないかとか考えてしまった。
私の家や蘇芳を二度と狙わないことと引き換えにして、彼が『黒幕』だと気付いたわけを教えるのだ。
もちろん、前世の記憶だの『きらめき三人組』シリーズのことだのをすべて正直に言うことはしないけど、ある程度の真実も交えつつ、なんとか話を作ってみせる。
ずるいかもしれないけど、私は大事な人達の安全を確保したかった。
「玄斗さん、あの……」
とんでもない相手とのかけひきに、心臓がどきどきしてくる。
落ち着こうといったん言葉を切って、少し視線を彷徨わせたのがよくなかったのか。
離れた席に座る蘇芳と目があった。
彼と紫苑と、この店に入る前に交わした会話を思い出す。二人は、玄斗が家族として弟の婚約者に興味を持ったのだと思っていた。本当にそうだったらよかったのに。だって蘇芳はそのことを、少しだけ喜んでいるようにも見えた。
誰かが止めない限り、きっと玄斗はこれから――もう手遅れの可能性も若干あるけど――何人もの人間を犯罪を犯すようにそそのかしていく。
……それでいいの?
「どうかした?」
「あなたの正体に気付いた理由を教える代わりに……二度と誰かに犯罪を起こさせたりしないって、約束してくれませんか」
ああ違う。こんなに大きな条件、つける予定じゃなかったのに。
「さすがに欲張りすぎじゃないかな?」
玄斗の目に初めて挑戦的なものが宿った。
失敗、してしまったかもしれない。
「そんなに怯えた顔をしないで」
後悔しそうになったけど、意外にも玄斗はこう続けた。
「飲んでもいいよ、その条件。だけど、君ばっかり言うことを聞いてもらうのはずるいと思わない?」
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